お金って鏡? | 株式で FIRE達成 楽隠居 趣味と時間と 資産活用

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株投資で2019年に真FIREしました!
2023年、収益物件を売却し“億り人”のひとりになりました。
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興味があったら覗いてください。


どうも、お金に悩んでいる崇徳院ヴェストです。



そもそも貨幣制度ってどのように始まったんでしょうね。



まぁ物々交換では面倒になってきたので、その代りの交換できるものが始まりなんでしょうけど。



その「代わりに交換できるもの」の発明・普及は、今のインターネット以上のインパクトですね。



というか、世界がひっくり返った衝撃なんだと感じます。



お金で幸せが買える・買えないなんてつまらない話で悩んでいるのではなく、



生活にお金が必要だし、備えあれば憂いなしの「備え」であることも確かだし、



少ないと喧嘩の理由にもなり、選択肢が少なくなるし、余裕のない「我慢」が増えるし。



さりとて多いとまた「喧嘩」の理由にもなり、選択肢が多過ぎて間違いをすることもあるし、



生活の質と経済的余裕を混同しそうだし、厄介です。



これをそこにある「お金」という物質から、そのお金を扱う「人」として見るとどうでせう



無理矢理例えると「銃」に似ているところもあるかな~と。



銃を発明しちゃった以上、「銃の無い世界」は存在できないと思うんです。



で、誰が・どんな銃を・どのように扱うか・が重要な点。



日本社会で見ると、



お巡りさんが、拳銃を、法律・規則・訓練の下に扱っている場合、誰も問題視しません。



反社会的人物が、自動小銃を、反社会的目的のために扱うのは大問題です。



お金も自分の身の丈に合った収入、量や目的・用途であれば十分に必要で有効な道具であり、



身の丈に合わない収入、量や目的・用途であれば、(人生を)失うのも時間の問題でないかと。



どうでせう







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