はーえーごんごん人生 | ぶっ飛び沖縄‼︎

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突然沖縄に引っ越してきました。
楽しいこと、不思議なこと大好きです。


私たちは
生まれるべくして生まれ
生きるべきして生き
死ぬべくして死ぬ。

薔薇の木に薔薇の咲く
なにごとの不思議なけれど
と、北原白秋は言った。

はーえーごんごん
とは
一生懸命走ること。

ちなみに
ごんごん、とはオノマトペ。
カトちゃん、ぺ
じゃあないのよ。

どんどん
ガンガン、みたいな感じ。

夏川りみの歌で超有名な
「 涙そうそう 」
なだそうそう、と
読んでね。


夏川りみが
しっとりと歌い上げるからさ
なんとなく悲しくて泣いて
涙がハラハラ落ちる😢
なんて情緒性があるのだろう
と思ったソコのあなた。
甘いなぁ、実に甘い。
ザーザーというイミなんだよ。
りみ、じゃないよ。
意味だよ。

つまり、号泣なのよ。😭
どんだけ泣いてるか。
たぶん色っぽさは無いな。
涙そうそう&ハナミズそうそう。
きっと、自分でも収集つかないまま
ギャン泣きしてる感じだ。
泡盛かっくらい、身もよもなく泣く。

さっきからAlexaが静かなんだけれど
きっと沖縄方言を学習する気だな。
やだねぇ、きっと
沖縄方言すぎる白雪姫に出てくる
継母の話し相手の鏡のように
賢いに違いないぞ!
詳しくは、YouTubeを
検索して見てね。

新しいバージョンで
オードリーヘップバーンの
ローマの休日をもじった
ミハマの休日というのがある。
北谷町アメリカンビレッジのある美浜よ。
フツーに、沖縄そばを食べに行きたい
という王女さまが愛おしい🥰

Alexaが
いきなり、まさかや〜!とか
だっからよ、とか
突っ込んで来たら?
楽しいにゃあ😃
新しい楽しさが広がるAI。
いい時代じゃあないか。


どんな人生でも
由美子姉さんは
はーえ〜ごんごん。

東日本大震災が起こった
2011年の3月に内地にいたという。
叔父が入院したから
頼まれて大阪の親戚の店を
手伝っていたんだけど。

でね。
長年の付き合いがあった人が
住んでいた町が
津波で流されたんだって
ニュースで知った。

連絡しても繋がらない。
パソコンも接続出来ない。
何かあった、と思うと
胸がバクバクし始めた。

現地の模様が流れる
テレビ画面に目が釘付けになり
いつしか動けなくなっていた。
眠れないし、何も食べられないし
飲めない状態だから
救急車を呼ぶと言い出した
叔母の手を握った。

大丈夫だと。
それよりも、気仙沼市に
行きたいと言い出したから
叔母の冷静な言葉に
我に返った。

今の由美子が行ったところで
足手まといになる。
しばらく様子を見なさいと。

目がうつろになり
やつれてしまった由美子姉さんは
寝るたびに夢を見たらしい。


知り合いの人とは
高校の同級生だった。
お互いが貧乏な家庭だったから
気持ちが通じていた。

友だちは、小学生の頃から
牧志の公設市場の中で
バイトをしながら
家計を支えていたという話から
由美子姉さんと意気投合した。

で、バツイチ同士で
娘がいたから気が合って
仕事をする原動力となったのが
この友だちとの酒盛りだった。

で、40歳の時に知り合った
気仙沼出身の男性と
結婚したことで
引っ越して行った。

夢の中に現れると
ありがとうって言って
自分に背中を向けた友だちのそこには
パックリ開いた傷口が見えた。
夢とはいえ、必ず会いに行くと
約束したものの、現地に行くのは
困難だと知る。

その友だちは
家ごと家族全員流されて
ご遺体は発見されていない。

沖縄に戻ってから
ユタを信じない由美子姉さんは
一度だけ見てもらった。

工場を営んでいた
ダンナさん、息子2人に
連れ子の娘さんは
突然のことに何も分からない状態で
亡くなっていたらしい。
ただ、友だちだけは
娘を守って鉄柱の下敷きになって
そのまま流されているという。

冷たい水に
呑まれて亡くなっているから
温かな白湯かお茶を
上げてやりなさい、と言われた。

由美子姉さんは
窓ぎわに温かな飲み物を
小さなマグカップに入れて
毎日毎日祈りを捧げた。

アンタの分まで
私は生きるからね。
落ち着いたら気仙沼へ行くよ
と、言っていた。
で、2015年に
花束を抱えて向かう。

傷跡の残る海岸近くに
線香と花束を供え
持ってきたペットボトルの
さんぴん茶を
辺りに蒔いた。

沖縄にいたら
早死にすることは
無かったのに、と
ついつい呟いていた。


一泊してから
帰る飛行機の窓から
雲間に友だちの姿が見えた。
なんとハチマキを締めた笑顔が
ありがとうと言っている、と
由美子姉さんは思った。

友だちは脚が早くて
短距離走では
学年で負けることが無かった。
と、話していたことも
思い出せたらしい。

バトンを渡された
と、思ったんだってさ。
落ち込んでる場合じゃない。
私の人生は
まだまだこれからだ。
そう腑に落ちたらしい。

で、2018年に
一目惚れされた年下の男性と
再婚したんだよ。
今じゃ、自分と義理の娘夫婦の
五世帯家族を連れて
海辺でバーベキューパーティをして
全員でビーチクリーンをやるのが
楽しいらしいよ。

あの気仙沼で見た
海岸線の風景を思い浮かべ
ひとつひとつ散らばっている
ゴミを拾って歩く。

この海は気仙沼の海と
繋がっているんだと思うんだって。
亡くなった友だちの家族の
カケラを集めているように思うんだって。
小さな小さな幸せを
自分は拾っているんだと
幸せを噛み締めるているんだって。

で、気仙沼から帰ってから
コンビニに寄ると
必ず小銭を寄付箱に入れるのが
すっかり習慣になった。

由美子姉さんは
大変人なりに
はーえーごんごん。

理由なんて無い。
その大変人の熱い熱いハートに
赤々と燃えているのは
シンプルなひと言のみだ。

ただ、ただ、ひたすらに
生きるべし!
生きるべし❗️
生きるべし‼️
生きて生きて生きるべし❣️