民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」とあります。
そんな夫婦同姓についてのある女性の記事を見つけたことが、
自分の名字のことをカミングアウトするきっかけとなりました。![]()
名字を変えることへの抵抗は、さみしいから
自分がなくなるように思えるから![]()
昨年、婚姻届けを提出する際、崇徳院ヴェストは妻の名字を選びました![]()
このことについては、実親からの心情的な大きな反対がありましたが、
自身と妻の生活(生業)を合理的に考えて、判断したのでした。
婿養子になったわけではありません。
崇徳院ヴェストの旧姓は、少し珍しい。 ちょっとした少数派。 ネット検索では全国で約2万人。
親族以外で、同じ名字の人と知り合いになったのは一度だけ。
新姓は、もっと珍しい名字になった。 全国で約300人らしい。
漢字自体は難しくないのだけれど、時々まったく違う読み方をされる。
その違う読み方は一般的な名字なので、役所などで呼ばれたら自分とはわからない。
そう、漢字は難しくないけれど、接する機会が少ない漢字が使われているので、
その漢字の形から、違う漢字を連想する方がいるみたい。
で、名字を変えると、色々と面倒な変更・更新を強いられる。
特に50歳を超えると、免許証、銀行口座、証券口座、クレジットカード、登記書類等々、
事務的に変更しなければならないものが数多くあった。![]()
嫌だったんだけど、マイナンバーカードも作ったし・・・
ハッキリ言って、変更にかかる手数料や時間等も積み重なるとバカにならないよ![]()
それに新姓で呼ばれると、あるさみしさがあることは実感します。
もし夫婦別姓が認められているなら、別姓にしていたでしょう。
やっぱり、名字を変えるのって、とても面倒だったし。
ただ、やはり崇徳院ヴェストは変わっている方で、名前にそんなに執着はないのです。
何と呼ばれようが(ただし、差別的な呼称はお断りですが)、
私は私という自己認識ですし。
そして、新姓だと、自分の人生が新たなステージになったんだとも実感します。
それに、尊重・尊敬に値すると思えることは、名前ではなく、人格なのだと。
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