監督: 若松節朗
脚本: 前川洋一
主演: 佐藤浩市、渡辺謙、火野正平、安田成美、堀部圭亮、石井正則、段田安則、吉岡秀隆
公開: 2020年
現実の事故から10年。 崇徳院ヴェストには事故というより事件であった。
このブログ記事は映画の感想というよりも、崇徳院ヴェスト自身の回想録。
この映画を見て、思い出したことを綴ってみる。
ここからは経験を時系列で綴る。 1995年、私は、神戸で阪神淡路大震災を被災した。
とあるマンションで被災。 家具の下敷きになり死にかけた。 生き残れたのが幸運。
自宅内でも靴が必要な状況が、まだ実感できずにいた。
周りの木造家屋・ビルの倒壊や火災、119番通報が通じないことがあることを知った。
時は一月、全ライフラインを消失し、本当にすべてが冷えきって、屋外のキャンプと変わらなかった。
暖を取れるのはカセットコンロしかなかった。
そんな体験が瞬時によみがえったのが10年前、新宿で東日本大震災に遭ったとき。
その時、高層ビルでの勤務で1~2分ほどの揺れを感じ、“巨大な地震だ”と瞬時に分かった。
その後は情報収集に集中し、窓の外も頻繁に確認していた。
情報が集まってくる毎に、神戸の震災の体験を思い出す。
それでも、まだ、被害を早期に復旧できる可能性を信じていたが・・・、
携帯に津波の映像が現れたとき、“万事休す”と観念した。
それから仕事を形だけ整えて終了し、自宅へ3時間半程かけて歩いて帰った。
その後、ご存じの通り「計画停電」など、東京でも不自由な生活が始まった。
幸か不幸か、そんなときから今の「テレワーク」を経験できましたけどね。
そして、それから3ヵ月経った6月、ボランティアするために宮城県女川町へ。
それが、神戸の震災時に助けてくれた方々への恩返しだと思って。
バスから降りて、初めて肉眼で見た津波の爪痕は、TVで見るよりも凄まじく、胸が苦しくなった。
自分ができることは、瓦礫の後片付けの手伝い。
海岸から1kmは離れていると思われるところにも、船舶ブイが流れ着いていた。
掃除をしていると、たぶん、
そこにいた人達が大事に取っておいたであろう記念品、書類、通帳、写真などが時々出てくる。
そういったものは片付ける瓦礫とは分けて保存し、地元のボランティアの人達へ託した。
福島第一原発で、命を張って地域住民・日本の安全を守ろうとし人達から比べたら、
何もしていないのと同じくらい微力だったけれど、少しでも役に立てたのなら嬉しい。
宿は、偶々埼玉県警の方々と同じでした。 だから食事の時間に同じ食堂に集合。
当時、他都道府県からの警察官の応援や、自衛官の方々の支援・捜索活動に頭が下がります。
日本は、呪われているのかもしれない。
阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、時の政権は社会党との連立や民主党、
危機管理体制に大きな穴があったように感じた。
自民党のファン、ましてや党員ではないが、大災害時に、信頼できるリーダーがいない。
東京の“常識”=人類の“非常識”という判断・指示・命令が、嫌というほど身に染みた。
この映画ができたことは素晴らしい。 しかし、どこまで事実を描いているかは疑問。
生ぬるい日本の仕組みにを、そしてこの映画と実際の福島50に
を。
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