丁度地震の起きた14時46分は仕事をしてました。仙台の隣にある利府町という所にいました。街のサイレンが鳴り響き、仕事の手を止め、お客さんの家族の方達と黙祷を行いました。最近もあちこちの被災地に行く事がありました。またその詳細は後日発信します。
今日という日をこの東北の地で迎えれたのは貴重な事だと思います。今後も地震、津波の被害を伝え続けてまいります。
最後に亡くなられた1万5千人の方達に追悼の意を込めて 合掌
年末最後の仕事はピアノの別室移動でした。お馴染のK君とあり合わせの道具を使って移動します。過去にピアノ運送の仕事をしていた時のノウハウを生かし、家の中での移動は自分たちで行います。とはいってもK君は当初は全くのど素人でした。ようやく鍛えに鍛えて担げるようになってきました。基礎体力は俺よりはるかに上なので飲み込みが早い。そういいながら俺も一応方法を知っているだけなのでいつも緊張とプレッシャーが圧し掛かっております。重量が200㎏を超える物を動かすわけで、事故とはいつも背中合わせです。運送屋時代にはそういう事故や怪我を何度も経験してきました。
幸い今の会社になってからは事故はゼロです。
道具といっても本来はピアノを吊る為のベルト状の肩縄があるのですが、これが結構な値段なので、ピアノを梱包するためのロープを使用しておりますが、これが肩に食い込んで痛い
毎回終わった後には肩にアザがいくつもできています。
今回は隣の部屋への移動で距離にして3mくらいなのですが、普通に歩くよりも長く感じます。周りに配慮しながら更にKの様子もうかがいながらと大変なのです。
移動も無事に終わり会社へ戻ってからは大掃除でした。そして俺たち2人は唯一の男連中なので力仕事が中心。展示してあるピアノの大移動です。国産の中古のピアノからドイツ製の何百万もするピアノまで。
俺が片方をあげている間にKが台車を入れます。その時に踏ん張りすぎたのか、腰から背中に電気が走るような感覚が・・・![]()
年齢を増すごとにこういった事が増えてきているような気がします。また完治するまで時間がかかること![]()
まだ腰が痛いです。大変ですがやりがいのある仕事です。
唐突ですが、皆さん「競馬」って聞くと何を連想しますか?土日になると競馬場はおじさん方が集まり、新聞を広げて予想をする。万馬券を夢見て確実且つ高配当の馬を予想し、的中させる喜びに浸る。どんなイメージをしてもギャンブルという一言につきるでしょう。少なからず俺はそういうイメージだった。近くに競馬場もあったけど行ったことすらなかったです。
今から7年前に1人の「男」との出会いがありました。彼と出会い、競馬のイメージが全く変わる事となりました。その当時彼は4歳でした。えっ?4歳?と思われましたでしょう。人間でいうと10代半ばから20歳くらいです。
その彼とは「馬」です。名前はハーツクライと言います。我社の社長が元々趣味で競走馬を持つ事をしており、所有しておりました。所有と言いましたが、正確には馬主クラブの所有で会員である社長が出資をしておりました。一口馬主というものです。
その彼が7年前の今日に最高のクリスマスプレゼントをくれました。今日も日曜日なのでご存知の方も多いかもしれないですが、有馬記念というG1レースで悲願のG1初勝利をしてくれました。しかも当時無敗の3冠馬と言われていたあの有名なディープインパクトを破ってです。あの日仕事中にも関わらず、社内で大歓声があがり喜び震えました。ずっとみんなで応援していたからです。
一般的には賭け事の対象となっているサラブレッドですが、こういう楽しみ方があったのです。ただ競走馬になる運命を背負って生まれてきて、現役のうちはひたすら調教とレースに挑み、病気や怪我とも背中合わせです。そして走れなくなると強い馬は繁殖に回されますが、殆どは安楽死をさせられます。彼らは賭けられたお金を背負っているだけでなく、純粋に応援する人の夢や希望を乗せて走ってくれています。そういう見方で競馬を見ると、また違った楽しみができます。
また彼のアスリートとしての功績を少しずつ紹介していきます。
衝撃でした。
今日、石巻へ行ってきました。何度もテレビで報道されていた、門脇小学校へ立ち寄りました。
津波の被害だけでなく、流されてきた車が衝突し、校舎が全焼したがっこうです。何度も報道で学校名は知っていましたが、俺の記憶が曖昧でしたが、今日行って思い出した。
震災の1週間程前にこの学校に仕事できていました。体育館と音楽室の調律をしました。
土曜日という事もあり、たくさんの人が訪れていました。
校舎内部の様子です。泥臭さと焼け焦げた匂いが支配してます。子供たちの学用品も全て燃えました。
足元は割れたガラスが散乱してました。
体育館前です。中には入れないようになってました。あの時ここに車を停めた記憶があります。
学校側からみた街の様子。ご覧の通り道は狭く、周りは昔からの民家や商店が並んでいたのですが、跡形もありません。当時は写真の軽自動車が停まっている道から入ってきました。もっと見通しが悪かったはずなのに・・・。
グランドは震災後は瓦礫の山になっていたようですが、現在は片付けられており、献花台が設けてありました。
そこにいた子供に話しを聞けました。当時、「逃げろー」という先生の叫び声を聞いて、夢中で逃げたそうです。
それでも亡くなった子もいるとか。また何日たっても両親の迎えがこない子もいたようです。献花台には花の他に、駄菓子や玩具が供えてありました。俺も関わりのある学校だけに言葉がありません。
ただひたすら手を合わせ、涙するだけでした。 合掌
その後、石巻の中心部へ。北上川の中洲へ行きました。ここには石巻市出身の石の森正太郎さんの記念館があります。
色々な漫画家の手形の銘板が展示されてます。有名な方だと、媒図かずおさん、モンキーパンチさん、ちばてつやさん、鳥山明さんの手形も。
中には入れませんが、掲げられたボードにたくさんの寄せ書きがあります。よく見てもらうと、「仮面ライダー1号は永遠なり。 復興」と書かれてます。これは仮面ライダー役でお馴染みの藤岡弘さんが書かれていったものです。
見えにくいですが、日の丸の横に津波の到達した高さを示すステッカーが貼られてました。3メートルくらいはあるでしょうか。
この中州も震災前に比べて半分の大きさになってしまったそうです。
※お客さんの声 58歳 男性 石巻市在住
50年ほど前にチリで地震があり、地球の反対側の日本にも津波がきた。小学生だったらしく、津波の様子を鮮明に覚えてられました。今回はそれ以上だった。地震の後、すぐに自宅へ戻り、年老いたお母さんを連れ、家族で避難したそうです。家は床下まで浸水。半壊状態で修理の順番待ち。恐らく修復は来春くらい。費用は500~600万円。半壊保証は100万円程。また地震保険は津波での適用はされず、60万円くらいしか下りないそうです。
ご家族は皆無事だったそうですが、身内の親戚で亡くなった方がおられたようです。震災直後は遺体安置所を巡ったが、まともに見れなかったそうです。亡くなられた全ての方の遺体の損傷が激しく、また皮膚などが紫色に変色して、どなたか判断できない状態だった。
まだまだ大変な時に、ありがとうございました。
今後このような声を掲載していきます。なかなか生の声なので、載せる事をためらっていましたが、皆さん仰られるのは「是非載せてほしい」「たくさんの人に知ってほしい」との声でした。記者ではないので込み入った話しまで聞けませんが、貴重なご意見として皆にも知ってもらおうと紹介していきます。