subsgocaviのブログ

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言葉が、深く、読み手の心に沁(し)み入ってくる。ずんずん突き刺さるのでも、がんがん飛び込んでくるのでもなく、じわり、と膜を通して浸潤してくる。そんな本だ。
 著者は原発事故の被災地に通い続け、現地の人たちとちょっと不思議で濃密な交流を続けてきた。そこで経験した生活や交わした言葉の記録である。だが、生々しい感覚はない。著者自身も描かれる側に置かれる。
 原発作業員の元締をやっている下請け会社の社長と懇意になって愛を告白したり、その社長の父親が国政選挙に立候補するのを手伝ったり、震災ニートの若者から10万字のメールを受け取ったり。
 相当深くどっぷりと現地と関わっているのだが、描かれた出来事や人物と、描く著者との間には、薄い皮というか膜が一枚はさまっているような感じがする。淡々と描く、というのとも、ちょっと違う。
 登場人物の感情を直接表す場面や表現が少ない。著者自身について描写するときでも、そうである。現地にどっぷり浸(つ)かる著者と、その自分を突き放して見ている著者と、両方の視点が交錯する。ちょっと失礼な表現になるが、この交錯が読み手に、まるで著者が幽体離脱しているような印象を与え、描かれている世界とこちら側との間に薄いけれども突き抜けることのできない強固な膜を現出させる。
 「境界の町 」とは、もちろん、警戒区域とそうでない地域 の「境界」だが、書き手によって描かれた世界 と読み手との間にも「境界」がある。著者はそれを言葉で描くのではなく、その存在そのものを読み手に直接感 じ取らせることに成功している。
 この境界 は、ときには読み手の側の人間を無関心や忘却へと誘うが、一方で、これを意識することで、ぼくたち「よそ者」が被災地と触れ続 ける装置としても作動する。これからの日本に必要な半透膜なのではなかろうか。