去勢される能力と俳優の成長と…

 

「もし〜だったら…もしも〜ならば…」の「たられば」が現実となって、

 

もう一度18歳から人生をやり直すことができるとしたら…

 

私は何をするだろうか…

 

私の人生における18歳とは、郷里の山形に住む両親のもとを離れて

 

一人暮らしして、東京の高校に通い始めて3年目の時です。

 

大学進学が目の前に迫り、社会や人生に対しての意識が芽生えつつあった時期でした。

 

還暦を過ぎて間もなく4年…今、そんなことをよ考えます。

 

もう一度人生をやり直せるとしたら…

 

多分、大まかなところでは今の人生と変わらないとは思いますが、

 

たった一つ、変化を促すことができるなら、

 

18歳で「去勢される能力」を身につける努力をしたのではないかと思います。

 

私は、思春期に入った頃から、性別に関係なく、年上の方、目上の方から目の敵にされる経験が多くありました。

 

50代には、カウンセリングの師匠である根本裕幸さんから、私には「権威への葛藤」「成功への恐れ」が強くあるとご指摘いただきました。

 

その原因となった経験…

私が14歳の時に父が誤認逮捕から半年間拘留され、その結果、将来の経営陣の一角を担う人材と、将来を嘱望された銀行マンとしてのキャリアを失い、

 

その余波を受け、家族が機能不全に陥り、離散したことに対して、

 

自分なりに決着をつける為に、

法学部に進学しようとしていた時期が、まさに18歳の頃でした。

 

法曹界に進んで父の仇を討つ…

 

父を不当に拘留した警察を憎み、

 

権威やパワー(権力)を持っている人間に対しては、誰彼構わず噛みついて

 

ひいては年上、目上の方々全員へくってかかるような反抗的態度をとっておりました。

 

そして、高校、大学、社会人…と先生や先輩からは目の敵にされ、

 

生まれて初めてプロとして参加した舞台公演の東北巡業でも、

 

公演期間中、一度も楽屋に入れてもらえず、舞台に続く階段の踊り場で1人、メイクし着替えなどをしていました。

 

それでも私は「上等じゃねぇか…」そう思って、従ったら負け、媚びたら負け…と頑なに周囲と敵対していました。

 

年長の方や目上の方に目の敵にされる理由は、私の「去勢される能力」が明らかに低かったからと、

 

今となっては反省…

いや、今でもどこかで仕方ねぇ…と開き直っている自分がおります。

 

まあ、単純に言ってしまえば、何かにつけて反抗していた…のです。

 

反抗とはつまり、自分は悪くない…悪いのは周囲の人間たち…

 

単に他責思考だったのです。

 

尾崎豊の「15の夜」のように

盗んだバイクで走り出したり

 

ナイフみたいに尖っては、触るもの皆、傷つけた…

 

チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」の一節を地でいく生活をしていました…

 

この「去勢される能力」とは、心理分析家のラカンの言葉で、

 

去勢とは、とても大きな意味を持っているようです…

 

最近知りました…

 

大きな「自由」を獲得するには、大きな「犠牲」を払わなくてはならない…

 

これこそが「去勢」の本質なのだそうです。

 

なんのこっちゃ…ですが、

 

人間がこの社会で生きていく為には、まず「万能感」=ファルス=ペニスの象徴を捨てなくてはならない…

 

更に難解ですが、

 

この辺りは、斎藤環さんの「生き延びるためのラカン」の第7回に詳しく載っています。

 

https://www.cokes.jp/pf/shobun/h-old/rakan/07.html

 

周囲の言葉に従ったり協調したりすれば、自分を下に置くことになるから「大きな自由」からは遠ざかるとばかりに

 

若い私は、周りに盾突いて去勢されるなんてまっぴら…そう思い込んでいました。

 

つまらないガキのプライドです。

 

ラカン曰く

去勢はエディプス期(5歳の頃)に起こる…

 

去勢は自分がファルス(ペニスの象徴=万能感)であることをあきらめ、

 

次に、自分がファルスを持つことを諦める。(斎藤環さんのブログより)

 

別の視点から

 

フロイトは彼の理論の中核を成す「エディプスコンプレックス」に関して、

 

男の子は、最初、母親を自分のものにすることを希求する…

 

ところが、母親には父親という存在があり、どんなに頑張っても、

 

父親の代わりにはなれない自分の限界と父親との差を思い知る…

(ファルスであることを諦める)

 

更に自分はもしかしたら、父親を殺して母親を我が物にするという願望を持つことで

 

父親からペニスを切り取られるかもしれないという不安に襲われ、(ファルスを持つことも諦める)

 

自分の欲望を諦めることで、父親を受け入れ、エディプスコンプレックス(父親を殺して、母親を我が物にする)が終わる…と説明しました。

 

振り返ってみると…

 

20代後半にアメリカ人演出家から受けた演劇トレーニングで「自分の一番怖いモノと出会う」というエクササイズがありました。

 

私が見た「自分の一番怖いモノ」は、まさに私を去勢する父が現れ、びっくりして

 

人前も憚らず号泣してしまった経験があります。

 

その時が私にとって「親離れした瞬間」=「エディプスコンプレックスが終わった時」だったのかもしれません。

 

それでも、目上の方や年上の方から目の敵にされることはなくなりませんでした。

 

その理由とは…

 

カウンセリングの最も基本的かつ重要な考え方に「他人を変えることはできない。

 

もし、状況を変えたいと思うなら、自分が変わるしかない。自分が変われば全てが変わる…」というものがあります。

 

これは、人間社会における真理です。誰しも他人を変えることはできません。

 

今の状況を変える為に私たちに与えられている選択は、自分が変わることだけです。

 

ところが、私は周囲を変えようとしていた…

 

私は悪くない…常に他責思考だったのです。だから、周囲と常に軋轢を生んでいた…

 

60年以上生きてきて気づいたことは、自分が変わることを決めさえすれば、

 

昨日まで生きてきた世界とは全く違った世界を、生きることができるようになるということ。

 

それは、今までの私の人生で何度も起きてきた事実であり奇跡です。

 

つまり「去勢される」とは、自分が変わることを、ラカンさんは言葉を変えて説明しているのです。

 

通常、よほど大きな出来事がない限り、人は変われません。

 

私の場合でしたら、20年かけてアメリカ人と共に作ってきた会社を追われ、何もかも失った時や

 

或いは詐欺師に500万近い金を騙し取られ、更には投資に失敗して200万を失い、本当に何もかも無くした時…

 

そして、妻に逃げられ、11ヶ月の別居を余儀なくされた時…

 

背水の陣を敷かなくてはならなくなった時に、自分を変える契機がやってきました。

 

父の逮捕も同様です。

 

ところが「去勢される能力」が高い方は「すべては自作自演であり、自責である」という

 

人生の大原則を肚落ちさせており、自分の周囲で起きることは、すべて自分が引き起こしていると知っている為に、

 

ほんの些細なことでも「変化の予兆」として受け取り、自分を変える契機にすることができる…

 

だから、去勢される「能力」なのです。この能力は経験値が上がれば、誰でも高めることができるということです。

 

更に言及すれば「去勢される能力」とは、何がなんでも自分を変える覚悟と予兆を受け取る繊細なアンテナを併せ持つ才能でもあります。

 

「去勢される能力」を欠いていた時の自分は、頑なにドアを閉ざしていましたが、

 

その態度が「去勢」ならぬ「虚勢」であることは、本人以外、周囲の人間すべてが知っており、

 

実は、本人も気づいているのですが認められません。

 

ただ素直になれない…

 

本人だけが「虚勢」に陥っていることが見えません。

 

20年かけて作った会社から追い出された後の私は、虚勢を張り続けて、

 

どんどん閉塞状態に陥っていました。

そして、最後には妻に逃げられる…

 

実は「去勢される能力」のあるなしによって得られる結果は、人生も演劇も非常に似ています。

 

俳優も「自分はこうしたい、こういう演技をしたい…」或いは「相手役がちゃんとしてくれない…」と思っているうちは、相手役と一つになれません。

 

相手役にsurrender(降伏)して、相手に自分自身を委ねないと

 

相手役はOpenにはなってくれませんし、自分もOpenにはなれません。

 

結果として、お互い、隔靴掻痒の状態になって、演技は成り立たなくなります。

 

人生や夫婦関係も同じです。

我を張っていては、パートナーと良好な関係を築けません。

 

では、我を張るとはいったいどういう状態を指すのでしょう?

 

簡単です。

 

自責になれない時は、我を張っていると考えるべきなのです。

 

怒り出しの専門家を名乗る方の中には、責任の切り分けを主張する方もいます。

 

当たり前のことですが、カウンセラー、コーチを名乗る方々は、

 

ご自身の体験の中での成功者です。

こんなやり方で、私は、夫婦問題を克服した…

 

そして、自分の課題克服の経験を前提としてクライアントの課題解決のお手伝いをする…

 

だから、100パーセントの正解などありません。

 

私の場合は、すべて自責として受け止めないと、課題は解決しませんでした。

 

「誰かから、あなたを傷つける言葉を受けたら、

 

相手を責めるより、あぁ、まだ自分は自分いじめをやっているのか…そう思った方がいい…」とコーチ仲間も教えてくれました。

 

俳優に問題が起きて、演技がうまくいかなくなった場合、

「すべては俳優が引き起こしている…」

 

演劇の世界では、そう言われています。つまり、俳優も人生も自責でなければならないのです。

 

ラカンさんの「去勢される能力は」とは、自分の人生で起きることを自責で受け止め、

 

自分自身を変える契機にできる才能のことを言うのです。

 

この能力が高い人間こそ、自分の可能性を高めることができる…

 

これは、一個人としても、一俳優としても、言えることです。

 

若い方々、そして若い俳優の皆さん…

 

他責でいる間は、あなた方は変われません。

だから、成長は見られないのです。

 

それは、人生の損失です。

 

どうか、真摯に人生に、そして自分の仕事に向き合ってください。

 

年老いたジジイが、後悔と反省を込めて、皆さんにお伝えします。

 

去勢される能力を高めてください。

 

去勢とは、誰かに隷属することではありません。

 

人生を充実させる、選択肢の一つなのです。

 

ご自身の世界を変える選択肢の一つとなります。