これは 私が平成十八年に書き記したものを 一部修正し 転載したものです
音道 第四話 「音道と時代」
やはり音道的音楽は 古い時代に集中している
それは民族音楽や純邦楽 中世音楽などが 作法にそっているから という意味ではない
私の感覚でいえば コンテンポラリー音楽は 八十年代後期頃から 停滞の一途を辿っているように思う 私が音楽の未来に 不安と危機感を感じ始めたのは 九十年代に入ってからである
中には良いものもあっただろうが それ以降発表された作品は どれも過去の模倣や 情熱 思いを感じさせないもの 他はゴミばかりであった
聞くところによると コード進行は何千パターンしかなく それが全て出尽くしてしまったのではないかと思ったが それだけが理由では勿論ないはずだ
新しいものを追求すべく 本来の音楽の本質から逸れてしまったもの ビジネスに潰されてしまったものも数多いはずだ
そういった理由から 私はその頃 「音楽の未来はない 崩壊する」と危惧した
もっとも これは大衆音楽に限っての話だが・・
さて 私が敬愛するギター奏者 コーネル・デュプリー氏の言葉にこんなものがある
「良いものは変わる必要がない」
これである 時代も常識も超え 普遍的真理は変わらないのだ
思えば 五十年代までのジャズは 今も輝きを失っていない
六十 七十年代はそれに変わり ポップスが大衆の心を掴んだ
日本でいえば アイドルも演歌も 子供向けの音楽ですら 輝きに満ち溢れていた ビジネスとの調和が保たれていた時代である 海外を見ても同様
六十年代は ロックやブラックミュージックなどが具体化しはじめ ウッドストックなどで世を席巻した
ビートルズは いうまでもなくロックポップスの可能性を広げた功労者である 先を考えただけでもワクワクする時代だったのではなかろうか
七十年代は それをさらに深め 完成させ なおかつそこから脱却し 他との差別化を図り 創造性に富んだ音楽の追及に挑んだ 素晴らしい時代であった
音道の定義に沿い 魂のこもった音楽があふれ 今も輝いている
例えば 六十年代でつまづいたジャズが ラテンやロックと融合し生まれたフュージョン(クロスオーバーというほうが好きだが)の熱っぽさ
我かんせず 私たちは王道を行く! という感じのハードロックヘビーメタルの精神性
ブラックミュージックに 洗練されたサウンドとクロスオーバー性を組み込み ニューソウルなどと格付けされたもの
どれも 今では考えられない情熱と 作法 魂 心が注入された音道的音楽が そこにはあった
レコーディングの音質 ライヴの形態なども然り 原始的だが最も正しいとされる一発録りなどで 奇跡的名演も 数多く生まれている とにかくクリエイティブな時代だ
八十年代初頭までこの流れは続いたが 中期頃には 今に通ずる 音道からはずれた作用が起こり始める
未成熟な打ち込みによる おもちゃのようなサウンド 過度の多様化による迷走的音楽 MTVなど視覚的部分を強調し始めた事など
ただ かろうじて 音楽にとって重要な”曲の良さ”は 過去に劣らず 失われてはいなかった
しかし 九十年代に入ると 曲 サウンドともに 評価しがたいものがあふれていく サウンドは 過度に洗練され 本来の楽器 声とはかけ離れた マヤカシ が増えてきた レコーディングの技術でよいものができても ライヴでは素人以下 という歌手 バンドも少なくない 曲も出尽くした感は否めない
二十一世紀に入ってからは 言うまでもない 創造性は皆無に限りなく近い
時代は変わる 流行もまわる
だが 音楽の本質をとらえ 魂のある音楽を創り 表現するものにとって それらが邪魔するということがあってはならない
とうとう 本当に 音楽とはなにかと問う時代が来たのである
*本日のあとがき*
二十一世紀に入り 十年が経って やはりこの書の通り ますます音楽界は下降しています しかし 人間の持つ 音楽に対する無意識の特性なのか 民族音楽などか注目されるようになった事は これからの音楽や 人間の精神性にとって 良いことではあるでしょう
デハ



