ハッピーなスタイルのデザイン -18ページ目

何も手にもたない

制服と私服が周囲にあたえる効果・影響の違いは大きいことは

分かりましたが、それ以外にどのようなことをケアすれば

周囲の方々に与える印象をグレードアップ・バージョンアップする

ことができるのでしょうか。



印象やイメージをアップすることができると素敵ですよね。



ひとつ、考えられるのが手に何かを持つことでしょうか。

野球のボール。

バスケットボール。

テニスのラケット。

これらを持つだけであきらかにスポーツをしているという印象をONする

ことができそうです。


きみどり色と白の水色のラインが入ったバッグ。

これもなんとなくスポーティーなイメージがONされそうです。


逆に、こげ茶のバッグを持つと、持つ前まで周囲に対する与えていた

イメージに対して大人しいイメージがのりそうです。


警察のこん棒だと、威圧感というか武力を想起させます。




手に何も持っていない状態と何かを持ったときとをイメージして

比較してみる必要がありそうです。

私服にしちゃう!?

おまわりさんの制服が変わったとき、

郵便屋さんと間違えた人がまわりにたくさんいました。

制服が変わると、それだけで【それっぽく】見えちゃうんですよね。


おまわりさんの制服をきていると、

それだけで強そうにみえたり、

逆に高校生の制服をきていると、

それだけでお勉強っぽくみえたりします。



暴走族も同じ刺繍をつけた特攻服をつけていると、

意志の力というか、まとまりを感じますよね。



渋カジもそうでしたし、ギャングもそうだと思います。

着ぐるみを着ていると、

それだけで相手に伝わることが増えるということは、

表現力を増幅させるために着ぐるみを着るのはひとつありなのかも。

と思います。


もっとほかにパワーを感じる方法、感じてもらうことができる方法って

ないでしょうか。


準備をしない

上司『調べるといっていた話どうなった?』

部下『あっ。調べてません。』

上司『計画はどうなってる?』

部下『あっ。たててません。』


こんな会話があったとしましょう。

部下だとしたらあきらかに上司に対して弱い立場になって

しまいますよね。



特にピリピリとした職場での上下関係だとか、

恋愛関係、家族関係の中、

『なんでやってないの?』

という質問がとびかうことがあります。



やるべきことや、いうべきことがなされていない時に見られる

【聞いたもの勝ち】的な状況ってなんとなく好きではありません。


やるべきことやいうべきことがお互いに一致していないときは

一方的な話になりがちですし、そういったときって

一致させようとしていないことが多いんですよね。



この話が、

上司が気が弱い人物、といったシチュエーションの場合、

部下が上司に対して何らかの優位性を持とうとすると、

全く違った雰囲気が流れます。



部下『調べるといっていた話どうなりました?』

上司『調べてないよ。』

部下『計画たてました?』

上司『たててないよ。』

部下『やらなくていいんですか?』

上司『・・・』



関わっている人の間で求められる行為を

誰がやるか明確になっていない場合、

声を出す準備をした人の方がパワーアップする。


これは正しいといえるでしょうか。

パワー理論て何だろ

パワー理論て

何かすごそうな話です。

おっかない話ではありません。


友達との会話や仕事の打合せで意見をいうときのこと。


同じ話し方をして意見がとおる場合ととおらない場合、

両方あります。


ほとんど変わらないのに、何か結果が違うことになる。


そこで、

きっとそこに何らかのエネルギーみたいなものが

あるのかなと思ったわけです。



例えば注目をあびると、

視線になるのか、何になるのか分かりませんが、

ひとつのエネルギーが集中もしくは分散するのかもしれません。


何故なら、視線をあびないとできることが、

視線をあびたらできなくなることがあるからです。


いわゆる緊張して上手くいかなかった。

という話です。





逆に、視線をあびるとできることもあります。


より上手に表現したり行動したりするためには

どうしたら良いのかと考えているうちに、

それを妨げるようなこととしてどのようなことがあるのかな

という疑問を持つようになりました。

目立とう星人

確か、目立とうとする人のことを目立とう星人といった気がします。

もしかしたら、気のせいかもしれません。


目立とう精神でしたっけ。目立とう星人で良かったですよね。

そもそも、そんな言葉ありませんでしたっけ。



今はおもっていませんが、目立ちたいとおもっていたときのことを思い返すと

目立って注目をあびなければ、発言してもあまりインパクトないかと

思っていたからです。


確かに、ブログも10万人が見ているのと、100人が見ているのとでは、

インパクト・影響力といったものが違いそうです。




注:こころや目を向けること。一箇所に水を注ぐことがもともとの意味。
  一箇所に居続ける主(あるじ)と水を組み合わせ表現した文字。



良くみてみると面白い言葉ですよね。注目って。




さて、注目をあまりあびていなければ、言葉を発していても、人々の

こころや目が向かないのではないかと思っていますが、

それは正しいでしょうか。



明日以降はパワー理論について少し考えてみようと思います。


注目あびる

どうしたら日々たのしく暮らせるのかって考えたときに

周囲の注目をあびることではないか、

と思ったのです。



確かに注目をあびることは周囲からチヤホヤされることにつながりそうですが、

注目をあびることと、自分がしあわせになることは無関係でした。



当然、それは周囲の人々に対して何をもたらすかという点においても

同じことがいえるわけです。



自分が注目をあびることで周囲の人がハッピーになったということが

あったかなかったかは分かりません。



さわぎを起こして注目をあびる。

なんとなくそれに近い感覚だった気がしますね。

ただ、それだけだと、自分本位ではないかなと思うに至りました。




注目をあびること自体は素敵なことだと思います。

あと何かを加えるとおもしろいものができそうです。



そこで、考える必要がありそうなのが、

注目をあびるってナンでしょう。ということです。

そもそも注目ってなんであびるものなのでしょう。

みんなと一緒のことをする

デザインAとデザインBどっちが良い?

クライアントに聞かれるシーンで、非常に迷うことがあります。

なんとなくAが良いが、一般的にはBが受け入れられそう。

Aは自分と同じ感覚を持った人は絶対に買ってくれそうだが、

どちらかというとマニアックな層かもしれない。



あれこれ考えているうちに見慣れてきてしまい、

どちらも良く見えてきてしまったりします。



感覚を磨くためにすべきことは何か。

今考える視点は生産活動をするために何をしたら良いかということですが、

学生時代に考えていたことは、周囲と違うことしたい。

でした。



異化欲望:周囲と異なることを考えたりしたりすることへの欲望

同化欲望:周囲と同じことを考えたりしたりすることへの欲望



特に義務教育過程では社会のルールを学ぶタイミングなので、

感じている強制感から抜け出すことを考えてしまいましたね。



周囲と同じことをするのはダサいことではないかと思ったことです。


そのことによってマニアックな感覚が身についていたのであれば

生産活動・ビジネスにとってはマイナスなのかもしれないですし、

逆にプラスになる側面もあるかもしれません。


何が良くて、何が良くないか、整理しながらベターライフを追及していく

必要がありそうです。

一所懸命になる

今は一所懸命という言葉は自分の腑に落ちています。

一所懸命って好きです。

ところが、この言葉の本当の意味が分かるようになる前までは、

鎌倉時代のご恩と奉公のところで学んだ歴史の話。

昔の方々の間でしか成り立たないような遠いものとして感じられていました。





身近で一所懸命といわれている状態になっている人を見ると、

理解に苦しみました。



何故、一所懸命になるんだろう。

その状況を見て、ダサいなとも思っていたのです。





練習をしないで上手くなれるか。





何も練習せずに上手くなれる方法があるような気がしていました。

無知のこわいもの知らずともいうべきでしょうか。

リストアップする

何がダサいと思っていたのか。

思い返してみました。




ダサいととらえていた対象として、

『先人の話を聞くこと』があげられます。

本を読んで先人の考えを取り込むことも、人マネのようだと捉えていた

ので、必然的に避けることになっていたんです。



本を読むのが面倒だというおもいもありますが、

本を読んでいる姿を他人から見たら鈍くさいとおもわれるのではないかと

おもっていたのかもしれません。



今おもうと、成功した人の話や失敗した人の話を耳に入れずに

無限の世界に向けて、全て実体験で挑もうとしていたのが無謀だったと分かりますね。

ダサいことはしたくない

うわっ。ださい。

自分の目から見て、ださいと思うことがたくさんありました。



ださいと思うことはしたくない。




とらえた対象がださいかどうか実際は分からないのですが、

思い返すと、自分でやりたくないことをださいと決めてしまうことで

行動を制限してしまっていたんですよね。



他人の目を気にしなければ、実はやりたかったということを

【ださい】というジャンルに分類することで、

自分がすべきではないといった箱に押し込んでいたわけです。



ださいかどうか、どうとらえるかは他人ではなく、自分が決めるんですよね。