「庚申祭」は、日枝神社さんと猿田彦様へ | Good文字ing Hiko Sun                                    

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葛城彦太郎‘sブログ

テーマを絞らず(絞りきれず(笑))、日々の“心模様”を
ブログに書いていきます。 よろしくお願いします。

庚 申 祭

 

申年生まれは、もしかすると他の十一の干支の皆様に比べると、少しだけ干支であるお猿さんへの思い入れは強いのかもしれない。

 

  

    

            

                   

        —成田山参道の干支の皆様の中「お猿さん」と—
そんなことで、猿田彦さまや庚申さまへの思いも強いようだ!
、少なくても私の場合は(笑)

 

今日は、年に6回やって来る「庚申祭」の日。

 

【庚申・こうしん・かのえさる】とは

干支(かんし、えと)、つまり、十干と十二支を組み合わせて60通り出来る内の一つなので、60日に一回やって来ることに。
だから、大体ふた月に一度の巡り合わせとなるわけ。 

それが日でなく年となると、60年に一度の「還暦」になる。    

<日枝さんの今年の庚申祭日程表>

 

長くなるので、「庚申信仰」については、今日は触れない(笑)

 

今日が「庚申祭」の日と体内カレンダーで認識していたので、此の日、都内へ行く用事が出来、じゃあ~~せっかくなので、その用事の前に日枝さん、猿田彦さまへお参りさせて頂こうと。

 

<日枝さんのHP案内より>

 

庚申祭のご案内

猿田彦大神は、皇孫命を御先導申し上げた御事績により道案内の神として信仰されています。
私たちが人生の岐路においていずれの道を進むべきか思案にくれるとき、その行路の別れ道(岐・ちまた)にあって、御神徳を発揮されます。
山崎闇斎は「道は日神(天照大御神)の道にして、教へは猿田彦の導く所なり」と、庚申信仰の神髄を説きました。
二ヶ月に一度巡ってくる大神由縁の庚申(かのえさる)の日に御参拝いただき宏大な神徳に浴されますよう御案内申し上げます。

 

 

溜池山王で下車後、先ずは、何時ものようにキャピトルホテル東急のロビーで、季節の装花を愛でる。

何時もながら草月(流)さんのお花」、個性があって好きだ!見事だ!

おお~~、何と、おまけに初めてリアルタイムで、活けているお方のお姿を、拝見。
凄い~~池の中を進むように、長靴で水を切って歩いている。

 

例えば、

山王祭の時とか、お祭りには、こんな飾りつけで楽しませてもくれる。

 


         <2019年7月22日(月)先勝・撮影>
さあ、
鳥居へ。


外堀通りの山王橋⛩鳥居側には、或る意味威容を誇る、日枝さんの顔の一つでもある、立派な近代的な昇降エスカレーターがある。
かなり、かなり前から。

(本当に極く最近、下り専用も出来た)


が、
流石に、ここは正面からでないと、、、

 

以前、信貴山(奈良)で、一つ手前のバス停で下車し、横からのショートカットの参道から詣ったら、奈良交通の運転手さんに注意された。
『人様の家に初めて伺う時に、正面玄関からでなく、いきなり勝手口から訪ねるとは何事か!』と。

           <2013年2月12日(火)・撮影>

一瞬、客に対して何を言う!と、思ったが、仰ることは、ごもっともダ。

逆に、客にこう言う事を言える奈良交通さんって凄い!と。

 

⛩鳥居が日枝さん独特の個性、明神鳥居の笠木の上に、山に見立てた合掌形の物を載せたこの形。

『山王鳥居』別名『合掌鳥居』。

 

<2025年01月24日(金)赤・撮影>

 

さて、
最初に此の日枝さんの
石段を登った時に、五十二段って数に???
驚いた事がある。

 

猿沢池越しに登る興福寺五十二段と一緒の数、段数だ。

—秋艸道人石碑越しの興福寺石段—

<2010年11月16日(火)撮影>

 

この数、仏門への修行の段階を意味する「菩薩五十二位」に由来するといわれている。


けれど、此処「日枝さん」は、神社さんでしょ!?

 

でも、

比叡山との日吉大社日枝神社山王神社さんの、それこそ長い長~~い関係からみても、何の不思議はないのか?!

まあ、長い歴史から見ると神仏分離なんて、すぐ最近の事だし。

御本家、滋賀の日吉大社が延暦寺の鎮守社で、先程の⛩鳥居も神仏習合の象徴ともいわれているし、階段だってネ。

 

但し、但し、
実は、キャピトルホテル東急側から、鳥居へ向かい、このような右肩下がりの坂になっている。

<2024年1月26日(金)先負・撮影>

 

で、向かって右側から登ると「五十二段」。
で、反対の
左側から登ると「五十一段」。

傾斜の分「一段の差」があるって事は、ここだけの話(笑)

 

 

【手術で入院をした時に思った事】

それも、此れから出来なくなるだろうな~~と言う事の一つに、ここの階段登りがあった。

もうこの先は、日枝さんの階段は登れないんだろうナ、、、、と。


でも、二年のリハビリの甲斐があり、今はこうして登れることに、感謝感謝です。

 

まあ、一段づつ、思いを込めて五十二段を上り、一番上(五十二位)にたどり着くと、神様(仏)と同格になれるのかも。

 

本殿を守る様に、左右にお並びの狛猿の「神猿(まさる)さまには、いつお会いしても癒されます。


<2020年3月18日(水)先勝・撮影>

 

まあ、そういう類の方では無いとは思いますが、自然そう言いながらも賓頭盧尊者(おびんずる様)よろしく、失礼ながら私の場合は、神猿(まさる)ご主人の、背中とお臍の下の方へ、手が伸び、ナデナデと。

神猿(まさる)奥様は、子猿を抱えている。

カワユシ。

 

お猿さんは、御祭神「大山咋神」のお使い。

 

大山咋神(おおやまくいのかみ)

「くい(くひ)」はのことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神とされる。『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。

            ――Wikipedia――  より

、本殿にお参り後は、さ猿田彦様へ。

卑しい私は、もう銘酒「猿田彦」を頂けただけで何だかもう、

        <2025年4月21日(月)友引・撮影>

幸せ、はや満足。

今年、二度目の日枝さんで、今日は猿田彦さまの「庚申祭」にも来られた。

<2020年9月14日(月)先負・撮影>

 

<2020年03月18日(水)先勝・撮影>

 

<2016年12月4日(日)・撮影>

<2018年09月25日(火)大安・撮影>

「庚申祭」は、朝、午前9時より執り行なわれる

コロナ前、手術前は、それでも年に数回はその時間に参らせて頂いたが、身体が平気だった頃でも朝のラッシュは堪えた。

<2019年3月24日(日)先勝08:54・撮影>

だから今は、無理なく出来る形で参らせて貰えばよい!

やれる範囲でネ。

 

そう、こうやって午後からで十分。


猿田彦様の日だけ頂ける、猿田彦神社限定御朱印」を眺め、ほくそ笑む、、、。



さて、
猿田彦さまと来れば、猿🐵申🐒さる。

 

直近の「申年」は、「丙申・ひのえさる」2016年平成28年だった。


そう、申年の私にとっては、それも特に「還暦」の申の年。
正に、申年年男パワー全開!!!

 

春には、

節分会で、2月3日(水)豆まきを!

 

<宮西宮司さんと>

 

<隣はご一緒させて頂いた真矢みきさん>

 

夏には、

還暦祝いの会、題して「納涼祭便乗葛城猿彦🐒還暦祭り」も、8月6日(土)日枝さんの「庚申祭」の日に挙行させて頂いたのも、懐かしい~~。

 


さあ。

これからも、

日枝さん、猿田彦様、どうぞどうぞ幾久しく宜しくお願い致します。