人はそれぞれ個性と言うか癖があり、その人の存在そのものと言えるときも。
この頃は、色んな分野の技術、知識や分析が進み、
20世紀では分からなかったことが、核心へと近づけてくれる。
精神的疾患や、その傾向がある行為の分析、個性を越えて反社会的になりうる人の特定など、
映画「マイノリティ・レポート」さながらの犯罪防止処置が可能になりそうな勢い。
さて、現実はそこまでの領域に達していませんが、
“自己愛性パーソナリティ障害”って聞いたことありますか
その特徴は、
・非難に弱い。あるいは非難を全く受け付けない。
・小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは全てを否定されるように思える。
・非難から逃れられないと悟ると、すべてが台無しになった思いに駆られ、ひどく落ち込む。
・人に教えられるのが苦手。他人に新米扱いされたり、しかられることはプライドが許さない。
・非難によって欠点が暴露されることを恐れて引きこもることもある。
・自らを不遇の天才と考え、かしずく者(親、配偶者)にだけ王の様に君臨して、顎でこきつかう。
・第一印象がとても魅力的で好感を持たれることが多い。
・現実問題の処理が苦手。
・対人関係は自分へ賞賛を送るファンを求める。 そうでなくなると容赦なく捨ててしまう。
アメブロで色んな方のブログを読ませていただいておりますが、
上記の特徴にとてもよくあてはまるブログもありますね。
○ 欠点(ちょっとした失敗)の指摘には、非常に大きな拒絶反応。
○ 新米扱いは受け付けない。 絵画教室で認めてもらえなかったのでブログに書かないのでしょう。
○ 指摘事項が的を得ていると、暫くブログから遠ざかる。
○ 内弁慶で、外面がよい。 だから第一印象がとても魅力的で好感を持たれて、“いいね”が多い。
○ 自分を称賛しないものは、ブログから排除する。
自分が老人であるとか、知識が追い付いていないとか、本を読んでいなかったとか、
出来ない事への言い訳は山のように前置きしているようですし。
この二日ほど書いたブログの底辺には、このような精神障害の傾向があるのだろうと思います。
でも、救いがないわけではなく、こんな傾向もあるそうです。
自己愛性障害を抱えた者は、しばしば、それまでの価値やしがらみを捨て、
新しい自分を再確立する試みに向かおうとする。(中略)
いったんすべてを投げ打って、一から作り直す過程を経ることで、
自己愛者は、自己への囚われを超えた、別物に変わりうるのである。
あるいは、その道中で、補完し合うパートナーにめぐり合うこともあるだろう。
遍歴過程と再構築は、ある意味、親から与えられた既製服の自分を脱ぎ捨て、
自分が主体的に選び取った装いに、身をまとい直す過程ともいえるだろう。
このいったん裸になって、もう一度自分の意志で身につけるという段階が、
自己愛性障害を持った者が生き直す上で、重要なように思える。
郷里から遠く離れたところへ引っ越したのも、そういう理由が心の裏の気付かない部分にあったのかも。
そんなことが書いてあった記事
自己愛性パーソナリティ障害の9つの特徴と自己診断チェックリスト
P.S. しかし、こういう障害を持つ人たちにはブログが好都合の環境。
直接見えないし、話を盛れる。“いいね”と賞賛を得やすいしね。
悪影響を閉じ込める為、アメンバー限定でブログを続ける方がよいのでは
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