113系が運転開始から60年 その5 | 鉄道とバスのブログ

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 運用 湖西線

湖西線は1974年7月に開業し、普通列車に113系が投入されることとなったが、寒冷地を走ることから耐寒耐雪装備が必要となり、700番台が新製投入された。

1980年3月のダイヤ改正では、桜井線・和歌山線とともに草津が電化された。草津線電化用には2700番台が新製投入され、湖西線の700番台との共通運用が行われた。電化が完成した草津線では、2往復の客車列車を除く全列車が113系電車での運転となった。草津線客車列車は1980

投入当初は高槻電車区に配置されたが、1986年に宮原電車区へ移管された。

国鉄分割民営化後は700・2700番台は宮原電車区に104両(6両編成6本、4両編成17本)が配置され、湖西線・草津線のほか東海道本線・山陽本線で運用されていた。700・2700番台は1992年より高速化改造が施工され、5700・7700番台となっている。


湖西線113系



1994年9月には福知山運転所の800番台クハ111-811ほか4両編成が向日町運転所に転入し、高速化を行わず草津線用で運用された。編成はC11編成となり、塗装は福知山色で運用されたのち湘南色へ変更された。この編成は1999年に下関へ転属してH01編成となり、中間電動車の115系への差し替えを経て両先頭車は2016年に廃車となるまで運用された。

1995年には湖西線・草津線用の4両編成が宮原電車区から向日町運転所に転入している。向日町運転所は1996年に京都総合運転所の本所となり、京都総合運転所の本所は2012年に吹田総合車両所京都支所となった。京都総合運転所の113系は山陰本線(嵯峨野線)のC編成と湖西線・草津線用のL編成で運用が分けられたが、運用の都合でC編成がL編成の運用に入ることがあった。

1997年には湖西線・草津線の運用増加のため福知山の800番台4両編成1本が転入し、高速化改造車5800番台となり、L18編成として運用された[

2008年に網干総合車両所の221系の一部が京都総合運転所へ転属し、嵯峨野線・湖西線で運用を開始した。余剰となった113系は広島運転所への転属や岡山電車区への貸出など、車両の動きが続いた。広島・岡山地区転用車は高速化が順次解除され、京都総合運転所に残存したL編成も2011年までに電気連結器の設置が行われている。

5700番台トップナンバーで構成されるL02編成は、先頭車のクハ111-5701・5751が2010年1月29日付で廃車となった。中間電動車のモハ113・112-5701はL07編成へ転用され、30N体質改善車のクハ111-7705・7755と組成された。従来のL07編成の電動車モハ113・112-7019は日根野電車区へ転属した。

2022年4月1日時点で、700番台と2700番台に高速化改造を施工した5700・7700番台による64両(4両編成でC編成20両、L編成44両)が吹田総合車両所に所属していた。そのうち、C08・C10・L03・L07・L09・L15編成はモハ112形に集電装置を2基搭載していた。体質改善車で組成された編成も多いが、先頭車両のみもしくは中間車両のみを改造した編成も在籍した。

2023年1月28日から4月1日にかけてC編成4本(C08・C10・C13・C17編成)とL編成1本(L07編成)の計20両が廃車された。

網干総合車両所等から転属した221系・223系により置き換えられ、2023年4月1日をもって湖西線・草津線の運用を終了した。その最終運用は2023年4月1日草津線5391M(草津駅21時55分着。L6編成)であり、その運転台助士席前には「Forever 113 LAST RUN 2023 Spring」と書かれた花束が飾られていた。


2023年4月14日から9月22日にかけてC編成1本(C05編成)とL編成5本(L05・L08・L09・L14・L15編成)の計24両が廃車となった。


福知山線


1981年に大阪-宝塚間が電化開業した福知山線は、1986年11月のダイヤ改正で宝塚- 福知山線間が山陰本線の福知山駅 - 城崎間とともに電化され、113系0番台の耐寒耐雪改造車である800番台が4両編成×9本、2両編成×14本投入された。配置は福知山運転所である。800番台は4両編成がK編成、2両編成がS編成とされた。


福知山線113系

分割民営化前の1987年3月に日根野電車区から4両編成×1本が追加転入したため、国鉄分割民営化後は4両編成×10本、2両編成×14本の計68両がJR西日本に承継された。

1989年3月のダイヤ改正で設定された福知山線快速に113系が投入され、翌1990年3月改正では117系も快速運用に入ったほか、115系も併せて運用された。1991年の七尾線電化開業の際に導入される415系800番台の改造種車として2両編成のクモハ113形が供出されたため、余ったクモハ112形はモハ113形およびクハ111形を連結して3連化されてY編成を名乗った。


2000年3月11日ダイヤ改正で日中の快速が221系による大阪 - 篠山口間の丹波路快速に置き換えられ、113系は朝夕ラッシュ時の大阪 - 福知山間快速の運用が主体となった。

2001年の福知山線篠山口以北でワンマン運転および輸送量の適正化が行われることとなり、残ったY編成の大半が2両化され、3800番台のN編成となった。2004年10月のダイヤ改正で113系は大阪駅に乗り入れる運用を一旦終了した。

福知山線脱線事故後


2005年に塚口 - 尼崎間で発生した脱線事故の影響で尼崎 - 宝塚間が6月19日の復旧まで不通となり、復旧の際にATS-Pが設置された。ATS-Pを持たない117系は福知山線の運用から撤退し、代わりにATS-Pを搭載した113系40両が宮原総合運転所に配置され[1]、113系の大阪駅乗り入れが復活した。そのため一旦は運用から撤退していた113系のうちATS-P装備車が運用に復帰。福知山線入線のための改造・再改造、複雑な転配をすることになった。

6月19日以降、体質改善車・湘南・阪和・小浜・瀬戸内といった各色の車両が運用されることになった。さらに2006年春以降は冬季の半自動扉扱いの必要性から日根野電車区から体質改善車が転入した。一部は検査入場時に湘南色に戻され、所属も宮原所属に変更された車両も存在した。

2008年より宮原へ新製配置された223系が丹波路快速へ投入されたのに伴い、網干総合車両所の221系が京都総合運転所へ転属して嵯峨野線113系の一部を置き換えた。篠山口 - 福知山間で運用されていた3800番台は2008年の223系5500番台投入により運用を離脱し、9月までに全車が廃車となった。

宮原の113系は、2011年10月現在で42両(S編成の6両編成5本、4両編成3本)が所属していた。4両編成はモハ112形に集電装置を2基搭載している。全車が体質改善工事施工済み(S34・37編成の中間車のみが30N車で、他は40N車)であった。運用は基本的に大阪駅 - 篠山口間のみであったが、朝・夜の快速列車を中心に大阪駅 - 新三田間の列車や、午後の篠山口 - 福知山線の区間運転に運用された。

2012年3月17日ダイヤ改正で福知山線に225系が投入されたのに伴い、113系は221系とともに福知山線の運用から撤退、同時に本系列の大阪駅乗り入れも終了した。福知山線撤退後は下関総合車両所広島支所に転属してP編成を名乗り、113系F編成のうち体質改善未施工車置き換え用とされたが、一部の余剰車は廃車となった。

その6へつづく。