こんにちは、台湾・高雄のkazanです。
当ブログのページはリンクフリー、転載フリー、コピーフリーです。ご利用下さい。小欄の誤字変換ミスは、利用者の責任ですのでよろしくお願い申し上げますm(_ _)mニューオータニ本館・日中友好商社
1975年の秋サイズの合わないワイシャツに無粋なネクタイ、身体にフィットしない、ダブダブ、オーバーサイズのグレートもブルーとも良いようのない色のスーツというより背広を着た、骨格の張った20数人の男性からなるグループが二名の日本人ビジネスマンに引率され、黄昏の元赤坂・前田外科病院方面から、赤坂見附交番横の田町通り(現・エスプラナード赤坂通り)の赤坂飯店へ向い、やがて食後には、今度はまた集団で、弁慶橋を渡り、出来て間もないホテルニューオータニ・新館タワーに吸い込まれるよう消えた。。日中貿易に初期頃、集団でアゴアシ付きで招待された、中国の買い付け集団は、招待した日本側の商社のアテンドで行動し、その殆どが、ホテルニューオータニ本館(旧館)を定宿にしてグループで行動しておりました。
理由は、逃亡防止の為です。
ホテル旧館は平面図で見ると左右に広がった建物の中央がエレベーターホールで、そのウイングの両サイドが客室です。
従って、リーダ-格の数名が、一番ホールに近い両サイドの部屋に宿泊し、深夜まで、ドアをオープンにして、その部屋より奥の部屋に当泊する団員の動向を伺い、監視体制をが取りやすいホテルとして、ニューオータニ本館は重宝されていました。
当時から、中国人は、日本に来ると、逃亡するということが一般的であったことの証明みたいなものですから、現在の職業実習生が突然フケるということは、昔から変わっていません。
日中貿易は、当時、中国側が取り引き相手としてふさわしいと指定した日本の貿易会社・友好商社によって、ほそぼそと行われていました。
友好商社の形態は、総合商社の一部所であったり、系列の商社や、中小の独立系商社によって構成されていました。
そんな事情から、ニューオータニを囲むように、多くの友好商社があつまっておりましたのも、このような背景があったからでしょう。
1975年と言えば、70年安保前に全国的に荒れた、全共闘系の大学紛争が下火になり、わずかに新左翼に横滑りした全共闘の残党やベ平連がなにやらわけの分からない反戦運動をしていた頃で、さらにスピンアウトした全共闘を主導した過激派が、爆弾闘争やライフルで武装し貴金属店を襲撃したりしていた頃です。
前年の1974年には、多数の死傷者を出した、丸の内の三菱重工ビル爆破事件が起こり、さすがのベ平連も、過激派の行動を非難する国民の声におさえらえ、運動解散を宣言するような時期です。
友好商社は、毎回将来の大きな商権を餌にする、中国の買い付け集団のタダ同然の「サンプル輸出」のお先棒を担がされ、経費倒れの、赤字輸出を繰り返して、体力を消耗させていました。鄧小平の来日・集近平は本当に「容貌が美しい美人」か?
鄧小平が鳴り物入りで、日本を訪問し、日産、新日鉄、松下を訪問し、新幹線に乗って移動、開いた記者会見には、共同通信・時事通信・ロイター通信・UPI通信・AP通信・AFP通信・DPA通信など有名通信社から400人余りの記者が駆けつけ、中華人民共和国の指導者が「西欧式」の記者会見を行ったのはこれが初めてだったと言われておます。
その席上で言った発言の一つに、鄧小平氏は、遅れていることを認めることの必要性について、「容貌が醜いのに美人のようにおしゃれしてはいけない」とユーモアに富んだ表現でこれを説明し、会場に笑いを巻き起こした。記者たちは、このような率直な態度こそ中国再興の希望のありかだと納得した経緯があります。
裏返しをすれば「容貌が美しければ、おしゃれは許される」ということであり、ここに鄧小平の「韜光養晦」、つまり力がないうちは、稲穂のように頭を下げ続け、その間に来るべきのために、爪を研ぐと言う思考が垣間見れます。
尖閣問題についても、日産、新日鉄、松下を筆頭とする日本側の、潤沢な援助の前に、尖閣の問題は自分たちの代では無く、将来のすぐれた知恵の指導者が解決する問題と明言して、帰国しました。
その時点で、独立系の友好商社の商権は完全に打ち切られ、それまでの中国の一連の行動は、単に日本から善意の提供を受けるがための方便であったことが、後年証明されます。
日本の愚かな政界。財界の指導者はこぞって、中国投資に狂奔し、その動きは、欧米各国の中国投資を促進させ、加速させる効果の原動力になり、気がつけば、軍事超大国の中国が出来上がることを側面どころか正面から助けた結果になりました。
集近平が、鄧小平の言った将来のすぐれた知恵の指導者かどうかは、筆者には不明です。
集近平は本当に「容貌が美しい美人」でしょうか?
昨日のブログで、集近平は、「鄧小平が唱えた「韜光養晦」を、集近平はかなぐり捨てて、大国意識を前面に出し世界をリードする意欲を露骨に示すらしい」を取り上げました。 http://odoaba.com/katsukazan/2017/02/21/post-3671/
結局は1978年に日本は、鄧小平と言う妖怪に完全に飲み込まれたということではなかったか?
40年近く前に、妖怪のような鄧小平が言ったジョークと「韜光養晦」の本質を見抜けなかった、日本の当時の指導者と識者の先見の知恵の無さが悔やまれるkazanです。
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引用元:鄧小平の来日ー韜光養晦に秘められて遠謀、尖閣への触手元年は1・・・


