どうも、お金に悩んでいる崇徳院ヴェストです。
そもそも貨幣制度ってどのように始まったんでしょうね。
まぁ物々交換では面倒になってきたので、その代りの交換できるものが始まりなんでしょうけど。
その「代わりに交換できるもの」の発明・普及は、今のインターネット以上のインパクトですね。
というか、世界がひっくり返った衝撃なんだと感じます。
お金で幸せが買える・買えないなんてつまらない話で悩んでいるのではなく、
生活にお金が必要だし、備えあれば憂いなしの「備え」であることも確かだし、
少ないと喧嘩の理由にもなり、選択肢が少なくなるし、余裕のない「我慢」が増えるし。
さりとて多いとまた「喧嘩」の理由にもなり、選択肢が多過ぎて間違いをすることもあるし、
生活の質と経済的余裕を混同しそうだし、厄介です。
これをそこにある「お金」という物質から、そのお金を扱う「人」として見るとどうでせう

無理矢理例えると「銃」に似ているところもあるかな~と。
銃を発明しちゃった以上、「銃の無い世界」は存在できないと思うんです。
で、誰が・どんな銃を・どのように扱うか・が重要な点。
日本社会で見ると、
お巡りさんが、拳銃を、法律・規則・訓練の下に扱っている場合、誰も問題視しません。
反社会的人物が、自動小銃を、反社会的目的のために扱うのは大問題です。
お金も自分の身の丈に合った収入、量や目的・用途であれば十分に必要で有効な道具であり、
身の丈に合わない収入、量や目的・用途であれば、(人生を)失うのも時間の問題でないかと。
どうでせう
