これ、ひろゆきさんの本の宣伝ですけれど、
崇徳院ヴェストは、日本と西洋の教育の違いの基がここにあるのではないかと感じています。
意見と人格・人物を分けて考えられるかどうか、
意見への否定と自己・人格否定は全く違うということを理解しているかどうか。
managementを任される準備段階において、日本人に欠けている部分。
崇徳院ヴェストも研修段階において、様々な角度で外国人とdebateした。
先ず、「自分は正しい」を捨てなければならない。
別の言い方をすれば、「自分が間違っているかもしれない」と思うこと。
自分の意見が否定されたからといって、自分自身が否定されたわけではない。
日本では、その話し方も曖昧で、人格攻撃のように「貴方は・・・」と言ってしまいがち。
「貴方の考え・意見では・・・」と主語を明確にしなければ、直ぐ誤解される。
また、そのように言っても、自己否定されたと取る人が多い。
そして、相手の立場だったらどう思うか、相手が一番不安に思っていることは何か、
相手が譲れない部分はどこか想像してみる、なんてことをしないし、考えもしない。
まぁ、共有した記事にあるように、ひろゆきさんが言うと、
“「頭の悪い人」が絶対に理解してくれない話”なんですけどね。
疲れますよ。
だから、どこかで線を引いて、議論をあきらめて先へ進めるんですけどね。
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