投資家・物書き。2020年秋に47歳で資産1億円とともに約25年間勤務した会社を早期退職。投資歴は20数年、世界の増配株、高配当株、リートおよびETFにて資産運用。難病を患う父親を介護し、「子ども食堂」のボランティアもしている桶井道(おけいどん)氏。
その桶井道氏の「FIRE卒業」に対する率直な思い。⬇️
崇徳院ヴェストは、桶井道さんとは異なる意見を持っています。
先ず、「FIRE卒業」はありえなくて、「FIRE失敗」か、「FIRE中退」しかないと考えます。
桶井道さんの考える「FIRE卒業」とは、
(1)FIREしたものの株安やインフレで資金が苦しくなり労働に戻った
(2)FIREしてのんびり過ごしたものの刺激がない生活に飽きて労働に戻った
の2パターンで、
「2年前にFIREした私の想像では、後者が多いのではないかと思います。FIREする人は、マネーリテラシーが高く、計画性を持って実行しているはずです。見通しが甘く、1年にも満たないこの相場やインフレ等で資金がショートというのは、私なら考えにくいです。」と仰る。
崇徳院ヴェストも、この部分は同意します。
しかし、「『FIREしてのんびり過ごしたものの刺激がない生活に飽きて労働に戻った』ケースが圧倒的に多いと考え」ている桶井道さんは矛盾しています。
十分に計画性をもって実行しているのがFIREする・した人なら、
その引退した後の自分も視野に入っていなければなりません。
つまり、崇徳院ヴェストが言いたいことは、
FIRE中退・失敗する人は自分の性質・性格が分かってなくて、
計画が十分でなかったということです。
FIRE後に、「刺激や生き甲斐」が必要なんて言い出すこと自体が幼い。
孫子が言っていた敵を知り己を知れば百戦危うからずを分かっていない拙さ。
FIRE後、お金という収入がなくても(ボランティア)仕事をするのなら分かりますが、
収入を得た段階で雇用されていることになり、FIREの原点である“引退”にはならず、
何かしらの制限やしがらみが生まれます。
それを生き甲斐・刺激というなら、FIREはできません。
桶井道さんの言う「『FIRE卒業』とは、『FIREしてみたが自分の新たな役割を見出せなかった。暇で生き甲斐が見つからなかった。だから、社会復帰した』ということでしょう。」には、
同意できません。
繰り返しますが、自分の新たな役割を見出せなかったということ自体、計画不足です。
収入の為の仕事から離れてやりたいことがあるからFIREという手段を使うのであり、
FIRE自体が目的ではないという基本が分かっていない。
生き甲斐などという名目で忙しくすることで、本当の自分を見つめることから逃げているだけ。
2023年4月12日のブログをリブログします。
桶井道さんは、まだ薄井シンシアさんの境地に達していないのでしょう。
投資家、物書き、子ども食堂の運営に携わっている桶井道さんが、
物書きの部分で自分の好き勝手にできているなら真FIREであり、
「FIRE卒業」したことにはならないと思います。
彼は、「FIREの定義にこだわり過ぎず、自分の人生の人事権を持って主体的に生きることが大切なのではないでしょうか。」と結んでいますが、
定義にこだわらないのだったら、始めからFIREと言わなければいいだけのこと。
本質が見えていない。
この辺りもただ流行に流されているだけのように思います。
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