10年ぐらい前は、最寄り駅がひばりヶ丘だったので、バスで太宰の墓まで、たまにでかけていた。今は、ほとんど行かなくなった。
太宰のことは、ふと思い出すことがあるが、小説自体は、ほとど読まなくなった。ただ太宰が勧めていた、チェーホフと聊斎志異なんかの中国文学は、その影響でときどき読んでいる。
あと6月13日は、スーパーで、さくらんぼが売っていたので、2パックも買ってしまった。日本のさくらんぼと、アメリカのチェリーだ。
今から、考えると、太宰は若くして死んだんだなと思ったりする。人生のなんたるかを、あまり知らない若造が、健康に悪い生活をして、早く死んでしまった、という考え方もできる。
ただ、そんなふうに、いさぎきよく?早く死ぬってことは、それは、それで、なかなかできないことだと思う。
自分も、このまま自殺した方がいいんじゃないかと思ったり、人生の敗残者だと思ったりするこことがあるが、そんなときは、部屋の掃除でもしたらいいんじゃないかと、思ったりした。
いつも、そんな考えが浮かんだときに、掃除をすることにしたら、きっと高級ホテルなみに、部屋がきれいになることは間違いない。