彼女おらん男子はほぼAV観てる。

むしろ観てへん奴は

異常なゲイか、女に興味ないやつ。
『誰も守ってくれない』
主演:佐藤浩志田未来
監督:君塚良一
製作:日本、2008年製作。

犯罪者家族を取り巻く、マスコミや第三者たちによる暴力を描いた社会派ドラマ。
犯罪者家族は犯罪者なのか。
犯罪者の家族なら迫害されて当然なのか。死んで償うべきなのか。
そういった重い内容をテーマにしている。

【内容】
小学生姉妹が刺殺される事件が発生。
捜査線上に18歳の少年が浮上する。
主人公勝浦と同僚の三島は、事件の容疑者家族の保護を命じられる。

容疑者の自宅には、大勢の取材陣や野次馬が押し寄せていた。
マスコミたちによって容疑者の妹沙織は追跡され、
それを避けるために一時的に勝浦の自宅に避難する。
沙織と同じくらいの娘(別居中)を持つ勝浦は、沙織に特別な感情を抱いていた。

勝浦は過去に捜査ミス(麻薬常習犯の容疑者を泳がせたために、市民を犠牲にした)を
犯しており、それを覚えていた記者梅本によって追われることになる。

一方、事実に耐えられなくなった容疑者の母は、家宅捜索の途中で、
刑事が目を離したすきに首をつって自殺する。

その頃、ネット上では
「容疑者とその家族を糾弾せよ」という掛け声のもと、
個人情報を得て関係者をさらし者にしようとする動きが活発化していた・・・


【感想】
こういう映画、というか話が僕は大嫌い。

僕の身の回りには起きてはいないけど、
現実にはこういうことって起こっているんだろうなって思うと
ほんとうんざりする。

僕には犯罪加害者家族の保護というテーマよりは、
マスコミによる暴力と、
顔なきやじ馬たちによる喜悦的加虐というように感じ取った。

つまり、
良心の欠如と、商業主義、匿名性による無責任さは、
人を残酷にし、鈍感にし、サディスティックに変質させ、
さらにはそこに相手の弱みが加わることにより、
明らかな「悪」や「間違い」、「論理矛盾」すらも
「正義」という客観的ベクトルによって無視されてしまう。

その怖さと、それを客観的に見たときの空しさ、浅はかさを感じさせた。

そこが嫌いなのだ。

もちろん、これが物語だから、ある部分を誇張して表現していることはわかる。

でも本作のような殺人事件に限らずとも、
現実にはこういう場面はたくさんあると思う。
ましてやアングラ系雑誌や週刊誌なんかを手にすると
そんなことはザラにある。

犯罪者の家族は、犯罪者なのか。

僕にはそう思えない。
犯罪は、個人的行為であると僕はそう思う。
確かに、人の性格は、遺伝的要因をはじめ、
環境や教育など後天的要因が大きく関与しており、
一番時間と空間を密接に共有する家族は、
そこに大きく関与するであろう。

でも自分のことを思い浮かべてみるとよい。

自分はそこまで家族とつながっていただろうか。
家族に秘密はないか。
友達に話していても家族には言わないことって多いだろう。

むしろ人格の暗黒部分って、
家族だとかに知れない部分で育まれていくもんだろう。

であれば、家族であっても、容疑者とその家族は「他人」なんだ。

他人のことは分からないし、
ましてやものごころついた人間を完全にコントロールや支配することはできない。

本当は誰だってそんなことわかっているだろう。

家族は、犯罪者じゃない。

では犯罪者の家族を責める理由は何か?
そこには二つの可能性が考えられる。

一つは、「憎悪」対象の拡大。
容疑者自身を憎む。その憎しみが強くなり、憎しみの対象も拡大する。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというやつだ。
ましてや未成年による犯行だと、少年法だとかで容疑者は守られる。
また、容疑者が自殺などすると、憎しみの対象自体が消滅してしまう。
ゆえに、その「憎悪」対象の拡大範囲として、家族を憎むという心理である。

二つ目は、社会的弱者に対する攻撃による自己正当化(マスターベーション)である。
いわゆる「悪人」「責められるべき人間」を攻撃することで
弱者への加虐による愉悦を得るとともに、
そこに「正義」「正当性」を付与し、自慰的快感を得るのである。
第三者によるネット攻撃、やじ馬による嫌がらせがこれに当たる。

でも問題は、その容疑者家族に対する嫌がらせ、攻撃こそ
犯罪なのである。
ゆえに犯罪としてそれは防止、抑制、処罰されるべきである。
正義を理由とした犯罪が許される訳ではない。
極論それが許されるのであれば、テロすらも相対的には「正義」なのである。

よって、個人情報のネット上への掲示。
私有地への侵入、物損行為。名誉棄損。肖像権の侵害。
これらはすべて犯罪、あるいは権利の侵害行為であるため
公的権力によってしっかりと管理・統制されるべきであるのだ。
事前処理は、中国のような監視社会となる恐れがあるので
事後による処罰によって徹底的に始末されるべきなのである。


あ、熱くなり過ぎた。

ま、結論からすると、
この映画。「犯罪者の家族は犯罪者だ」という理論を強く前面に出し過ぎ。
確かに良心なきチンカスどもがいることは否定できない。
彼らは正義ではなく、自己加虐性・優越性の満足としてそれを行っており、
彼らこそ犯罪者予備軍なのである。

でも同時にその背景にはたくさんの優しい人間、理性的な人間も多い。
少なくともこの映画を選んで観るような人間は、
それくらいの理性と良心を持ち合わせていると思う。

ただ、犯罪者の家族が一般社会から疎外されるのも事実だ。

くだらない話だが、人はうわさ話が好きだ、特に陰口が。
それを気にしないのであればいいが、
そんな精神的に強い人間なんていないだろう。

そのようにこの映画はある意味デフォルメなのである。
そして何より僕が気に食わなかったのは、
本当に容疑者家族を憎んでいるであろう、
犠牲者となった姉妹の家族や身内がほとんど描かれていなかったことである。

ま、この映画のメッセージは、復讐だとか憎悪ではなく、
犯罪者家族に向けられる理不尽な攻撃なのだからしようがないか。


【評価】
社会派ドラマは評価が難しい。
最後まで飽きずに見ることができた。しっかりした作り。
でも中身のメッセージ性が偏って強すぎて、観ていて気分が悪くなった。
3点/10点