113系が運転開始から60年。その3 | 鉄道とバスのブログ

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運用

関西地区

大阪地区の東海道・山陽本線では急行料金不要の「急行電車」が戦前の1934年より運転されており、1936年から1937年にかけての流電52系・半流43系の投入を経て、戦後の1950年から1957年にかけて80系電車が投入されていた。1957年に快速電車(となり、1961年には一等車の連結も開始されたが、2扉デッキ付きの80系では混雑時の対応が困難になったため、京阪神快速に113系が投入されることになった。1964年に関西初の113系が宮原電車区に新製配置され、京阪神快速用として運用を開始した。

京阪神快速には1964年に113系51両が投入され、同年9月より営業運転を開始した。80系では一部に一等車が連結されていたが、113系では一等車を含まないモノクラスの11両編成となった。山陽本線の鷹取- 西明石間の複々線化が完成した1965年3月時点で113系は114両まで増備され、80系は山陽地区の普通列車に転用された。

1966年10月のダイヤ改正より、京阪神快速の113系の一部に一等車が連結された。従来の80系の一部編成に組み込まれていた一等車の置き換えが目的であり、サロ153形の改造車であるサロ110形が組み込まれた。1968年10月1日のダイヤ改正で京阪神快速の80系全車が113系に置き換えられ、113系の配置両数は宮原電車区のほか高槻電車区・明石電車区を合わせた3区所合計で430両に達した。国鉄の一等車は1969年にグリーン車へ変更されている。

1970年の日本万博博覧会(大阪万博)開催を前に網干電車区が開設され、宮原区・明石区の113系が網干電車区に移管された。大阪万博の輸送に対応するため、113系1000番台が横須賀線に投入されて捻出された113系0番台が横須賀線から京阪神快速に転用された。万博の開催期間中は、横須賀色の113系による臨時快速列車「万博号」が河瀬 - 茨木:- 姫路間で運転された同年7月には高槻電車区の113系でサロ112形を含む8両編成1本が試作冷房車として改造された

万博輸送終了後の1970年10月のダイヤ改正では、京都- 西明石間で「新快速」の運転が開始され、万博号に使用されていた横須賀色の113系7両編成が投入された。新快速の運転区間は1971年4月のダイヤ改正で京都駅 - 草津間が延長され、増発に伴って横須賀色の113系は新快速のみでの運用が困難になったため標準の湘南色に変更された。

  


1972年3月より宮原電車区の153系で運転されていた四国連絡の宇野線快速列車は、混雑への対応のため1973年10月に113系へ置き換えられた。これにより113系の宮原電車区への配置が復活し、送り込みを兼ねて大阪 - 岡山間の快速列車1往復(明石以西各駅停車)が113系で運転された。捻出された153系は山陽本線の快速増発用などに転用された。グリーン車のサロ112形は下降窓で老朽化が著しいため、横須賀線で定員が少なく不評であったサロ113形13両が1976年に京阪神地区に転入してサロ112形が置き換えられている。

1977年9月より113系0'番台新製冷房車が投入され、捻出された113系0番台初期車が東海道線名古屋地区の80系置き換えに転用された。1978年4月からはシートピッチ改善車2000番台が投入されたほか、1980年1月には新快速に117系が投入された。

京阪神快速のグリーン車は利用客が少なく、1980年10月のダイヤ改正までにグリーン車の連結は終了となった。老朽化の進んだサロ110形0番台は廃車となり、経年の浅いサロ113形は首都圏に戻されて横須賀・総武快速線の直通運転開始用に転用された。

宇野線快速の113系は1980年2月13日に岡山電車区の115系グリーン車なし編成へ置き換えられ、京阪神地区との直通も8月23日に全廃となった。大阪 - 岡山間の直通列車は113系で残り、JR化後の1989年3月11日のダイヤ改正で廃止されるまで運転された。

1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で高槻電車区の東海道・山陽線用113系が網干電車区に、湖西線・草津線用の700番台車が宮原電車区に移管された。このダイヤ改正で複々線区間で快速と同じ内側線・電車線を走っていた新快速が外側線・列車線で運転されるようになった[。1987年の国鉄分割民営化後は424両(7両編成×16本、6両編成×32本、4両編成×30本)がJR西日本に承継された。

民営化後の網干電車区の113系は0番台初期車が多数所属し、F・K編成(4・7両編成)として主に東海道・山陽本線の快速で運用されていた。1989年には221系の新快速・快速への投入が開始され、2扉の117系が置き換えられるとともに113系非冷房車の一部に廃車が発生した。1991年には直流化された北陸本線長浜駅への乗り入れが開始された。







網干電車区所属の初期車両

1992年には京阪神地区で余剰となった117系が岡山・広島地区に転属した。これに伴いそれまで中国地方で運用されていた115系が網干に、そして玉突きの形で網干から宮原に113系が転入した。快速電車での110 km/h運転開始に伴って、113系は高速化改造が施工された。1995年4月20日ダイヤ改正では宮原電車区の湖西線・草津線用5700・7700番台4両編成が向日町に転属し、宮原には6両編成のみ配置されるようになった。

1998年3月の播但線姫路 - 寺前間電化の際は103系の改造車3500番台2両編成が投入されたが、朝ラッシュ時の輸送力確保のため宮原電車区の113系6両編成が姫路 - 寺前間1往復のみ運用された。113系による播但線運用は2004年6月15日に221系へ置き換えられるまで続いた。

1990年代から221系と223系の増備により徐々に数を減らしていき、2004年10月16日のダイヤ改正で東海道・山陽線での113系の運用は終了した。


東海道.山陽線で運転の113系

網干総合車両所所属車は、上郡- 大垣間の2府3県にまたがる長距離運用とそれに使用されていた7両編成+4両編成および4両編成+7両編成の11両運用が末期まで残っていた。播但線運用を含む宮原の6両編成も223系の網干への配置に伴い、運用を網干所属の221系に置き換えられ、岡山電車区や下関総合車両所広島支所などに転属した。

東海道・山陽本線での運用撤退前の2004年10月10日、鉄道 の日を記念して「新快速」がリバイバル運転され、117系と初代新快速の充当形式であった113系が使用された。充当されたのは網干総合車両所のK8編成7両で、新快速新設時の区間となる大阪→京都→西明石→大阪間で運転された(117系は大阪→草津→姫路→大阪間で運転)。運用にあたって、新快速運用時代の種別プレートの掲示、車体のJRマークの消去、トップナンバー車の連結のほか、乗務員が国鉄時代の制服を着用して乗務するなど、可能な限り国鉄時代への復元がなされていた。




113系で運転されたリバイバル新快速。

阪和線.紀勢線

阪和線の113系の初投入は1972年で、網干電車区からの転入車が鳳電車区に配置された。グレー地に青帯を巻いた阪和線快速色に塗装変更され、1972年3月のダイヤ改正で運転を開始した新快速に使用された。


阪和線新快速

新快速は天王寺 - 和歌山間を所要時間45分で結び、途中停車駅は鳳のみであった。新快速のヘッドマークは京阪神新快速の153系のものではなく、専用のものを装備していた。阪和線の新快速は1978年10月まで運転された。

1976年には阪和線の新性能化のため700番台が京阪神快速に投入され、捻出された0番台が阪和線に転用された。阪和線ではこの時点で70系など旧性能車が残っていたが、103系の増備で1977年3月に新性能化が完了し、70系は福塩線に転用された。

1978年10月のダイヤ改正では紀勢本線の和歌山駅 - 新宮間が電化され、普通列車には113系2000番台の新製車、および京阪神快速への113系新製投入に伴う113系転入車が投入された。この電化とともに日根野電車区が新設され、鳳電車区の阪和線・関西本線系統用車両が移管された。阪和線の新快速はこの改正で消滅したが、天王寺・和歌山間の快速列車の2本に1本が紀勢本線へ直通運転するようになった。

日根野電車区に所属していた関西本線用車両は、1985年に奈良電車区に転属した。

1986年11月のダイヤ改正では、中央本線の急行「アルプス」の定期列車廃止で余剰となった165系が松本運転所から日根野電車区に転入し、紀勢本線の113系の一部と客車列車を置き換えた。捻出された113系は福知山線・山陰本線電化用の800番台への改造種車となったほか、クハ111形は阪和線・紀勢本線と房総地区の113系6両編成の4両短編成化に使用され、房総地区転用車は幕張電車区へ転出した

国鉄分割民営化後は64両(6両編成6本、4両編成7本)がJR西日本に承継され、阪和快速色の他に関西線快速色を纏う車両が存在した。

紀勢本線で運用される車両には、独自の装備として「紀勢スイッチ」が設けられている。これは車両と運転台の戸閉灯を連動させず、車掌が戸閉を確認して確認ボタンを押すと運転台の戸閉灯が点灯するものである。紀勢本線はホームがカーブにあり見通しの悪い駅が多く、車掌が車外に出て安全を確認する機会が多いため、安全対策として国鉄時代より各車に改造で設けられている。

JR西日本発足後、配置車両は阪和快速色の4両編成に統一され、阪和線や紀勢本線、和歌山線(和歌山 - 五条] で主に運用された。2002年にはワンマン用2000番台2両編成が配属され、2004年以降、4両編成は網干所への223系投入による車両転配によって網干と京都から転入してきた体質改善車に置き換えられた。



2005年に発生した福知山線脱線事故に関係する車両転配により、再び阪和快速色の体質改善工事未施工車が復帰した。

2008年3月ダイヤ改正時に223系2500番台、2011年3月ダイヤ改正時に225系5000番台が多数増備されたことで阪和線では早朝・朝ラッシュ各1往復(土休日は早朝1往復のみ)まで運用が縮小した。

2010年4月1日時点では36両(4両編成8本、2両編成2本)が配置され、12両(4両編成3本)が阪和快速色であった。大阪環状線・阪和線・紀勢本線(きのくに線)で運用され、4両編成を2本使用した8両での運用も存在した。

225系5000番台の増備に伴い、日根野電車区の113系4両編成は2011年12月10日をもって定期運用を終了した。2012年3月31日と4月1日には、阪和色の編成を使用した団体臨時列車「ありがとう113系阪和色」号が運転された。


ありがとう113系阪和色号





阪和快速色編成(12両、4両編成3本)は岡山電車区に転属したが、MM'ユニットは廃車となり、先頭車は下関総合車両所広島支所から捻出されたMM'ユニットと編成を組んだ。体質改善車編成(20両、4両編成5本)は下関総合車両所広島支所に転属してP編成を名乗り、113系F編成のうち体質改善未施工車置き換え用とされた。

2011年12月10日に4両編成が撤退した後も、2両編成は日根野 - 紀伊田辺間(主に御坊 - 紀伊田辺間)で運用を続けた。2012年10月には105系1の代走で紀勢本線和歌山 - 和歌山市間に入線している。

2000番台2両編成は2020年3月14日のダイヤ改正で227系に置き換えられ定期運用を終了した。2020年4月1日時点でワンマン運転対応の4両(HG編成、2両編成2本)が在籍していたが、HG201編成が同年4月22日付で、HG202編成が同年4月30日付でいずれも廃車となった。






その4へつづく