昨年「ソルファ」でヒットをとばしたASIAN KUNG-FUGENERATION

彼らは、1st「崩壊アンプリファー」後の活動で、自らの才能と実力を、幅広いユーザーに伝える”術”を取得したんじゃないかと思う。(無論、これは彼らの1stの出来が悪かったといいたい訳ではない。)

2nd「ソルファ」は、ロック魂で造られたポップスで、まぎれもなく素晴らしい作品だったと思う。


そんな彼らの、ソルファ以来の楽曲がこの「ブラックアウト」だ。

「NANO-MUGEN COMPILATION」と名付けらたコンピレーションアルバムに、唯一収録されている「ASIAN KUNG-FU GENERATION」としての楽曲である。


イントロのギターからして、喉の裏側が疼く。

それは胸の熱さに変化していき、くるおしい気持ちになる。

かなしいわけでもない、だけれど切ない。

まるで、真赤すぎる夕陽を見たときのような、あの不思議な気持ちになるのである。


そしてサビの「今 灯火が此処で静かに消えるから 君が確かめて」という歌詞。

もう、くるおしい気持ちは全身を駆け巡り、なんともいえない、叫びたいような今すぐなきたいような、そんな気持ちになる。


灯火が静かに消える、ということは、「闇」の訪れなのだとわたしは思う。

自分自身に訪れる闇。それを、「君が確かめて」と云うのだ。

闇、という痛みに近い絶望を思わせるそれを、迎える「自分」を、「確かめて」と云う、そのひたむきさ。

こんなの、切ないに決まっているじゃないか。


アジカンは、いつだって、ひたむきに人と繋がろうとしてきたのだとわたしは思う。

彼らが造る音楽の根底には、いつだって、「僕」がいて「君」がいる。

ときとして、「僕」はとてつもなく不安に打ちひしがれ、自分自身を模索して迷う。疑う。

それでも、「僕」はいつだって「君」に、メッセージを発している。

どんなに、自分自身に迷っても、自分自身を疑っても、アジカンは、「君」という誰か、人と繋がろうとしてきたんだ。


そのことが、あまりにもしっかりと、うつくしく描かれている。

どこにもセンチメンタルさが入る隙間のない完璧な楽曲であるにも関わらず、ひとびとに知らずうちにセンチメンタルを与えてしまう彼らの手腕。

ああ、やっぱり彼らの実力と才能は底知れない。