こんばんは。スクールマネージャーの和田です。
現在、カラーリストとして毎日忙しく活動している私ですが、
「元々どんな仕事をしていたのですか?」
「染川先生とはどうやって出会ったのですか?」
「どうやってカラーの仕事を広げていったのですか?」
そんなご質問をよくいただくので…
ここで!!!
スタイルクリエーション代表である染川先生と、わたくし和田の
これまでのストーリーを紹介したいと思います!!
●和田和子ストーリー 第1話●
20歳。
短大を卒業して、某楽器店に就職しました。
『音楽って楽しい!』
そんなことも忘れそうになる時もあるほど忙しい日々。
それでも、頑張れば頑張るほど成果につながり、
実際いい感じに成績を上げていき、やりがいを感じていました。
おぉぉぉ!順風満帆ではないか!
そう感じますよね、これ。
でも…当時の私は決して『満たされて』はいませんでした。
やる気満々で仕事をしている…その反面、心は少し孤独でした。
もともと人間関係を築くのが苦手。
”明るいし、よくしゃべる”
そんな私の周りには、いつも誰かがいました。
でも、実は常に人の顔色を伺っていた私。
根本的に自分に自信がなかったんですね。。。
「好かれたい」「嫌わないで」
そんなふうに思っていたんだと思います。
自分のことも相手のことも信用していなかった…
今ならそう思います。
それでも、ありがたいことに職場では「人」に恵まれ、
本気で向き合ってぶつかってくれる人と、泣いて笑って忙しく過ごす日々。
それでも、”疑心暗鬼ちゃん”な私は
「私はあまり好かれていないんじゃない?」
「チーフだから、店長だからみんなこうして接してくれてるけど、一人の人間として必要とされているだろうか…」
そんなことを考えることもありました。
そうして20代終盤…突然私は体調を崩し仕事に行けない日々が続いたんです。
身体も辛い。
仕事に行けないことも辛い。
迷惑をかけていることも辛い。
その時も、それはそれはもう、たくさんの人に助けて支えてもらいました。
「本当に私は恵まれている。」
心の底から実感しました。
この人たちと何年も一緒に仕事をさせてもらえて、めちゃくちゃ幸せ者!
そう思ったんです。
仕事仲間を”とても愛おしい”
と、改めてそう感じました。
そこからですね。
自分が少し変化したのは。
そして…さらに数年後、私に転機が訪れます。
結婚後すぐ妊娠。
つわりがひどく入退院を繰り返し、何カ月も仕事にいけず泣く泣く退職。
そうして専業主婦となり、二人目を出産してすぐ
”自分でなにかしたい!!”
そう思いました。
その時、以前ある人からもらったメールを思い出したんです。
楽器店時代の後輩から。
彼女が体調を崩し、思うように動けず悔しい思いをしていた時、
私は自分自身の経験から、彼女にいくつかメールを送っていたんです。
そして、私が出産した後に彼女からもらったメール。
そこには
”昔いただいたメール、まだ残してるんです。
しんどい時、今でも読み返したりします。
同じようにしんどいことがある人に見せたりすることもあります。
あのメール本当に嬉しかったんです。宝物です。”
そんなことが書かれていました。
「こんな私でも、人を力づけることができるんだ。」
純粋にそう気づかせてもらい、むしろ私の心が救われたんです。
これが、私が「何かをやりたい」と思った時にカラーを選んだ理由。
”人の心に触れる仕事がしたい”
それがカラーセラピーをはじめに学んだ理由です。
→第2話へつづく