昔どっかで聞いた言葉。

急に思い出して調べたら西郷南洲(隆盛)の言葉でした。

 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

 

 

 

僕は政治はあまりよく分からないけど、なんとなく保守寄りの考え方なのかなって漠然と思ってました。

なので、自民党政権を特に強く否定していた訳でもなかったのですが。。。

 

最近のコロナ対応については、ちょっと看過できないほどひどいと思います。いや、全部とはいいません、医療体制などは真摯に対応されているとさえ思います。

 

ひどいのは経済対策についてです。

 

ひとつ前のブログでも書きましたが、緊急事態宣言後の飲食店への補助金は、本当に何を考えてるんだと思います。いや、考えてることは容易にわかります。

 

飲食店に時短要請をしたから補助金を出そう、出さんとうるさいし。。。

 

確かに困窮している飲食店はあります、が、飲食店が困窮し営業を縮小すると、当然そこに関わる全ての人に影響が出てくる訳です。

従業員・アルバイトはもちろん、納入業者から生産者、さらには運送業者までみんな困るんです。

 

なのに、実態にそぐわない補助金で「ちゃんと保証はしてるんだ!」的になってるのは意味不明すぎ。

一部の個人飲食店営業者はバブル状態なのに、路頭に迷う人にはなんの手助けもしない。。。

 

ようするに思ったのですが、政府は自分たちがちゃんとやってるってスタンスを取りたいだけで、本当に国民のためになるかなんて二の次。くだらない国会での追及の茶番に耐えうることができて、自分たちの保身及び自分を含めた関係者の利益が担保されればそれでOK。

 

 

 

そこで、冒頭の言葉を思い出した訳です。

西郷南洲が幕臣の山岡鉄舟を評したもののようです。

 

今のように大変な状況で国家の舵取りができるのは、自分たちの利益や立場・名声など顧みずに世の中のために命を懸けることのできる「始末に困る人」なのでしょう。

 

しかし、今の政治家を見渡しても誰一人そんな人いる気がしない。。。

 

 

 

しゃーない、俺がでるか!(笑)

 

 

 

まあ、それは冗談ですが、政府の批判ばかりしているのもなんなんで、僕ならどのような補助金制度を作るか勝手に考えてみました。

 

まず前提として「非常事態宣言」!

つまり今は非常時な訳です。なので、一番大切なのは国民を危険な状況から遠ざけ生活を守ること。

 

そのためには、極力他人との接触を避ける。特に大声でしゃべるような場所で集まらせない。

そういった意味ではイベントや飲食店の営業規制は合ってる。

 

そして、どうやって経済生活を守るか。

それは、前のブログでも書いた通りベーシックインカムに近いものしかないと思う。

 

具体的には、、、

 

勝手な妄想ですが、国民健康保険の対象者に一律(例えば)5万円/月、厚生年金保険の対象者に対しては適用事業所に被保険者×5万円/月を支給する。

 

これなら、特に名簿作りや認定手続きなどなしで対応できるし、「国民皆保険」の日本においては原則漏れなく行き渡るはず。

(漏れてる保険があればすみません!それも入れましょう(汗))

 

※ なぜ、厚生年金対象者へは個人支給でないかというと、手間の削減もあるけど、まあ厚生年金制度に入ってる会社はそれなりに従業員の生活を守ってるだろうし、適用事業所単位で被保険者に配るなり事業存続の費用に回すなり自由が利くようにするということ。もちろん、従業員が解雇され国民年金に加入すれば個人単位での支給になるので、適用事業所が従業員に十分な対応をしないのであればやめたらいい。

 

緊急事態時の「社会保障」の一環という位置づけであれば、そんなに的外れでもないと思います。

これにより、緊急事態宣言下及びこれからいつまで続くか分からないコロナ禍においても、最低限死なない程度の生活は担保されるはず。(贅沢な暮らしをしないと死んでしまうって人は別ですが(笑))

 

「原資はどうすんねん!」

 

なきゃ日本円を刷ればいいし、それが問題あるなら原資を作ればいい。

そう、現在の年金・生活保護制度を一旦全てクリアし、それらを原資にすればいいのです!

 

まあ、めちゃな考えだと思うし、さっき酔った頭で適当に考えただけなので、アラだらけだと思いますが。。。

 

でも、ひとつ言えることは、例えば政治家がこの制度を実行しようと思うと、ものすごく抵抗してくる勢力がいるだろうし、多くの部門・人を説得しないといけないし、なによりも、たぶんそれほど評価もされず、多くの人から感謝もされない。政治家自身もほとんど得しない。

 

でも、、、

 

もし本当に自分が信じた「正しい方法」があれば、「艱難を共にして」命を懸けて遂行する、そんな政治家がいないものか。。。

(僕の考えが正しいと主張したいわけではなく、例えばの話なので(^^;)

 

 

 

しゃーない、俺が。。。(笑)

コロナが大変なことになってきてます。。。

 

緊急事態宣言も発令されて、日々の暮らしでの感染の恐怖と共に経済活動にも大きな支障が出てきて、苦しんでいる多くの経営者がいる。

なので、緊急事態宣言の影響を大きく受ける飲食店等については、時短要請に従えば1日6万円(だっけ?)の補助金がでる。

 

・・・なんとなくすっきりしないの僕だけだけ???

 

確かに時短要請で経営に支障が出る飲食店はある。

でも、時短すれば経営者にのみ補助金が出ても多くのケースにおいて意味がないのでは。

 

そもそも、個人経営的な店にも一律6万円???

僕がバーを経営していた時なんて、1日3万あがれば万々歳でした(汗)

 

ちょっと話がそれそうになりましたが、飲食店に関して私見を述べさせてもらうと。。。

時短要請による売り上げの減少なんてこの状況下では仕方ないし、そもそも営業すべきでないケースも多い。

 

「それだと従業員に給料を払えない!」

 

・・・たしかにそのとおり、でも営業せずに従業員に給料を払わない方がコロナ対策上いいと国が判断したのであれば、そうしたほうがいい。

 

では、給料をもらえなくなった従業員は路頭に迷うしかないのか。。。?

 

そこにこそ、補助金・給付金を出せばいいのではないでしょうか!

 

ようするに(ベーシックインカムの考えに非常に近くなってきました)現在のこの状況下で営業するのが好ましくない業態については、国は営業の休止を要請し、その間の働き手(経営者も含む)の生活についてはベーシックインカム的な補償でまかなえばいいと僕は思います。

 

つまり最低限の生活ができるだけの保証をつければいいのです、経営者にも従業員にも。

(この場合の僕の思う最低限とは他に収入がなくてもぎりぎり死なない程度って意味です、具体的には月5万くらい。従来の(贅沢な)暮らしを維持するって意味の最低限ではないので。)

 

飲食店にとっての主要な経費は賃料と人件費及び仕入・水道光熱費かと思いますが、休業すれば人件費と仕入と水道光熱費はかからないので、問題は賃料だけになります。

(繰り返しになりますが、「人件費」についてはベーシックインカム的制度で最低限保証されているという前提です。)

 

なので、経営者に対しては賃料補助のみを行う、もしくは貸主に賃料減額を推奨する(税的優遇を付与)などで足りるのではないでしょうか。

もちろん、借入金返済などの個々に様々な事情はあると思うので、そこは別途融資制度などで個々に対応する。

 

ついでにもっと言うと、従来から求職中であったけどコロナ禍でさらに職探しが難航し、貯金が底をついて路頭に迷っている人々もいる。

そういったところへも補助すればいいと思う。

 

さっき「ベーシックインカム的な考えに近い」って書いたけど、ようするに僕の思っているのはほとんどベーシックインカムそのものですねー。

 

なんでこんな日記を書きたくなったかというと、今でも僕の周りには個人で飲食店を経営している知人が多くて、ほとんどの人が今回の処置について「ラッキー、ボーナスやわ(^^;、なに買おうかな♪」とか言ってて、まあそれに対して嫌悪感があるわけではないけど、昨今のニュースの中で明日の生活も見えず困窮している人々が出てくると、なんともいえない違和感を感じてしまうのです。

 

長くなってきましたが、本当に言いたかったことはここからです。(すみません、もうちょっと長くなります(汗))

 

「制度を考える人は実態をしらないから、自分たちに都合のいい独りよがりの施策ばっかりしている!」

 

言ってしまえばこういうことなのですが、おそらくそもそもの制度を考えている人は、実はちゃんと実態を調べて真剣に考えていたと思います。僕も以前はある種官僚機構に近い場所で働いていて、経営トップの意思決定策定に近い場所にいたので、なんとなく想像がつくのです。案を作る人は誠実にデータを集め真に有用な制度を作ろうとしている。それを上の老害たちが保身と既得権益、無意味な過去の経験に基づく妄想により否定していく。その老害たちは「管理職」や「役員」という特権をもっているため逆らえない。

 

あと、最近はどうなってるか知らんけど、僕の時代は「成果主義」って言葉が盛んでした。

成果を上げないと「評価されない」=「給料が上がらない&ボーナスが下げられる」

つまり、成果の評価者である老害の意に沿う形での提案しか選択肢がないのです。

 

それが最悪の結論を導いていく。

頭の良いはずの人たちが、よってたかってアホな結論を出していく過程を若い頃よく目にしてました。

 

なので今回の政府の決定も同じような話だと想像に難くないのです。

 

まあ、会社の経営に関する決定とかって、多少間違えてもどうってことないし(あ、最近はそうでもないか(汗))、なんとなく適当に回っていったと思もうけど、今回のコロナに関しては感染拡大防止に関しても経済対策についても、失策は社会の混乱ひいては崩壊を招きかねません。

 

そう考えると、このコロナ禍は停滞しアホな老害が仕切っていた日本の縮図を書き換えるチャンスともいえるかもしれません。

今こそ「パラダイム・シフト」の時ではないでしょうか!

 

・・・ところどころで2,30年前に流行った言葉をつい使ってしまうと、年齢がばれてしまいそうですねー(^^;

 

 

 

・・・酔っぱらってるとよく知らない適当なことを書きたくなります(^^;

 

トンデモ的な仮説に対して「そんなの科学的じゃない!」という人に違和感を感じてました。

 

なぜなら、ぼくの中で、っていうか学生の頃読んだなんかの本で科学の定義は。。。

 

「森羅万象の事象について疑問を持ち、論理的に説明しようとすること」

 

なので。

 

つまり、「疑問をもつこと」が科学の出発点であり、その疑問を「科学的でない」ということ自体が「科学的でない」と言えるわけで。。。

そんな話を研究者と話した時に思わぬカウンターを食らいました(笑)

 

「疑問を持ってそれを自分の推測で仮説を出してそれを発表するのは科学ではない。」

 

・・・つまり、科学的アプローチは論理的説明が必要、あたりまえやけど。

 

仮説を否定することはもちろん科学的でない、でも仮説を自分の推測で発表するのはもっと科学的でない。

 

代表的な話で「地震雲」

 

「地震雲が現れると地震が起きる」

という仮説は科学的に間違いではない。

 

でも、それを論理的に説明する手順を踏まず「地震雲が存在する」と主張するのは科学的でない。

 

「地震雲」なるものが出た時に、「地震が起きた時」、「起きてない時」のデータはあるのか?

もうちょっというと、空に雲が出ている時、出ていない時との地震の関係、そういったことのデータもとらずに地震雲なるものが存在すると断定するのは詭弁以外の何物でもない。

 

これは、ちょっと前に書いた「デマ」の話にもつながる気がします。

「それらしい話を聞いたとき、疑いなく信じるのではなく裏をとらないといけない」

 

つまり、違う角度から見なければいけない。

別の角度で同じ結論に達したなら真実に近づく。

 

もっというと、現世は三次元なのでもう一本線が必要。

三本の線が交わった点であれば、それは真実に近い。

 

さらに時空で捉えた世界点の概念のなかでは時間という要素も付加しなければならない!

・・・やっぱ、酔ってるとなにがいいたいか分からなくなってきました(^^;