赤影青影白影 ただのハゲ | ぶっ飛び沖縄‼︎

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突然沖縄に引っ越してきました。
楽しいこと、不思議なこと大好きです。


今から57年前
仮面の忍者 赤影という
実写ドラマがヒットした
らしい、のよ。

内兼久 ( うちがねく ) さんは
ドラマ制作に関わってきた。
長らく大道具さんとして
いろいろなドラマに加わり
「 仮面の忍者 赤影 」
が、1番分かりやすいだろう
と、話し出した。

名前が出ることは無かった。
毎日毎日忙しくても
休みが取れなくても楽しかった、と
昔を思い出すたびに
つぶやく事がある。

やっぱり
仮面の忍者赤影の
前年に放送された「 ウルトラマン 」
を超えるものは無い。

ウルトラマンは
沖縄の偉人、金城哲夫さんが
作ったんだからね‼️
南風原町出身よ。


久米島出身の内兼久さんは

貧しい母子家庭で

育って来た。


中学生になった時に

母親が再婚して那覇市に移り住むんだけど

自分の居場所が見つからないまま

高校を卒業して、アルバイトだけど

コザ、今の沖縄市で

映画館の仕事をしていた。


で、沖縄返還の波にまぎれて

知り合いの誘いに乗り

ウルトラマンに憧れて

東京へ行く。


知り合いを頼って

パシリからスタートして

思いがけずに映像の世界へ

入っていたんだと。


で、小柄だけど身軽だし

目はしがきいて、

手先が器用なことを認められて

大道具係の1人として働く。


仕事にも自信が付いて

満月を作る事になり

より本物に見えるように

発泡スチロールではなく

木枠に石膏を流し込み

よりリアル感を出したいという

アイデアを採用された。


撮影に間に合うように寝ずに頑張った。

やっと完成して仕上がりを見るために

明日の撮影のためにスタジオの

天井から吊るした。

しかし、あろう事か

重さに耐えられないロープが

解けてしまった。


その時、真下にいた

女性スタッフを庇うために

内金久さんは

とっさに動いていた。


頭上から落下した月は

内金久さんの頭頂部に当たり

大事故になってしまう。


奇跡的に一命を取り止めたものの

意識不明のまま十日が過ぎて

目が覚めたとき

ベッドに伏せて眠る女性がいた。


医者が驚くような回復を見せて

何の後遺症も無く退院し

庇ってもらった女性と

付き合うようになり結婚。

仕事は、ますます楽しくなって

定年まで夫婦して働いた。


子どもは出来なかったけれど

自分たちが関わってきた

テレビドラマが

子どもみたいなものだと

夫婦は思っていたらしい。



沖縄という島は
光と影が交錯して
複雑だけど。

ハゲだと
頭が直射日光にさらされて
バカになるからなぁ
と、神妙な顔をする
内兼久さん。

俺は、ただのハゲだ。
と笑う頭頂部には
三日月のカタチをした
大きく目立つような
赤黒い傷跡が
今でも横たわる。

ルミ子姉さんからLINEが来て
与那原町のあがり浜に来て!
例のビーチよ!
と、それだけ💦

で、待ち合わせの場所で
1人でいた内金久さん。
コストコに行ってきた。
車で与那原町の自宅を出てから
南城市でずーっとずーっと並んで
買い物して帰って来るまで
8時間かかったって言う💧

でね、
いろいろな種類のパンが
たくさん詰められた
アソートパックを頂いた。

私の 
???って顔を見て言った。

私が、内兼久さんの頭の傷跡を見て
ついついウルトラセブンの
アイスラッガー乗っかっているみたいねぇ
って言っていたのを
とっても気に入ってくれて
とってもうれしくなったんだって。

フィギュアスケート並みに
クチが滑ったと思っていたけれど
意外だったんだよ。
滑りがい?があるじゃない!
5回転半を決めたんだから。


で、あがり浜のA&Wで
ルートビアをご馳走になりながら
面白い話を聞いた。

昔の名前で出ています
という歌を知ってるかな?
星野哲郎さんが作詞して
小林旭さんが歌った。

でね、一度だけ
内金久さんがたまたま行った
銀座での飲み会の席で
あの小林旭さんが参加していて
曲のエピソードを話したらしく
それを紹介してくれた。

若い頃の小林旭さんは
作詞家の星野哲郎さんに付き合って
銀座を始め、大阪や神戸や
京都などなど
酒の好きな星野哲郎さんと
いっしょに飲み歩いたらしい。

で、ある日
昔の名前で出ています
というタイトルの曲を渡されて
レコーディングの練習を
していたんだって。

歌詞をたどって
歌ってみて驚いた。

記憶にあざやかな
日本のあちこちで飲んだ
クラブやスナック。

そこで
名刺を手渡されて
楽しく飲んだホステスの
名前だったんだって。

歌うたびに
脳裏に浮かぶホステスの
きれいな顔がある。

自分に歌わせようと
連れ回して飲んでくれた
星野哲郎さんの思い。
ただ、歌詞を歌うだけでなく
実体験として歌う。
だからこその味わいがある。

歌手とは
ただ歌詞をなぞるだけでは
その人のモノにはならない。
そんなことを
教えてもらったんだよ。
と、ウイスキーを飲んだって。

明るくて楽しい酒は
小林旭さんの気配りがあって
皆んなの分をご馳走してくれて
3次会まで飲み歩く。
皆んなには、一円だって
使わせなかったって。

帰りは
タクシー代だと言って
皆んなにお金を握らせ
ありがとうありがとう、と
何度も何度も頭を下げて
お礼を言ってくれたんだって。


今は、奥さんの死から
始まった15年あまりの
アルコール依存症を抜け出して
NPOの支援団体の仕事を
しているんだと言う。

手先が器用だから
いろいろな手作業をして
無口だけど、友だちも
数人出来たんだと。

小林旭の歌を歌いに
カラオケに行く仲間たちは
皆んなそれぞれ
人生の荒波を越えてきた。

ただのハゲは
歌がうまい。

たまに頼まれて
草刈りや下水道掃除をやりながら
小林旭やウルトラマンの主題歌を
歌うらしいのよ。
すると、歩道を歩く人が
鼻歌で歌ったり、話しかけて来たり
世間話に花が咲いて
面白いみたいよ。

観光客だと分かると
道を教えてあげたり。
美味しい店を案内したり。

そこら辺にいる
小柄でもガタイのいい
ハゲを見かけたら
頭のキズを確認してみて。
アイスラッガーだからさ。

ちなみに
ウルトラセブンのアイスラッガーは
宇宙ブーメラン🪃
と言うんだって。