如何にうまく死ぬか。
どうする家康を
見て思うのは、その部分である。
特に、今週の
【中入り】
を扱った回は、そうだろう。
豊臣から、中入りの奇襲をかって出た2組の武将。
それは、その時すでに死にたいのである。
織田信長が死んだ。
と云う事が、その織田信長の辺りで、かなり波乱があったと思われる。
家康につくか、
豊臣秀吉につくか?
明らかにどちらについても分が悪い。
そう云う時期だろう?
そう云うパワーバランスの膠着状態である。
小牧長久手城の辺りだけの話ではないのだ。
実際、どうする家康の話だけで云うと、
武将の戦の装束が、急に傾き出してる。
要するに派手になっている。
本田平八郎を見れば判るが、
武田信玄の兜は別として、
その兜は明らかに重いだろう。
あんなデカイものを頭につけ、なおかつ槍をぶん回すのである。なおかつ、でかい数珠を体に巻き付けている。ある意味あの数珠は、亜鈴、に類するウェイトのイメージだろう。
その前に、小牧山城の堀を延々掘り進める
という話が出ているが…
その部分が、そこでひそかにう回路を作り…
と云う話ではないのである。
本田平八郎は、長槍使いのように語られているため、
明らかに剛腕でないといけない。
なおかつテレビのシーンでは、
相撲のシコの構えの状態を、
しばらくの間保つ
と云うシーンがあるが、
ホンマシコいで。![]()
それは、
そのデカイ鎧を付けつつ、
足腰がかなり丈夫である。
非常にタフになってしまった。
と云う事を見せつけてしまっているのである。
(そう云う意味合いの話だろう。ドラマだと、かなり若い俳優のイメージになっているので、微妙であるが…)
もう一人の井伊直政は、ボクシングの井上のイメージにしてあると思われる。ヘビー級のボクサーではないが、細くて華奢な割にに手数が多い。
一見すると細いのに、
やたら切り込んでくる(殴る回数が多い)
という恐怖感を相手に植え付けされた
のだと思われる。
それも、
堀を延々掘っていたので、
細いわりに、
筋肉がついて
密かにマッチョ
なおかつタフになってしまっているのだ。![]()
豊臣方の腐れ坊主や、
もう一人の白装束の武将は、
家康側が小牧山城の堀を掘っている間、
何もしていない。![]()
豊臣内部で、
如何にうまく死ぬかばかり考えているのだろう。![]()
徳川軍が小牧山城の堀を掘っている間に、
徳川軍は、
かなり筋力が付いてしまったのである。
豊臣側は、おそらくは農民主体と云う?イメージだと思うが…
徳川の側は、農民含め、土建業主体、
若しくは、三河万歳みたいな舞踏集団?の傾いた集団。
毎度、歌いながら踊っているのである。
そう云う筋肉が資本だ。
だから、
土を肉体労働で掘ってる間に、
どんどんテンションが上がり、
筋肉まで付き、
その自身のマッチョ具合
(おそらくは試しに兜割。
とかしているのだと思われ)に、
どんどんテンションが上がっていることを、
そう云う農民主体、
生臭坊主な武装僧兵の
豊臣サイドが
知らない。
私からすると、
別に小牧山城を直接豊臣側が攻め込んだでもよいが、
ある意味、
徳川軍の密かなマッチョ具合の方が、
戦法としての?
中入りになってしまっている。
豊臣側が、ありえない総崩れ観を喫してしまったのは、
筋肉の量の差に気付けなかったから
だと思われる。
銃主体の戦法といえど、火縄銃だ。
火縄銃の連続砲火に対し、防御できつつ近接戦闘に持ち込む事は、その当時の火縄銃だろう?おそらく装薬が弱いため、
厚めの木の板で防御しつつ火縄銃の弾を込める間に近づけば、
近接戦闘は余裕で可能だろう。
恐らくは、織田信長が本能寺で殺されたときに、延々走り継いで京に戻ったという秀吉辺りは、その時は、それで足腰はマッチョになることが出来たと思われるが…
銃による戦法に傾倒していた場合、
そのマッチョでタフが、
銃による戦法が利かなくなるような
近接戦闘に変貌した場合の
パワーバランス(ぶん殴る回数)を
どうすることもできない状態にしてしまう
という事を、知らないか、忘れてしまっているのだろう。
相手が、京育ちの軍勢と思しき、明智光秀だったので?
あまり筋力のパワーバランスで負けた感じになってなかった
と思われる。(ドラマだとかなり高齢だし…)
中入りを提案してきた豊臣側の武将は、
MAX渡辺に似ていたし(サイクリング好き)、
エンジェルスの大谷(ピッチャー)にも似ているのである。
そう云う世情を、
そう云うキャラクターに密かに込めているのが、
現代のドラマだろう。そう云う界隈では、模型業界は、秘かに観察されまくっていることがあるのだ。
中入りを豊臣側で提案し、奇襲を予定した武将たちの豊臣内部での語りもそうであったが…
如何にうまく死ぬか?
と云う事で、中入りを提案したが、その如何にうまく死ぬかと云う事を理解せず、その総大将だった豊臣は、俺が中入りを提案した!と云う事にしろ!と、言いつつ
結局大敗を喫してしまった豊臣軍。と云う事であるが…
中入りに失敗した豊臣軍。
という世論に変貌してしまい…
その中入りを提案したのは、
そう云う奇襲に失敗した家臣
と云う事にされたのである。
そう云う意味では、自転車の筋力が凄いだけと云うのと、豪速球を投げることが出来る腕と云う筋力の付け方では、そう云う当時の戦、
近接戦闘では、勝てません。
腕力と、脚力と、お腹辺りの筋肉もつけないと、刀とか、槍などで相手をぶん殴って倒すことはできない。
斬るではないのである。
刀、槍などの
重い鉄の棒で
ぶん殴る回数を
競っているのである。
刀はその当時は斬るではなくぶん殴って叩く。文字通り
兜をぶち割る。先端だけ砥いであり、串刺し
にする筋力は必要だったらしい。戦国時代のドラマだと、最近は、刀身を素手で掴んでいる映像があるが、本当に刀身全てに刃がついてないらしいのだ。鎧に切り込んだりするため、刃が付いていてはすぐになまくらになるので、いわば、最近で云うと、ステンレスの60センチの定規の先端だけ斜めに切って、その部分だけ砥いだみたいな感じ?らしい。鉄の棒で殴って骨を折るみたいな使い方らしい。
そう云う意味では、豊臣側の奇襲をもくろんだ家臣は、
すでに高齢化しているイメージであるため、
死ぬ場所を探していたが、うまく死ねたのか?
豊臣秀吉がうまく死なせてやることが出来ないような采配
をしている状態を、豊臣秀吉が気付いてない。
と云う場合は、
豊臣軍が、どんどん具合の悪い死に方をしていくのかもしれない。
勝てると思って奇襲したが、
刀と刀がぶつかったときに、
相手がもっと
本当に筋肉が使えるマッチョ
だったことに気付いてしまった。
農民は、暇なときは何もしない。暇なときに戦をする。如何に楽に戦をするか?と云う事は考えたかもしれない。俺達にはいざという時に銃がある
という家臣だったのかもしれない。
と云う感覚で、
小牧山城の中入りに、
豊臣側が失敗してしまった可能性がある。
そう云う意味では、ある意味、堀を掘りまくっていた家康側は、かなりマッチョになってしまっていたため、
そう云う意味では、
奇襲を仕掛けた
豊臣軍の筋肉の無さに対し、
鎧で筋肉を隠す事で、
奇襲を仕掛けてきた相手に
奇襲を仕掛けてしまった
かもしれない。
そう云う
奇襲に対する中入りだった。
と云うイメージしかないね。