『七つまでは神のうち』
主演:日南響子、飛鳥凛、藤本七海、霧島れいか
監督:三宅隆太
製作:日本、2011年製作。
少女が森で姿を消した。
ミステリアスな複数の失踪(しっそう)事件を基軸に、人間の奥底でうごめく深いかなしみを
強烈なビジョンと巧みなプロットで描き出すサスペンス・スリラー。
【内容】
10年前の事件をきっかけに、心を深く閉ざした女子高生・繭(日南響子)。
ある日、神に祈るために通っている教会からの帰り道に
不審なワゴン車と車内に拘束された少女を目にした繭は、父と共にワゴン車を追跡する。
一方、閑静な住宅地に住む信心深い主婦・真奈(霧島れいか)は、
娘を神隠しで失う悪夢に悩まされていた。・・・
【感想】
原作モノで、かつ原作では描かれている説明部分を排除した作りなので
1回見ただけでは意味が分からなかった。
でもいい意味で、監督の「巧みなプロット」に引っかかったともいえる。
ま、引っかかったと言っても素直に引き込まれたわけではなく、
不快な違和感にイライラしたという感じなのだが。
以下ネタバレ。
結論から言うと、
イジメをきっかけとして犠牲になったとある少女の死。
その復讐を両親が果たすという、シンプルな内容。
こうしてまとめてみると、ただのサイコサスペンスにしか聞こえないが、
この作品の特徴としては、
シンプルな構造を、いくつかの「錯覚」を用いることでミステリー風の味付けがされ、
ちょっと普通の作品とは一味違う作りに仕立てている。
一つ目の錯覚は、時間軸の錯覚。
ストーリーをポイントごとに整理すると以下のような流れである。
(1)主人公の一人「まゆ」が、父親とレンタルビデオ店に行った際、
目隠しをして縛られている少女を乗せた、ワゴン車に遭遇する。
少女を助けるため、まゆと父親はそのワゴン車を追跡するのだが、
誘拐犯人(作業着の男)に返り討ちに逢い、父親は死に、
まゆと拘束された少女は男につかまってしまう。
(2)親戚の男の子のベビーシッターを頼まれた「かおる」は、
男の子と二人きりで夜を過ごすことになる。
男の子の家には大きな不気味な市松人形があり、
親戚の親に人形のことを聞こうとした途端、その市松人形に襲われ、かおるは気を失う。
(3)「まな」は、鎧山で娘(赤ちゃん)「さくら」を奇妙な女にさらわれる夢を見る。
夢から覚めると、成長して小学生になった「さくら」が友達と一緒に鎧山へピクニックに行くという。
嫌な予感がしたまなは、さくらを呼び止めるが、さくらは振り返らず山へ向かう。
しかしその予感は的中し、夜になってもさくらは帰ってくることはなく、
ただいつも肌身離さずに持っていたお守りだけが玄関に捨てられていた。
(4)「れいな」は女優の卵。パッとしないホラー映画(ビデオ?)の撮影で、鎧山の近くにある廃校に来ていた。
いざ撮影が終わると、いやらしいロケバス運転手に誘われ、それを断るため一人で駅まで歩いて帰るはめになった。
山中を抜けると、亡霊のような声や、幻覚に襲われ、気づくと元の廃校に戻ってしまった。
ロケ隊はすでに出発しており、れいなは廃校で夜を迎える。
そこには「作業着姿の男」と「さくらの母親まな」がいた。
実は、この物語、現実の時間軸通りに展開しているわけではない。
現在の話と過去の話を織り交ぜながら展開しており、
時系列的に並べると
(3)→(2)→(1)→(4)という展開になる。
さらに説明すると、(3)は主人公たちが小学生時代の話。
(2)はそれから10年後の話。
(1)はその翌日のことで、ワゴン車に拘束されていた少女こそ(2)の主人公「かおる」なのである。
(4)は(1)と同日、またはその翌日の話で、その後、「れいな」は拘束されている「まゆ」と「かおる」に遭遇する。
この時系列のシャッフルこそ、当作品の最大の、そして絶対に欠かせないポイントであると言えよう。
二つ目の錯覚は、逆転の錯覚。
上記の説明でも触れたが、この物語の前半は、4人の少女の失踪を描いている。
実は、(3)で触れている「さくら」の友達とは、まゆ達3人のことであり、
「さくら」の失踪にはこの3人が深くかかわっているのである。
そしてその事件がきっかけとなって、10年後、3人の誘拐(失踪)事件へと発展するのである。
ま、ぶっちゃけると3人を誘拐した犯人=作業着の男ってのは、「さくら」の父親なのである。
で、なぜ3人が誘拐されたのかというと、
3人は小学生の頃「さくら」をいじめていたのである。
「さくら」の日記からそのことを知った両親が3人に復讐したということなのであった。
三つ目の錯覚は、生と死の錯覚。
最後に挿入されるシーンによって明らかにされるのであるが、
実際の時間軸の中で現れるさくらの両親(まなと作業着の男)。
実は、練炭自殺で何年も前にすでに死んでいるのである。
そう。これは幽霊(怨霊)による復讐劇なのである。
劇中、何度か理解不明な心霊的描写が描かれるのであるが、
要するに、今までの話全てが心霊話なのである。
と、言ったが、実は原作ではさらにもうひとひねり加えられており、
劇中で殺される3人の少女自身も幽霊なのである(らしい。)
というのが、原作では、まゆが棺の中に閉じ込められる夢で始まる。
そして、上記の一連の流れを経て、
最後は、さくらの両親に殴られ、棺の中に閉じ込められて死ぬ。
その後、冒頭の夢から覚めるシーンへとつながり、
無間地獄のループというかたちになっている。
つまり、まゆは永遠にさくらの両親に復讐され続けているのである。
さて、ここからが僕の感想。
この物語。いろいろな要素をごちゃまぜにしており、非常に見ていて違和感を感じる。
まず、かおるが誘拐される方法が、市松人形でビックリさせ失神させるという非常にオカルトな方法をとっているにもかかわらず、
他の場面では、さくらパパは、ほとんどバールで殴打するだとか、ワゴン車で移動したり、尾行されたりと、非常に現実的であるのだ。
また唐突に差し込まれる鎧山で自殺した人々の残留思念という描写も、
蛇足というか、無意味に心霊的恐怖描写をねじ込んでいるようで、すごく違和感を感じる。
加えて、全体的に陰湿というか、Jホラー特有の薄気味悪い恐怖表現の中に、
突如としてハリウッド的ホラー描写が入り込む。
今までバールで後ろから殴打するといった地味だけど怖い演出であったのが、
れいなの殺害方法が、ガソリン巻いてマッチで火をつけて丸焼き。
かおるは鉄パイプを突き刺して串刺し。といった度派手な殺害方法を用いている。
そのくせ、最後のまゆは棺桶に入れて生き埋めという地味だけど陰湿で残酷な方法。
このテンション(温度)差ってどうなん?って感じである。
市松人形の場面も、振り返ったらものすごい表情の人形がいつの間に!?って展開も
違和感でまくりで、もはやコントであった。
と、なんか全体的に統一性がないというか、余計な描写が多いというか、
雰囲気を壊す演出が多いのである。
洞窟の崩壊シーンもどうもCGで派手に描きすぎて、んーーって感じであった。
で、何よりも違和感を感じたというか、イライラを感じたのが、
非現実的な、不自然な描写である。
これは多くの人が指摘しているようであるが、たとえばこんなの。
①拉致誘拐事件を目の前で目撃したのに、すぐに警察に電話しないまゆ。
②通報しないのに尾行して、挙句の果てには、誘拐された女の子(かおる)が車から落ちて、
救出できたのにもかかわらず、通報せずに尾行を続ける無謀すぎるまゆパパ。
③すぐに逃げず、拉致誘拐犯人が追って来るまで何もせず、待っている馬鹿なまゆ。
④自殺者が多いと有名な山林を、一人で帰ろうとする勇者過ぎるれいな。
⑤撤退したロケバスを追わず、なぜか誰もいない廃校に入る勇者過ぎるれいな。
⑥火をつけられたのに転がって消そうともせず、おとなしく燃え上がる情熱的なれいな。
⑦上から降ってきた鉄パイプに、なぜか横から串刺しにされるかおる。
⑧さくらが失踪した際、立ち入り禁止となっている洞窟を探さず、捜索打ち切りにする適当な警察。
⑨鎧山に誰といったか調べようとせず、なぜか街中で行方不明のビラを配る適当なさくら両親。
⑩日記でいじめられていた記録を見て、すぐに失踪=いじめっ子による殺人と結論づけた被害妄想過ぎる両親。
⑪「七つまでは神のうち」だから、さくらの失踪は悲しいことじゃないよ、と恐ろしいカウンセリングをする女医。
⑫棺桶の中にまゆを入れて生き埋めにした際、わざわざ携帯電話を入れてあげる洋画『リミット』好きなさくら両親。
以上。
ま、この話って実はそうなるようにできているおとぎ話のようなものなので、
登場人物がいかに賢く苦難を逃れるかっていうクレバーさは、無用の長物だと言われるとそれで終わりなんですけどね。
でも、ホラー映画って、登場人物が死亡フラグ的バカな行動ばかりしていると、
観客的には、ああ、フラグだからね、さてどんな死に方するのやら・・・
と楽しみや緊張感(スリル)がなくなるので嫌なんだよね。
あと、話は変わりますが、この映画の感想で多いのが
後味悪いラスト。
ま、夢ループおちはないんですが、
結局、比較的良心があって、
しかもさくらの事故死で自分を責め、リストカットとかして十分に苦しんでいるうえに、
キリスト教を信仰している、ハリウッド的には生存フラグ立ちまくりの主人公まゆ。
彼女、最後殺されちゃうんだよね。
それをして、救われないラスト。後味悪いラスト。っていう感想・評価が多い。
DVDのコメンタリーでは、
監督は、今までリストカットして死のうとしていたまゆが、
死にたくない、助けて、と泣き叫ぶ姿が、ある意味、生に執着して、一番輝いているシーンだ。
なんて言ってるけど、
それってほんと皮肉だよね。
いやね、残酷なのはまゆが死ぬって結末だけじゃないんだよ。
まゆはキリスト教を信仰していて、ラストでも十字架に祈りをささげているのね。
キリスト教は信仰により、罪を許されるっていう宗教だから、
つまりは、このラスト。まゆ、許されてないわけよ。
これは神の不在(否定)を意味しているのか、それともまゆは許されない(=地獄行き)を意味しているのか。
とにかく、そういった意味で、単純な「死」以上の残酷な仕打ちがされているわけ。
監督が意図しているかは知らんけどね。
この映画が怖いって言われる由縁って、そういう部分にあると思うんだよね。
確かに残酷描写って少ないもん。
いや、いじめなくすためにもこの作品を子どもに見てほしいって言ってたけど
あかんで。
ま、俺なら最後。
まゆをブチ切れさせてこういうセリフ吐かすけどね。
死んだら、あの世でも、お前たちの娘をいじめ続けてやる。
ずっと、ずーっと、永遠に。
それが私のお前たちへの復讐だ。
お前たちのせいで、お前たちの娘は永遠に苦しみ続けるのだ。
お前たちが娘を苦しめたのだ。
【評価】
途中の蛇足を除けばコワ面白い。4点。