113系運転開始か60年その15 | 鉄道とバスのブログ

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1986年に福知山線宝塚- 福知山間および山陰本線福知山 - 城崎(現在の城崎温泉)間の電化開業に伴い、ローカル列車に113系が充当されることとなった。国鉄が大船・吹田・鷹取・小倉の各工場と広島車両所・幡生車両所(名称はいずれも当時のもの)で0番台に対してドアの半自動化(手動)など、700番台に準じた寒冷地対策(耐寒耐雪仕様)を施工したグループが800番台である。800番台を名乗るが、パンタグラフ取り付け部低屋根化改造は行われていない。(大船工場(AU75冷房改造も実施)と小倉工場はクモハ112・113の先頭車取付改造のみ実施)

この時期には国鉄の財政事情も厳しくなっており、各地から集めた余剰車を改造することとなった。種車となる113系0番台の捻出は、京阪神の新快速への117系100番台の投入による113系の捻出、京阪神緩行線へ205系の投入と103系の関西本線転出による113系の捻出、中央東線の165系の紀勢本線転用による113系の捻出を行うなど、複雑な転属により行われた


編成は輸送需要を考慮して2M2Tの4両編成、2Mの2両編成が組成され、2両編成の先頭車化改造車はクモハ113形・クモハ112形に区分された。国鉄時代には4両編成9本と2両編成14本の64両が改造された。2両編成はモハユニットに運転台を増設することで賄われているほか、一部は冷房改造が併施された。工法は既に115系や485系などで実績のある、あらかじめ配線・配管などを含めた完成済みの運転台ブロック(運転台ユニット)を製作し、既存構体に接合するブロック接合工法ブロック接合工法で施工した。



種車は大部分がグローブ型ベンチレーターを持つ最初期に製造された車両で寒冷地には不向きであったが、冬季の雪や冷風の吸い込みを抑えるためのカバー取り付け(車両前後方向の吸気口が塞がれ、開口面積が半分程度にされた)が行われたのみで使用された。また、種車の関係で非冷房車の率が比較的高く、800番台化改造時に冷房搭載が行われた車両も電源用MGは廃車となった特急型電車の食堂車から70 kVAのMGが調達されている。クハ111形の前面形状もバラバラであった。なお、非冷房で残された車両は後の分割民営化後に冷房改造され、車両毎の形態差が複雑化することになる。

寒冷地仕様として戸閉機構の半自動化(次項)、客用出入口ドアレールに凍結防止ヒーターの設置、妻面の主電動機冷却風取入口に開閉カバーを設置した(夏期は外部から、冬季は室内から取り入れ)。さらにスノープラス、耐雪ブレーキの取り付け、予備笛の追加と既存のものにカバーの追加、床下機器の防雪対策を施工した。

戸閉機械も本来半自動用でないTK4形の改造品を搭載しており、当初からの半自動対応車よりも開閉し難くなったことから、客用扉の取っ手は持ちやすいよう従来より大型のものが設置された(同様の工事を受けた103系仙石線用改造車や105系可部線用改造車に倣っている)。2両編成のクモハ112形にはトイレが新設され、汚物処理装置が全車に装備されたが、電動車で床下にスペースが無かったことから、水タンクは車内トイレ脇に設置された



福知山線で運転の800番台


元番号とは関係なく、改造順に801 - の番号が付された。クハ111形は他番台のような向きによる番台区分はされず、CP無しの東(奇数)向き先頭車は奇数番号、CP付きの西(偶数)向き制御車は偶数番号とされた。福知山運転所に配置され、4両編成の一部は改造後、車両不足を補うため日根野電車区に貸出され紀勢本線を中心に運用されたこともある。全車JR西日本に承継された。のちにJR西日本では七尾線電化に伴う415系800番台への改造に関連して113系800番台の追加改造が行われている。

その16へつづく。