新年明けましておめでとうございます。この挨拶をするのが、やや気後れするぐらい時間が経過してしまいました。
私が経営する芸能事務所でも1月5日から新年の稽古が始まったのですが、例年1月に上演してきた舞台を今年は取りやめ
映画制作の準備に当てた為、地方出身の俳優たちは久々に正月を郷里で過ごせることとなりました。
5日にはまだ、故郷から戻って来ない者も多く、やっと最近、全員が顔を合わせた稽古は1月14日からスタートしました。
稽古初日、嬉しいことがありました。女優Sが大変身したのです。
突然変わったわけではありません。これまで進めてきた「潜在意識書き換えコーチング」の効果が出始め、役作りの新たな視点がSの中に定着してきたようです。
この女優S、非常に真面目なのですが、自分の内面を見ることを怖がって、おおよそコーチング、カウンセリングの類から逃げ回っておりました。
それが、昨年夏前、とうとう追い詰められ逃げ道がなくなったのか…
女優として、人間としての成長を期して一念発起したのか…自主的にコーチングを受け始めたのでした。
根が真面目ですから、専任コーチのTさんから言われた呼吸法や与えられた宿題を、プライベートな時間を利用して一生懸命こなしていたようです。
すると出てくるわ、出てくるわ…避けては通れない家族との課題、感情的なもつれが見え始め、
そしてついに、本格的稽古初日に役と自分の共通点を見つけ、自分の心のうちを占める「巨大な孤独」を、役の持つ「孤独」と重ね合わせたのです。
今、使っている台本はアーサー・ミラー作の「るつぼ」。主役のプロクターとアビゲイルの2幕2場の冒頭の会話シーンです。
「るつぼ」は、1692年に米マサチューセッツ州セイラムで実際に起きた魔女裁判を題材にした物語で、
信義のために命を賭けることの是非を問う問題作です。
アビゲイルは実在の人物で、1692年に魔女の告発者として裁判に参加して以降、突如、行方が知れなくなります。
一説によるとセイラムでの魔女裁判に参加した後、今度は自分が告発されるのではないかと恐れ、ボストンへ逃げて娼婦をしていたと言われていますが真偽の程は分かりません。
アーサー・ミラーの「るつぼ」では、中年の域に達したジョン・プロクターを、16歳ながら自分の男にしようとする狡猾さと、男に対する執着を持った魔性の女として描かれています。
それに対してジョン・プロクターは、妻のエリザベスとの間が冷め切ったことを理由に、ピューリタン(清教徒)の間では重罪とされる不義をアビゲイルと犯した挙句、
魔術を使った魔法使いとして告発され窮地に陥ります。
しかし、仲間が魔法使いであると告発され、それを認めないばかりに拷問を受けて殺されたことを知り、
プロクターは生きることを選び、魔法使いであることを認め供述書にもサインをします。
しかし、判事がプロクターの供述書をセイラムの人々に公開することを告げると、プロクターは供述書も告白も撤回してピューリタンとして処刑されることを選びます。
プロクターの死後、残される妻のエリザベスや子供達の名誉のために、不名誉な魔法使いとして生きながらえるのではなく、ピューリタンとして潔く死を選ぶ…
しかし、魔女や魔法使いとして告発された人間たちも、告発する人間たちも、この世に魔法など存在しないことを知っていました…
現在でも世界中で同じような主義、主張のために多くの人々が殺されています。
イスラエルとパレスチナ…
ロシアとウクライナ…
中国政府と新疆ウイグル自治区…
人間の本質が変わらないことに改めて思い至らされる「るつぼ」ですが、私がこの台本をテキストに選んでいるのは、高尚な主義、主張を唱えても、結局は欲望に流される弱いが故に魅力的でもある人間の本質を探求をして欲しいと思ったからです。
シーン作りをする上で、台本から読み取らなければならないことは3つあります。
1、このシーンを演じることによって、観客に何を伝えなくてはならないのかという「シーンの目的」。
2、登場人物の「相手役から欲しいもの(手に入れたい目的)」
3、セリフの裏側にある「本当に伝えたいこと」
この3点は、俳優がシーン作りを行う時に、脚本から必ず読み取らなければならないものです。
「るつぼ」2幕2場の冒頭、プロクターとアビゲイルのシーンは、この3つの要素が非常に明確に描かれており、台本から必要な情報を読み取り、役を作るトレーニングには最適です。
役に入るとは、すなわち、俳優個々の身体の中で感じて動くものがあり、相手役をそれぞれ役とみなして、相手から欲しいものを手に入れようと能動的に相手に働きかけることを指します。
今、MPSメンバーの俳優たちは、全員が「潜在意識書き換えコーチング」を受けており、その結果、自分自身との対話ができるようになっています。
俳優たちの日々の言動が変化し、自分自身の潜在意識ともっと深く対話ができる可能性が出てきました。
そこで、潜在意識から来る直感や衝動を、演技に使えるようになるためのトレーニングを始めようと私は考えました。
簡単に言ってしまえば、自分の直感や衝動を「動き」に変換する「自分だけのやり方」を探すのです。
そして、女優Sの変身…俳優は他人になることはできません。役作りは全て、自分の中にあるものや経験したことを使わなくてはならないのです。
つまり、役作りの入り口は役の生い立ちと自分の境遇や性格など共通している部分を探すことから始まります。
これが俳優がよく使う「リアリティがある」という言葉の意味です。役作りで難しいのは「リアリティのない部分」つまり、自分と共通していない部分をどのように埋めていくかにありますが、
役作りは、まず自分と役の共通部分を探す=リアリティがある部分を探してから、リアリティのない部分を埋めていくことに取り組まないと、
俳優にとって役作りはただ難解なものになってしまいます。
女優Sは、アビゲイルの中に、S自身が実人生でこれまでずっと抱えてきた「孤独」「寂しさ」を見つけました。
そしてアビゲイルがプロクターから得たい目的=「ハグをして欲しい」「抱きしめて欲しい、寂しさを埋めてほしい」を言語化したのです。
その言葉は、Sの偽らざる本音でした。
役を生きるとは、役に対して当事者になることです。自分と役の共通部分を探し、当事者としてその共通部分を使って「この役は私自身だ」と信じられるようになることです。
俳優の北村匠海さんは映画「君の膵臓をたべたい」のオーディションで「この役は僕です。」の言葉によって満場一致で主役の座を射止めたそうです。
「役を生きろ」と俳優に向かっておっしゃる演出家は沢山いらっしゃいますが、その実体を言語化できる方は何人いるでしょうか?
役を生きるとは、赤裸々に「この役は私自身」と腑に落ち、当事者として与えられた「役の目的」を達成し、自分自身の痛みを役として感じて使うことです。
これが「役を生きる」に対する私たちの答えです。
これから女優Sの成長…とても楽しみです。