「八代亜紀回顧展」で、私の三部作は完成 | Good文字ing Hiko Sun                                    

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葛城彦太郎‘sブログ

テーマを絞らず(絞りきれず(笑))、日々の“心模様”を
ブログに書いていきます。 よろしくお願いします。

生きる ありがとう、、、

これからも

 

入場チケット

 

知る人ぞ知る、八代さんの歌に「哀憐三部作」ってのがある。


まあ今更だが、敢えて挙げると
「舟歌」    1979年5月25日
「雨の慕情」  1980年4月25日 
「港町絶唱」  1980年9月10日
(作詞:
阿久悠/作曲:浜圭介)

この三曲

 

この三曲で八代さん、演歌界での地位を確立したと言われている。

 

映像でも歌自体が登場するシーンもあり

「雨の慕情」は、

フジテレビドラマ「北の国から」では、TVから流れる紅白歌合戦で本人が歌う場面も登場

(第8話「水道」(1981年11月27日)に登場)

 

でも、

やはり個人的には、映画「駅STATION」での、北海道増毛の居酒屋桐子の店で、1979年の大晦日を過ごす、あの名シーンだ。

(1981年・東宝・降旗康男監督)

流れて来るのは、紅白トリで唄う、♪しみじみ飲めば~~♫の「舟歌」、このTV映像をしみじみ観ているシーンに、こちらまでしみじみとして来る。

 

健さま~~~~~

 

<ネットからお借りしました>

 

どちらも、当時の時代の空気と、年末の過ごし方と、紅白歌合戦が持っていた皆の生活に占める大きさ大切さが伝わって来る、そんな気もする。
 

どちらも、倉本聰作品だ。

 

実は阿久さんと浜圭介さんは、続く「港町絶唱」この三曲目で(ホッップ、ステップと来てジャンプで)レコード大賞を狙っていたらしいが、その前に既に大賞を受賞し、前2作のヒットで陰に隠れてしまった形になったが、、、。

 

何か、この三部作」って言葉って、響きがいいなあ~~。

 

八代さんとの出会いは、1982年(昭和57)12月22日のテレビ東京

 

その日、八代さんが「演歌の花道」の収録で来られた際に、此方がこんな格好の時に出会った。

 


<1982年(昭和57)12月31日放映「つか版忠臣蔵」テレビ東京>

 

実は此の写真、シャッターを押してくれたのが、知り合いの八代さんの事務所の方。
だから、この時、シャッターのこちらには、足を止め、此の撮影の間待って頂けた八代さんの姿があった(笑)

 

その頃は、新コマ公演とか、地元大宮市民会館においで頂いた時には、スタッフの楽屋にお邪魔し公演を拝見したりと、、、

 


その後、その様な事は無くなったものの、此方の接し方はどうであろうと、この方は、演歌の枠を超え国民的スターとして、自然誰の目にも止まり、歌声も当然耳に届いて来た。

        2023年12月30日、ご逝去

 

2024年03月26日(火)赤口

「八代亜紀さんお別れの会」

 

本当にしめやかだが、華やかで壮大なお別れの会だった。


傘もオチョコに成る程の豪雨の中。
雨の慕情にピッタリな感じもした、
雨中のお別れ。



正に、八代さんはそのまま菩薩になった。
と、ふとそう思った。

 

そして、

八代亜紀さんの一周忌に合わせて、品川区にある菩提寺の安養院・ひかりの園・ひかり陵苑で銅像が完成した。

 

 

「雨の慕情」でおなじみの天に手を向けるポーズの銅像。
 

但し、この像、ご本人と、あまり顔が似ていないのは、御愛嬌で(笑)

 

<2025年02月13日(木)仏滅>

そして、そして、

今日の 「八代亜紀回顧展」

 

八代さんが亡くなって以来、八代さんへの思い、リスペクト、トリビュート、そんな物が今日ひと段落したというか、落ち着いたというのか、そんな気がする。

 

 

八代さんの絵は、どちらかというと宗教がかっているのは、キリスト教的なものが多いのかなあ~~と思っていた。

<会場販売パンフレットより>

が、仏画的な物も結構ある事を、今回発見。
そして、私の大好きな狩野芳崖の
「悲母観音」ときた。
なにか、八代さんと重なって見えて来た。

 

生きる ありがとう、、、これからも

 

<会場販売パンフレットより>

 

正に俺流三部作。
それが、今日一つの形になった。
そんな気がする。

 

有難う八代さん。
 

あなたの事、けして忘れません。