上野の杜(もり)で開催中の「プラド美術館展」が人気を集めている。ベラスケス、ティツィアーノ、ゴヤ等の作品をはじめ、膨大な絵画コレクションで知られる世界でも屈指の美術館だ。これだけの名画を集めたスペイン王室の凄(すご)さ、この国の底力に驚かされる。
この展覧会に呼応して洒落(しゃれ)た本が出た。著者は、若き日に、画家である父親に連れられこの美術館を訪ね、スペインに惚(ほ)れて留学した画家、藪野健。マドリードの美術学校に入っても、プラドに毎日通い模写に没頭したという。
本書は美術書として実に大胆かつユニーク。本物の絵と並んで、著者が描き起こした模写の絵が脇に置かれ、読者はその絵解きを通じて、過去の名画の本質に迫
れるのだ。忠実な模写ではなく、省略と解釈を交え、その特徴を丁寧に描くものだが、見比べて、本物の作品以上に味のあるものさえある。著者=画家の技が光
る本だ。
著者は昨秋、プラド美術館を再訪し、新たに模写に取り組んだ。その筆致をたどると画家の呼吸、筆運びの勢いが伝わり、作者の意図も見えてくるという。美術史家とは違い、手を動かしながら制作の秘密を探って、名画に隠れた謎を解いたのだ。
登場する作品はどれも、著者お気に入りのもの。宮廷内の登場人物を巧みに配し、視線の計算、光と影の絶妙な構成で目を奪うベラスケスの「宮廷の侍女た
ち」。多数の人物と動植物が展開する奇々怪々で幻想的なボッシュの「快楽の園」。巨匠らに加え、ボデゴンという静物画を見事に描いた画家達(たち)の紹介
も興味深いが、本書を貫くのはやはりゴヤへの特別な思い。王室の肖像画家として成功しながら、戦争で荒廃した惨憺(さんたん)たる姿の祖国への絶望と恐怖
を描いたゴヤの「黒い絵」の重い情念の世界を、著者はたくさんの模写で表現する。まさにスペインの心、ここにあり、だ。
最後は、瞳の中に希望の星の輝きを描いたエル・グレコの「十字架
を抱くキリスト」。この絵を見て、読者
も明るい気持ちで本書を読み終えられる。名画をこれほど身近に感じさせてくれる本は稀(まれ)だ。
