最近よく話題になっているNFT。

 

いろんな記事を何回読んでも全く分からない。

訳の分からんデジタル絵画とかの所有権とかを取得してなにが楽しいのか???

 

なので、ちょっと真剣に考えてみた・・・ら、やっと分かった!(気がする(^^;)

 

なお、毎回のエクスキューズで恐縮ですが、僕はNFTもブロックチェーンもほとんど理解できてません。以下の文章は現時点の僕の妄想レベルなのでご了承下さい。次のブログで全否定する可能性すらあります(汗)

 

一言でいうと「課税」!

 

一昔前までは仮想通貨の売買に課税されなかった、というより課税の仕組みが追い付いてなかった。それがいつからか仮想通貨の売買益は(日本において)「雑所得」として課税されることとなった。はっきりいってこれは面白くない。中央集権的権力(国家権力)の及ばない民主的な自立型の通貨として、多くの参加者が協働で育ててきた仮想通貨を権力が横取りしようとしている。

 

それならば、仮想通貨内で仮想の価値を作ってしまえばいいのではないか?それがデジタル絵画などのNFT。それらは実在しない、つまり実体経済とリンクしないものなので権力が課税しようにもやりようがない。NFTの売買が同一の仮想通貨内で行われるとしたら、仮想通貨間の売買益も発生することもない。

 

・・・そう、最近ニュースで流行りの「8月12日の三河屋のコーラ※」を作り出せばいいのである。

※知らない方はグーグル検索すればすぐ出てくるので、ぜひご一読下さい(^^;

 

で、意味もないものを仮想通貨で高値で売買する。それが何が楽しいのか?

 

「権力に対する抵抗である!」

 

と言ってしまえばかっこいいしその意味も少しはあるかもしれない。

 

ただもしかすると、ここからは本当に僕の妄想でそんなことありえないのかもしれないけど、例えばNFTを購入した時点でブロックチェーンにその事実が記録され、例えばイーサなら現時点で約10000カ所のフルノードすべてで情報が共有されることになるので、ある意味購入価格分の仮想通貨価値の保全的な意味合いも持つのではないだろうか。(繰り返しになりますが、全くの妄想でそのロジックも考えすらしてません。)

 

そう考えればちょっとNFTについてスッキリしました。

 

なお、NFTの課税についてちょっと調べてみるとアメリカではだいぶ制度が整ってきてて、日本でも法改正に向けて動き出しているようです。課税の理屈は単純で、恐らく購入時の日本円での価値と売却時の日本円での価値との差額に課税するってことになるのでしょう。

 

ただ、ここでいうNFTは恐らく実体経済に基づいたNFT、例えば(実際の)絵画やコンサートのチケット、もしくは不動産証券などをトークン化したものでしょう。まあ、それらは実体経済の価値が計れるので課税されるのは当然でしょう。

 

問題は、今後「8月12日の三河屋のコーラ」に国家権力はどうやって課税していくのか?

なんか楽しみですね(笑)

今週号の某雑誌の最終ページのコラム。

このコーナーが結構すきです。

 

周さんの記事も原則好きです。

 

・・・でも、今週号はいけない。

 

「日本の「ハーフ観」はご都合主義」

 

一部抜粋します。

 

”私が最近驚いたのは、大坂なおみ選手に対する日本社会の反応だった。テニスで大活躍すると「日本人初!」などと快哉を叫ぶのに、BLM運動支持の発言をすると、まるで日本人ではないかのように距離を置く。日本のイメージにプラスになるときだけ日本人扱いするなんて、ご都合主義すぎるのではないだろうか。”

 

もしかしたら、僕の個人的意見が特殊なのかもしれないけど、大坂なおみ選手が活躍したって大坂なおみっていう個人が頑張っただけで、日本人の快挙なんて思ったこともなかった。

 

それをあおったのは、周さんたちの属するマスコミだけでは?

 

繰り返すが、僕の周りで大阪なおみの快挙を日本人の快挙なんて喜んでる人なんで一人もいない。

また彼女のBLM運動支持の発言に対し、彼女をまるで(手のひらを反すように)日本人でないかのようにふるまっている人も見たことない。

 

要するに、それらは全部アホなマスゴミがつくりあげた虚像にしか過ぎない。

 

なのにそれを日本人のメンタリティとしてもの申すのは、あまりにも浅はかすぎないか?

問題は知性に欠ける大衆を煽ろうとする老害マスゴミにあるのでは?

 

周さん、もし俺のブログを見たなら論理的な反論よろしくー!

僕が中二病真っ盛りのころ(リアル中二ではなくもっと後かも)、気に入っていた文庫本があります。

 

「シークレット・ライフ(物たちの秘められた生活)」

(ライアル・ワトソン著、内田恵美訳、1995年初版発行)

 

確か、有名な科学雑誌二つで「科学の常識をひっくり返す名著か、詐欺師的な眉唾物の書か」で評価が真っ二つに分かれた、ちょっと問題の書。

 

読んでみる価値は僕はあると思うので、興味がちょっとでも沸いた方は是非(^^;

 

・・・で、今回僕が書きたいのは、この本のメインテーマ(物たちの生活?)ではなく、この本のほんの一部に出てくる「コーラル海とソロモン諸島に散らばる島々に住むマッシム族」の話。

 

なかなか面白いので一節まるごと引用したいけど、かなり長くなるので僕が(勝手に)適当に要約すると。。。

 

マッシム族にはクラとよばれる交換儀式がある。それはバギとムワリとよばれる贈り物を一つは時計回り、もう一つは逆時計回りに諸島の輪の部族で回していくというもの。部族の中で「贈り物」受け取ることができたものは、それは大変な栄誉であり大いに自慢することができる。(ちなみに、バギもムワリも実用的要素はほとんどなく、それほど技巧をこらしたり素材が効果だったりするものではない。)贈り物は一定期間所有でき、その期間に決まりはないが長く持ちすぎると「のろま」とか「がめつい」とかいう評判がたってしまう。逆に「これほど由緒ある宝」を短期間で手放せるその並外れた潔さをたたえられることになる。

(※だいぶ端折りました。記載不足も多いので詳しく知りたい方は文庫を読んでください。)

 

僕はこの話を急に思い出して、今の日本に必要なことを示唆してるのではないかと考えました。

 

やっと手に入れた「権益」のようなものを短期間で十分に活用し、そしてそれに新たな価値を付加した上で潔く次の世代へ引き継いでいく。それが社会生活、ひいては文明を持続させる秘訣であると彼らは知っている。もしかしたら、ソロモン諸島の部族は古代文明「ムー大陸」の末裔でありムー大陸文明滅亡の過ちを繰り返さないために、文明が持続するための風習を後の時代に伝えたのかもしれません。(すみません、ちょっと調子乗りすぎました(^^;)

 

生まれ持っての幸運により、まあ場合によっては努力して(もしくは場合によって悪行により)手に入れた既得権益に必死でしがみつこうとしている老害たちのはびこる日本って、このままでは滅亡が近いのかもしれません。

 

いまこそ古代文明に導きを求めるときではないでしょうか!(・・・ってそれはもういいか(汗))

 

・・・しかし、ここんとこずっと同じようなことばっかり書いてるなぁ。

そろそろ飽きてきたので(もしずっと読んでくれてる人がいたらもっと飽きてますね(汗))、次回以降はテーマ変えます!