太宰治の命日だったので、ふと家にあった走れメロスの文庫本を読んでみた。走れメロスは、中学校かなんかの教科書で読んだことはあったが、自分でまともに個人的に読んだ覚えは、あんまりなかった。それが、60歳手前の、太宰が死んだ年齢の38歳よりも、20歳近く、ただ無駄に長くつらく惨めで、鬱っぽく生きてきた、自分なりの感想を書いてみよう思った。
短い小説なので、一気に読んでみたのだが、正直に言うとおもしろかった。走れメロスって、こんなにおもしろかったんだと素直に感心した。(感心したとか、言うと太宰が生きていたのなら、何を偉そうに、必死になって怒りだすかもしれないが……)
ところで、きっと誰かが書いているんだろうと思ったのだけれども、走れメロスをしっかりと読んでこなかった自分の素直な感想は、メロスは、どうして、こう計画性がないんだろうということだった。
もう、一度、走れメロスを読み返してみると、一応、メロスは単純であったと、言い訳は書いてあるのだが、それにしても、あまりにも単純で、おつむが悪すぎるように思えた。
王様を殺すつもりで、のそのそと買い物をかついだまま王城に入っていくのだけれども、それで、つかまって、殺されることになって、妹の結婚式に出るために3日間だけ、猶予をくださいと言うのだけれども、ここでつっこみどころが満載なのだ。
単純、というか、あまりにもばかというか、もう話にならない。さすがは、人の迷惑を考えずに、つい行動してしまう、太宰ならでは、思いつく設定だと言える。
そもそも、王様を殺そうと思ったのなら、もう少し計画を練って殺すべきだし、そもそも、殺すことを考えるのなら、妹の結婚式を終わらせてから、王様を殺しに行くべきだったと思った。何も考えずに、王様を殺しに、のこのこと王城に入っていくから、親友のセリヌンティウスを人質として差し出すことになるのだ。親友のセリヌンティウスにしても、いい迷惑、ということだ。
走れメロスは、シラーの人質が元ネタみたいなので、シラーの人質をしっかりと読んでみないと太宰の走れメロスの独自性を言うことは、本当はできないんだろうけれども、このブログは別に文学評論というわけでもないし、思いついたことを書くということなので、そこはお許しいただきたい。
まあ、それでも、走れメロスは、おもしろかった。
もし、走れメロスの主人公を現代に置き換えたら、例えば、トランプ大統領を暗殺しようと考えるとして、実際にアメリカで実行した人間が何人もいて、クレイジーですごいと思うのだが(自分は、そんなふうに理想に走ることができない。狭い部屋や閉じ込められることや、拘束されることが本当に嫌いなのだ。)、そんなふうな行動に走るということは、100歩譲って理解できるとして、家族のことを考えた場合、テロリストの家族という烙印を押されることで、社会的には、かなりの迷惑がかかるだろう、ということは、普通の人だったら思いつくだろう。悠長に、妹の結婚式に死刑になる直前に、参加してきた、とか、そんなことにはならないだろう。
現代の社会というのは、いろいろと難しくて、自分の行動が、どんな結果になるか、360度、全方向に考えたところで、思わぬ結果がが生ずることになる。
今、書いたこととあんまり関係のないことだが、自分が嫌いなタイプの人として、相手がどう考えるか、どう感じるか、とか一顧だにしない、タイプの人間がある。まあ、いい人なら、それでも、まあ、なんとかつきあっていくことができるけれども、その相手の感情を気にしない上に、その場の雰囲気を淀ませてしまような、威圧感のあるタイプだと、まったくたまったものじゃない。
走れメロスの主人公のメロスって、いったい、どんなタイプの人だったんだろうと、考えてみたのだけれども、やっぱり太宰と同じように友達にするなら、ちょっとやっかいな人であったことは、まず間違いはないんだろうと思った。