禅海和尚の手掘り洞門・青の洞門・前編【2024年3月21日】 | Subaru6の休日お出かけ記録

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お出かけして撮ってきた写真を載せていきます。

季節のお花巡りと、道路ネタ??が主になります。

大分旅行2日目、中津駅前でレンタカーを借りてまずやってきたのが耶馬渓エリア。

 


観光用の駐車場にレンタカー停めて歩きます。

 


観光マップ。


見てみたいところが色々ありそうだけど、この日は行きたい場所が何か所かあり、所要時間とか生じるであろうロスタイムとか考えると優雅に観光してる場合でもなかったりするのですが…。

でも焦らないようには心がけたし、行きたいところはほぼ行けたので良し。

 


目的地に向かう前にまずはここ。

 


けっこう前ですが、静岡新聞だったか何かでこの禅海和尚の手掘り洞門についての記事がありました。

 

興味はあるけど、遠いしなかなか行く機会はないだろうな~と思っていたのですが、今回こうして来ることができました。

 


禅海和尚像。詳細はこちら


これから見に行くのは、江戸時代に30年かけて完成させた洞門…の一部残ってる部分と、その後の明治時代に改修された今の隧道の部分(という解釈でいいのかな)となります。

江戸時代というのはこれまでの自分が見に行った隧道の古さ記録を更新します。

 


で、その先に隧道がありますが、すれ違いが厳しい道幅になっているので車は信号による片側交互通行になっています。


あの隧道へももちろん向かいますが、その前に手前の信号を渡ったところ…看板がある辺りです。

 


場所はこの辺、大分県中津市本耶馬渓町曽木。


手掘り洞門の大部分は明治時代の改修で失われてしまったとのことですが、一部残ってる部分がこの下に行けば見れるようです。

 


「禅海鑿道」って書いてあるのかな?
当時の年号でそれっぽく?書いてあるかと思ったら「昭和四十二年八月復元」でした。
史跡、遊歩道的な感じで整備されたのがこの頃なのでしょうかね。

 


入って振り返り、素掘り部分がオリジナルでコンクリ部分が昭和42年と思います。

コンクリにした部分は(現道の影響で?)崩れそうで危険だったりしたのかもしれません。

 


で、進行方向…。

 


この辺りが(路面以外は)オリジナルで残ってる部分ですかね。
これを鑿とかだけで…って相当な苦労をしたんだろうなと思います。

 


で、諸事情により現代人はこのカルバート的なところを通ることになります。

 


振り返り。当時はこの照明はなかったでしょうけど、照明がないとシャッターがおりません、私のデジカメは。(^-^;
 

それは置いといて、岩壁の険しい場所を通ることに比べたらこの洞門はどれだけ安心して通れたんだろうなと考えると…。

 


もう少し進んで振り返り。

 


上部の穴は明かりとり窓なのか、改修の際にこうなったのか?

 


カルバート部分を通って外に出ました。

 


現代の観光客はここから現道に出ます。

 


現道をくぐってこちら側に出た感じになります。

 


来た方向に振り返ってみると、こんな感じでバイクが停まってる信号の辺りが入口でした。

 


最初の方に写る隧道に向かいますが、その途中に気になる隙間がありました。
人がまわりにいないのを確認して、こそっと覗き込んでみますと…。

 


切通のようになった平場がありました。
もしかして手掘り洞門の続きの道跡でしょうか?

気になったけど、たぶん立入禁止になってるので覗くだけにしておきます。

…続きます。