【Boltenチャンネル】余命2~3年の宣告を受けて
今日は、、余命2~3年!と言われたその3年目の日、当日。
3年前の6月に緊急入院をし、迎えた翌月の7月4日に午前と午後との二回に分け、手術をした日がこの7月4日と言う日。
なぜ?余命宣告を受ける事に成り、それが2~3年なのか?
(2~3年ってのも、随分振り幅が大きいと言うか、余命って1年も差がある?(笑))
手術自体は、午前のカテーテルでの手術と、午後の施術が背中の手術。
<正面>
<側面>
背中にチタンのボルトBOLTが10本入っている。
それ迄、そしてその後も周りに聞いてみても、4~5本位の方はいる様だが、10本ってのは聞いたためしがない。
色々な場で、リハやボルトの話題になると、私は最後に自己申告をするよう心掛けている。
すると全員が、シーンとなる。
まるで、黄門様の印籠。
上には上がいる、参りました!(と心の中で呟くのが聞こえる様だ)
今のところ、何処へ行っても東の正横綱だ(爆)
横綱の名は、ボルトBOLTが10本TENで『Bolten』
この背中の『Bolten』が、目に入らぬか!?
あまりにも手術前の状況が悲惨だったり、10本もボルトが入っているので、手術前の予想では、術後は当然車椅子生活になる、と考えられたが、何とか杖を使っても、今は普通レベル近くには歩けている。
その外科整形的な事、二次的な事では無く、問題は、何故こんな大手術をせざるを得なかったのか、その根本的な一次的な原因だ。
背骨にビッシリと腫瘍が貼りついていた。
此処は手術で取り除けない箇所なので、それについては為す術が無い、手の施しようが無い。
その腫瘍は、前立せん癌が由来で、背骨へと転移していた。
取り除けないなら、色々な治療で、その腫瘍が悪さをしない物へ変質させようと、術後の治療は始まる。
「前立腺がん」の腫瘍マーカー的な、状態を診る基本数値に「PSA」と言う物があり、この数値が絶対的なもの。
↑ 上記の様に一般成人の正常な数値は、0,01~4,0まで。
10本のボルトも驚かされるが、ジャジャ~~ン!!!
PSA「4498」
何と、正常値「4」の1125倍イ~~
もはや横綱級どころか、天文学的な目を疑う数値。
これが、手術直前のPSA数値。
その場で、亡くなっていても不思議でなかった!と言われた。
こう言ったスコアを叩き出した人間は、
★一般的な解りやすい表現で言うと、「ステージ4」になるらしい。
薬や放射線やetc治療をし、一旦数値が下がっても、耐性の
問題で、又、右肩上がりで数値が上がり
★色々な治療を経て、大体、ガイドライン的にあと余命が2~3年と。
三年前の今日、新たに生まれ変わって再生し、新たな人生を歩み始めた。此の日は「第二の誕生日」の様な気がする。
ただ、新たに生まれたこの子は、どうやら短い命の子らしい。
その丁度3年目の日が、今日7/4。アメリカの独立記念日。
2年目の日も勿論、ドキドキと迎えたが、そこをクリアしてからの1年。
この1年は、その前の1年より重みがあった。
こう言う体験が出来るのは、ある意味貴重。
ズッと、ズッと、何をやっていても、頭の隅に張り付いている、その日「✕デー」が。
先の予定を決める際にも、その日まで俺、地上にいるかな?とかの思いが頭の隅をかすめる。
あと、7/4まで何日?!と。
誰もいなくて、私が担当せざるをえなかった明後日7/6(日)の婚礼司会。受注を受けた冬の時点では、俺、そんな先の日にやれるんだろうか?と、かなり不安だったが、、、、フフフ、もう明後日!
自慢じゃあ無いが、身体の痛みと辛さは半端ない!
朝から晩まで。
特に冷房の時期は、外が暑いのに、中は冷え冷えで、冷房を入れた途端に足の指先はかじかむし、一気に浮腫み感マシマシ。
もう、風呂に入り湯船に浸かりたくなる。
動かず、ベットで横になっているのが、一番楽。
歩いていても、足を攣るのは当たり前、突如右足に声を出して叫びたい様な痛みが走り、道端でうずくまり、靴下を脱いで確認するも、何も異常がない、、、。
寝る時も、ベットに寝てBoltenの身がベットに馴染む迄、かなり時間を要す。
寝ても、何度も足を攣るし、冬でもびっしょり寝汗、睡眠不足、朝起きてから寝るまで、否、寝ても戦いヨ。
でも、ドクター彦次郎が言っていた(テレビの中の台詞(笑))
「どうしても我慢出来ない痛みには薬も必要だが、多少の痛みは生きている証拠」と。
だって、生きているんだモン~~
色々、どこだ、ここだ、と辛い痛いと言う方、かなり私も辛いです(笑)
でも、そこと向き合ってばかりだと、そこにばかり神経が集中し、辛い。
結果が変わらない物や事柄に拘っても、結果が変わらないから、損じゃんネエ!と思う。
それよりも、痛くても生きているだけで丸儲けヨ
そんな中、どうもこりゃあ行けそうだゾ!って思えた、残り2~3カ月あたりからは、何だか楽しくなって来た。
それで、何だか何時もは習慣になって意識しなくなっている、毎朝唱えている般若心経のフレーズが、急に意識的に降りて来た。
■羯諦羯諦 波羅羯諦
ご機嫌に過ごして
「行こう、行こう、さあ行こう」
■波羅僧羯諦
「皆で一緒に行きましょう」
■菩提薩婆訶
「幸せの世界へ向かって」
なにか、般若心経と言うよりも、まるで「フニクリ・フニクラ」の様な感じになったが、、、(笑)
そして、この精神で、身体の辛さにも負けず、よく出掛けて楽しいものに沢山触れた、観た。
・手術直後は、BESTの体重よりも22kg少なくなって、今もあまり戻っては無くても
・173cmの身長が、4,5cm短くなったって
■羯諦羯諦 波羅羯諦 !!!
電車に乗って、それがシルバーシートでも、目の前の若者が急に寝たふりをしても、スマホをいじって気付かぬふりをしても
■波羅僧羯諦 !!!
電車で1回出掛けると、2~3日は、身体が使い物にならなくても
■菩提薩婆訶 !!!
(笑) (笑)
さて、昨日は月一の受診日。何とも「月で一番気の重い日」。
何時もは、最低受診日前日は、風呂にも早い時間にゆったりと入り、酒を抜き。心穏やかに迎える日。
でも、何か試験前の一夜漬けみたいな事、何か情けない事をしていると思い、一昨日は風呂に入らずシャワーで済まし、しっかりと飲酒(笑)
何と、ここに来てほんの微減 PSA 18,16H(4月) →20.91H(5月) ↗30,10H(6月) ↘ 29.38H (今月) 生き延びた!
前回(6月)は、その前の月よりも一気に10もPSAの数値が上がった ↗ ので、今回は、40H or 50H位のスコアーを覚悟して参った、月一受診。 この結果に、 先生も何でだろうと首を捻っていた(笑)
先生、ガイドラインと違いますか?
婚礼司会も、先日のオペラ等も、1ミリもあがらないが、、、月一受診の順番待ちの時は、何時も心臓がバクバクする。
だから、その分昨日の様な好結果だと、その分、天にも昇る嬉しさ。
本当に、病は気から、病気へ与えるメンタル面の影響って、凄いと思う!
今日へ向け、いい勢い付になった前日祭の花火!!!
そして、無事、三歳を、再生三歳を迎えられた!
三歳の誕生日。逆に当たり前な本当の誕生日よりも、どうにも気分が高揚している~~。
快哉を叫ぼう!
ここからは正にオマケの人生~~もうマイナスは無い!あるのは、毎日が日数分+プラスの、オマケの人生ばかり。
こりゃあ、何だか楽しいワイ(笑)
嬉しい~~本当に嬉しい~~スキップは、今の身体では出来ないが、心の中ではスキップでルンルン~~~
だから、此れからのオマケの人生は、兎に角、ご機嫌で毎日を過ごしマッセ!
本当に、皆様に心からの感謝です‼️
ずっと支えてくれた家族。この家族の支えが無ければ、精神的に此の日を迎えられたかどうか、、、。感謝感謝。
遠方はじめ、わざわざ草深い上尾まで出向いて、何時も励ましてくれた友人の皆様方へ、心から感謝申し上げます!本当に有難うございます。
入院や手術に至った経緯等は、又、改めて書きたい!