音三郎の”デハ ハナソウカ” -16ページ目

音三郎の”デハ ハナソウカ”

精神世界 超古代 宇宙 霊界 宗教 陰謀論 音楽 そして2012アセンションなど 
人類の未来を考える 毒談と偏見に満ちた ファンタジー文献!

 これは 私が平成十八年に書き記したものを 一部修正し 転載したものです 



音道 第四話 「音道と時代」


やはり音道的音楽は 古い時代に集中している 

それは民族音楽や純邦楽 中世音楽などが 作法にそっているから という意味ではない 


私の感覚でいえば コンテンポラリー音楽は 八十年代後期頃から 停滞の一途を辿っているように思う 私が音楽の未来に 不安と危機感を感じ始めたのは 九十年代に入ってからである 

中には良いものもあっただろうが それ以降発表された作品は どれも過去の模倣や 情熱 思いを感じさせないもの 他はゴミばかりであった 

聞くところによると コード進行は何千パターンしかなく それが全て出尽くしてしまったのではないかと思ったが それだけが理由では勿論ないはずだ 

新しいものを追求すべく 本来の音楽の本質から逸れてしまったもの ビジネスに潰されてしまったものも数多いはずだ 


そういった理由から 私はその頃 「音楽の未来はない 崩壊する」と危惧した 

もっとも これは大衆音楽に限っての話だが・・ 


さて 私が敬愛するギター奏者 コーネル・デュプリー氏の言葉にこんなものがある 


「良いものは変わる必要がない」 


これである 時代も常識も超え 普遍的真理は変わらないのだ 


思えば 五十年代までのジャズは 今も輝きを失っていない 

六十 七十年代はそれに変わり ポップスが大衆の心を掴んだ 


日本でいえば アイドルも演歌も 子供向けの音楽ですら 輝きに満ち溢れていた ビジネスとの調和が保たれていた時代である 海外を見ても同様 


六十年代は ロックやブラックミュージックなどが具体化しはじめ ウッドストックなどで世を席巻した 

ビートルズは いうまでもなくロックポップスの可能性を広げた功労者である 先を考えただけでもワクワクする時代だったのではなかろうか 


七十年代は それをさらに深め 完成させ なおかつそこから脱却し 他との差別化を図り 創造性に富んだ音楽の追及に挑んだ 素晴らしい時代であった 

音道の定義に沿い 魂のこもった音楽があふれ 今も輝いている 


例えば 六十年代でつまづいたジャズが ラテンやロックと融合し生まれたフュージョン(クロスオーバーというほうが好きだが)の熱っぽさ 

我かんせず 私たちは王道を行く! という感じのハードロックヘビーメタルの精神性 

ブラックミュージックに 洗練されたサウンドとクロスオーバー性を組み込み ニューソウルなどと格付けされたもの 

どれも 今では考えられない情熱と 作法 魂 心が注入された音道的音楽が そこにはあった 


レコーディングの音質 ライヴの形態なども然り 原始的だが最も正しいとされる一発録りなどで 奇跡的名演も 数多く生まれている とにかくクリエイティブな時代だ 


八十年代初頭までこの流れは続いたが 中期頃には 今に通ずる 音道からはずれた作用が起こり始める 

未成熟な打ち込みによる おもちゃのようなサウンド 過度の多様化による迷走的音楽 MTVなど視覚的部分を強調し始めた事など 

ただ かろうじて 音楽にとって重要な”曲の良さ”は 過去に劣らず 失われてはいなかった 


しかし 九十年代に入ると 曲 サウンドともに 評価しがたいものがあふれていく サウンドは 過度に洗練され 本来の楽器 声とはかけ離れた マヤカシ が増えてきた レコーディングの技術でよいものができても ライヴでは素人以下 という歌手 バンドも少なくない 曲も出尽くした感は否めない 


二十一世紀に入ってからは 言うまでもない 創造性は皆無に限りなく近い 


時代は変わる 流行もまわる 

だが 音楽の本質をとらえ 魂のある音楽を創り 表現するものにとって それらが邪魔するということがあってはならない 


とうとう 本当に 音楽とはなにかと問う時代が来たのである


*本日のあとがき*


二十一世紀に入り 十年が経って やはりこの書の通り ますます音楽界は下降しています しかし 人間の持つ 音楽に対する無意識の特性なのか 民族音楽などか注目されるようになった事は これからの音楽や 人間の精神性にとって 良いことではあるでしょう 


デハ     


齊藤音三郎の”デハ ハナソウカ”


まずは 故手塚治虫氏作品「火の鳥」を 精神世界の観点からお話しする


彼のライフワークというべきこの作品は 不死の{火の鳥}を軸にして 人間の生死や愛を 過去から未来 あらゆる設定で真理を説こうとする 壮大な作品である 


単行本は 「黎明編」から「ギリシャ・ローマ編」まで十三作品あり アニメ版 映画版など たくさんあるので 一度ハマれば相当楽しめる 子供の頃見たという方も 「人間とは 地球とは 宇宙とは」という観点から もう一度見ていただきたい


あらゆる場面で登場する火の鳥は 神や天使のような存在として描かれている 

「神ではない」と否定する場面もあるが 天使という見方が妥当だろう (宇宙エネルギーとも描かれている) 古代から 鳥は天の使いといわれていることからも それが窺える 


火の鳥の生き血を飲むと 不死の命を得られるという設定は 人間の欲望や葛藤などの話に展開していくが 不老不死は古代からの永遠のテーマであることから アセンションをにおわせる 




例えば「未来編」の一場面で 幽体離脱した主人公を ミクロとマクロの世界へ連れて行くというシーン


「あなたはもう肉体から離れているのよ 今は存在だけなのよ」



「存在ってなんだ?」



「意識よ」




人間は 意識や魂の存在であって 肉体はそれを乗せた船でしかないということを 手塚氏は知っていたのだ 「意識」こそアセンションのテーマのひとつだ 

これが書かれた時期は おそらく高度経済成長真っ只中だ 

往来する物質主義に 時の宗教と同じように 警鐘を鳴らしていたのだと 私は考える 



またラストシーンでの 火の鳥の思い


「今度こそ信じたい」



「今度の人類こそ きっとどこかで間違いに気がついて・・・・・」



「生命を 正しく使ってくれるようになるだろう  



人類の誤った行いを見た神により 天変地異というかたちで 幾度も人類が滅亡したことをあらわす言葉だ



私たち人類はまたしても このサインを見逃してしまったのか?

しかし 今の中国同様 幻の幸福のなかでは それに気がつかないのはわかるが・・


この世は 四度目とも五度目ともいわれているが 相変わらずの人類を見て 神が アセンションというかたちで 大浄化を図ったのかもしれない 


ともかく この「未来編」は シリーズ中最も壮大で 畏敬の思いが沸き立つ物語である



もうひとつ 私の好きな作品「異形編」は 時空や異次元 輪廻転生 業(カルマ)について描かれている


業に気づき 解消しなければ 何度生まれ変わっても 同じ苦しみを背負ってしまうという話である


昨今の風潮は 「命を大事にしましょう」と軽々しく謳っているが 

その生命の根源である 宇宙観や霊界観を説いていかないと 自殺はなくならないと 私は思う 


昔は それをいろんなかたちで教えてくれた人が 身近にいたはずだが 

逆に今は ここまで精神世界観が広まっている 打つ手はあるはずだ 


自殺ほど神に逆らう行為はないのかもしれないし それで逝っても もっと苦しいかもしれない 

仮にそうだとしたら 知らずに逝った人は また苦しむ事になる あまりにかわいそうだ 

そうならないために 皆 精神主義を重んじた生き方をせねば アセンションどころではない 


話が逸れたように思うが 実はこれだけのことを語れるほど {火の鳥}は 多くのメッセージを残しているということにしておく



デハ マタ ジカイ




追話

多少話をバラしてしまった感もありますが 充分楽しめますので ぜひみてください

ゆうちゅーぶでも御覧いただけます 

市川昆(こんの字がない)監督の実写映画もあります


追話 弐

子供の頃 映画「火の鳥2772」を観にいったのを思い出しました 面白くてワクワクして観ていた記憶しかないですが・・・

最近のCGアニメは どうもいかがなもんでしょう? CGはやはり味わいがないように思います 年齢のせいでしょうか? 子供たちはどうなのか? 興味津々 三球三振 あそこに見えるは 絶対神


年齢のせいでしょうか? 



ずっと温めていた新テーマですが 温め過ぎて 蒸発寸前

どうお話すればよいやら
乱文必至ですが どーぞ宜しく


因みに 私 漫画アニメマニアではないが 子供の頃は 実写ヒーローものも含めると 楽しんで観ていた作品はたくさんあった 

仮面ライダー ウルトラマン ゴレンジャー ルパン三世 銀河鉄道999 ・・・挙げるときりがないが どれも多感期の懐かしい想い出だ 

いや だった ただの想い出だった ある時までは・・


何年か前のある時 TVで手塚治虫と石森章太郎(私の世代は石の森ではなくこっち)の特集番組があった マニアなコメンテーターが出て 実際に作品を流したり 検証したりする番組だ  


何気に観て見ると 「おやっ?これは・・・!!」 

いや 確かに 手塚作品は 深くてメッセージ性があるのは知っていた 

しかしこれは・・・ 


紛れもなく 精神世界とアセンションではないか! 


そういう知識をもってこれらをみると それにしか考えられないものばかりなのだ


驚きだった いや 私が勝手に思っているだけかもしれないが 


これは子供向けの域を遥かに超えている作品があると気づいたのだ 

まるで 大人になってから アセンションが近くなった時期に もう一度みて気づかせる為に それがわかっていたかのように・・ 


宇宙 自然 霊界 未来 時間 次元 時空 人間の内面などのテーマで描かれているものばかりだ 

私の知る範囲だが 手塚と石森の作品は そういうメッセージ性が強い 

手塚に関しては 無意識下で”知っていた”ように感じるが 石森の場合は 完全に確信犯である 

彼は精神世界や超古代を深く研究していて 実際作品に多く反映されている 

アセンションのことまで知っていたようだし・・ 


仮面ライダーあたりは 実は実写版と原作ではまるで違う趣だ 

漫画として読んだ事がなかったので まさかこんな内容だったとはと驚かされた 


実は仮面ライダー第一巻が欲しくて 古本屋でやっと見つけたが 

五千円!という高額(私にとっては)で 断念した ちょっと立ち読みしたがやはり凄い内容だった 

「まさかね」と思って読んだマジンガーZも 同じように深いものだった 


私は見た事がないので知らなかったが 

ガンダムもアセンションなどを思わせるものだと 知人から聞いた 


これは先人からのメッセージではないかと私は思っている 

巷にあふれかえるアセンション精神世界本なんかより ずっと面白いし 心に入ってくる 


さすがは日本の漫画! 世界中探してもこんなものないだろう 


ドラゴンボールもいいが こういう作品が世界でも人気になれば 

世界は良くなるという作品を 次回から紹介し検証していければと思う 


デハ    



 これは 私が平成十八年に書き記したものを 一部修正し 転載したものです





ここからは いよいよ核心にせまる 私の音楽観により 音道の骨組みを作っていきたい


私の音楽人生(当然それほどたいしたものではない)で築かれた独断的音楽観であるからして 

人々の不平不満は当然あろうが 私の音楽に対する愛情の表れゆえ ご容赦願いたい 

また 知識不足 誤りは前もって陳謝いたす


どんな音楽が人を魅了するのか? まず私は やはり内的な側面で探ってみる 

音楽の送り手である音楽家(演奏家 作家 スタッフなど)が どれほどの思いで製作し 

世に送り出しているかが重要だ 

魂を込めて というと大袈裟だが(いや その通りである) 心 想いのこもった音楽こそ真である 

そういう意味では 「ソウルミュージック」こそ真の音楽の名称ではないか 

魂を込めた 魂を揺さぶる音楽 


それをふまえると おのずと浮かんでくるのが 

コンピューター音楽(打ち込み)はそこから外れてくるのではないかという事だ 

人が人の手 声で演奏せずして 何が良い音楽なのか? 

コンピューターや機械に魂を込められるというのか? 


あくまで表現するためのフィルターという考え方もあるだろう 


私はコンピューター音楽を完全に否定するわけではない 

「YMOはもしや二十世紀最高の音楽家」と思ったこともあるし(もっとも彼らは非常に”アナログ”だったが) 

音楽にも多種多様あり BGM ゲーム音楽 CMソングなど 状況に応じてそれが必要なのは承知の上 


ただ 私のいう音道の音楽ではないということである 


デジタル打ち込み音楽を あたかも 革新的創造的なものと思っている輩がいるようだが 

まったく憐れである 


ただ器材が優れていて 変わった音が出て 新しいと思ってしまうのか? 


実は音楽的には全く新しくない むしろ退化しているくらいだ 

それもわからず 音楽好きというのだ そういう輩は 


音楽には実は 作法も御法度も 太古の時代からあったのではないか?と思う 

それを確認する作業を早く行わないと もしかしたら良い音楽は消えてしまうかもしれない  


音楽には その人が表れる その人の音が出る 

澄み切った心 魂で 音楽を識別できる聴き手の霊性も重要だ 



「流行歌やメディアポップス(凄い造語だ!)なんぞ相手にしなければいい」


そう それなら話は早いのだが・・・


それでは・・ なにか・・ 寂しいではないか









*本日のあとがき*

この書から五年近く経った今でも 打ち込みやラップなどは 音楽として認めない自分がいます 

実は大きな意味では 音道から外れた考え方かも と自分を戒めてもみますが・・・

演奏屋としてはやはり そういうのを聴くと萎えてしまうのだから 仕方ない 


反論も随時受け付けております 

好みはその人の自由 でもそれでは 話が終わってしまう 創造性がないでしょ 


デハ 

2012年以降に人類はアセンションする  と云われておる  幾つかの要因がある


一 アセンションを暗示する事柄全てが 2012前後に集中していること  

  マヤ暦 フォトンベルト タイムウェーブゼロ理論 伯家神道 他


二 古代のあらゆる終末論的預言が アセンションの事ではないかということ 

  ホピ族の預言 日月神事 ヨハネ黙示録 他


三 世界のあらゆる分野が 危機的行き詰まりの状況であること

  経済 文化 自然破壊 人間の精神性低下 


四 異常気象の増加


で つまるところ ”アセンション”とはなんぞや? というわけだが 

例えると 「繭の中に閉じこもっていた蛹が 殻を破って蝶となり羽ばたいていく」 という感じか 

人類は 三次元の物質世界という殻に閉じこもっているということだ 


日本語では ”次元上昇”と云われておる 

人類が地球が 三次元から五次元に進化する・・らしい 


このことを知った当時 なぜ四次元ではなく五次元? と思ったが 

その後 いろいろお勉強した結果 四次元は 霊界でいうところの 冥界 幽界 兇党界 など 

死者や妖怪がいる所 みたいな解釈を勝手にしている 金縛りの状態や幽霊などもそうではないか? 

人類の真の進化であるから 当然そんな場所は飛び越えて? 五次元というわけだ 

半霊半人になるという 


アセンションが行われるために カタストロフィー(天変地異など)が起こるとも云われておる 

異常気象がその表れであるのか? ”生みの苦しみ”というやつだ 


だが 重要視されるのは 実は人間の内的な部分である 

アセンションは 超次元への意識改革である 顕在意識 潜在意識 双方において 今とは違うものを目指さなければなるまい 


アセンションに関して 研究家エハンデラヴィ氏がこんな例えをしている 

「川下りをしていたら::: ちょっと流れが速くなってるかな? あれ うわあ~ だんだんスピード増してるぅ~ なんだこれ? あっ! 滝だ! ヤバイ! 落ちる~ あああああぁぁぁぁ・・・ ドボオ~ン ・・・・・」 


知識や意識で ある程度の覚悟みたいなものがあれば パニックにならず 川の周辺の木や石につかまったりして 助かるかもしれない 


アセンションを語るメッセンジャーたちは 「パニックにならないこと」を最も強く伝えている


少しばかり 中途半端だが 本日はこの辺で


デハ  


 




 

これは わたしが平成十八年に書き記したものを 一部修正し 転載したものです  



音道 第三話 「音道の定義 道義」



 先日 知人で空手家のS氏に 音道の立案を打ち明けた 

すると こんな言葉を頂いた


「何故 あえて音楽を”道”として立ち上げるのか」 


ありがたいお言葉である 音楽にはさほど興味がないであろう S氏であるから  

おそらく真の思いはこうであろう 


「国技である相撲や 武道など 古き伝統 格式にこだわらず 逃れようと

新しいの在り方を求め 革新的な動きが出始めている中で 

何故 音楽を保守的な枠に押し込めるのか」 


ありがたいが故 反論させていただいた


「今(平成十八年現在)の音楽は酷いのです 

私の知る限り”音楽”と呼べるものは 非常に少なくなりました 

音楽の形態をとっているだけで 醜いものばかりです 

商業化 個性の欠乏 コンピューター音楽の台頭 様々な原因があるのですが 

それによって 真の音楽が破壊され 世間には 幼稚で低俗なものが蔓延っています 

ですから 私はあえて 音楽に音道というルールを設けることにより 

世の中が 再び”真の音楽”で染まる事を願い 音道を立案したのです」 


本当にありがたい S氏の意見で私の思いが言葉となり はっきり浮かび上がったのです 

自由や革新 創造などは 音道の定義に含まれてはいます 

しかし 古き良き伝統や普遍的なものを 粗末に扱う事は 愚の骨頂 冒涜極まりない 


このことをふまえると 音道の定義が見えてくる 

冒頭で挙げた音道十ヶ条 後に揚げる 音道十戒で それを整理していく 


とにかく 私の独断で 私の考える ある意味狭い枠の中に 音楽を押し込めることによって 

贅肉がそぎ落とされた 光の研磨剤で磨かれた 

美しい音楽で満たされる世を 私は思い描いているのである 


ある種 実験的試みである



齊藤音三郎の”デハ ハナソウカ”








*本日のあとがき*

S氏は この音道を 楽しみにしていてくれました 

「S氏よ 遂に登場しました! コメントくださいね」



皆様へ

コメントしにくそうなこんなお話に いつもコメントありがとうこざいます 

読んでくださる方々 ありがとうございます


デハ



   





昨日 ナント!


クロード チアリ氏 !!!!!!!


から


ペタがついた 


有名人である


うれしい・・・


音楽ブログに 大量のペタをしたのか?


否か?


コメントください


チアリさん

何故 私が音道というものを 立ち上げようと考えたのか それは真単純 


「日本には 華道 茶道 武道などがあるのに 何故 音楽道がないのか」 


日本の皇室に今も残る祭祀用歌舞である雅楽や

民謡 能など多数の邦楽が 存在しているにもかかわらずだ 

もしや それと同等のものがあるのに 私のような学のない者は 知らないだけかもしれない 

たとえ それが存在していたとて 同じ理念とは限らない 

いないとて 「私が第一人者だ」などというつもりは毛頭ない 


私のいう音道とは 音楽に対する観念 

そして 音楽にあえて 日本の”道”と同様の 精神性の向上 作法を注ぎ込むものである 


広辞苑で”道”という字を調べると 数ある意味の中のひとつ


「人として守るべき条理 また宇宙の原理 道義 道徳」   


(こんな事わかっていて ○○道と名づけたとしたら 日本人は恐ろしく凄い・・・ 古神道みたいなものを感じるなあ)

私は以前から 宇宙や地球の超古代の歴史や 精神世界などに興味を持ち 

独自に探求する日々が続いているが そんな折 ふと 


「精神世界(宇宙論 魂論 霊的作用など)と音楽は 何かで繋がらないか?」と頭に浮かんだわけだ 


神秘家シュタイナーや インドの音楽家H・I・ハーン等の書で その一致を確証したとき 

私と音道の 壮大な異空間への旅が始まったのだ 


先人賢者の多くは 

「音楽のそれは 他の芸術(絵画 建築など)のそれよりも 一段高い所にある」といっている 

(それとは何か? それの究明こそ音道の 人類のテーマか?) 


これは ある知人と何度もなされた会話の中にも潜んでいた 

「絵画や彫刻のように 目に見えない 物体として存在しないものに なぜ人々は心動かされ 一喜一憂するのか」 

こんな疑問も 先人たちは軽々こなしていたとは・・ 


物質主義で 科学を拠りどころにしている現代人は 到底行き着けない世界だ 

(「心とは 脳からの信号」などと 馬鹿げたことをいっているレベルである) 


このようなことが 音道の考案 樹立に拍車をかけた 

とはいっても 難解な精神論や深い信仰論は 賢人達がすでに提示しているので 

凡人たる私は もっと一般レベルで 音道とともに 音楽論を説いていきたい 

邦 洋 クラシックからアイドルポップスまで 

多種多様にわたって 私の知識と感性が尽きるまで・・・



                       

齊藤音三郎の”デハ ハナソウカ”









*本日のあとがき*

シュタイナーとH・I・ハーンの本に出会ったのは 四年以上前ですが 

精神世界との繋がりを知ったときの感動は 新鮮に憶えています 

音楽を心から愛する人 いやそうでもない人も ぜひ読んでいただきたい本です 

シュタイナーのほうは はっきりいって ワケ分からんですが・・

(二人の本に関しては 以前のブログでお話したので 多分もうでてきません)


しかし 書いてあるものを打つだけなので 楽チン ワクチン 電車賃


ジカイヘ ツヅク


デハ    

 


「音道とは 音楽道のことなり」

これは 私が平成十八年に考案し 書として書き始めたが 未完のままだったものを 改訂し 新たに書き加えるなどして 世に送る 世界一自分勝手な音楽書である ではどうぞ


        


      音 道    ~音楽道~

 


 序文 


この書は 私の音楽体験 賢人の書物 音楽を通じ知り合った人々の音楽観などを元に 

”精神世界と音楽”という観点で 音楽を追求し考案した ”音道”を立ち上げるべく 

そして 音楽の未来を憂い 希望の光を注ぎ込むため 独談と偏見のもとに 書き残すものである 



     音道 十ヶ条 


一、 音道 此れすなわち 音楽道の事である

一、 音道 此れすなわち 真の音楽の追求の事である

一、 音道 此れすなわち 音楽を通じて、魂 精神の向上を図るものである

一、 音道 此れすなわち 日本の”道”と同じものである

一、 音道 此れすなわち 人間道である

一、 音道 此れすなわち 精神と身体 感性と技を融合し 具現化するものである

一、 音道 此れすなわち 自と他の調和を重んじ 二元性を成すものである 

一、 音道 此れすなわち 自然(宇宙)との一体の事である

一、 音道 此れすなわち 音楽により 大宇宙の創造主との交信 一体を図るものである

一、 音道 此れすなわち 真の信仰である





*本日のあとがき*

約四年半前に書いたこの書をあらためて読んでみましたが 

意外にも ほとんど手を加える必要のない内容でした 誤字や変ないいまわしはありましたが・・ 

ほとんど確立していたんですねえ 進化していないとも言えますが・・・ 

しかし アナログ人間だったわたしが キーボードを打ち 悪戦苦闘しながらも 

ブログという形で 公に発表するまでに至ったということは 充分な進化といえるでしょう 

当初は身内だけに見せるつもりで 面白半分で書き始めたのですが まさかこんなことになるとは・・ 

しかし おかしなこと考えるヤツだなあ コイツ(わたし) 


以後 項目ごとにお届けします お楽しみに


デハ                                              

いつ切り出そうかと時期をうかがっていたが 

やはりこれをお話しておかねばと思い 私なりの観点で少しずつお届けいたす 

メディアでもこのアメブロでも多く語られているので 概要はお話しません 

私の読者の方も書いておられるので そちらをどうぞ 


今や巷では 掃いて捨てるほど”2012”が溢れているが 

私が知ったのは七、八年前 ”竹内文書””ミシェルデマルケ”で

精神世界や超古代 宇宙論などに興味を持ち 

当然の流れ(今ではそう感じる)のように 私の世界に飛び込んできた 

その頃は 書籍などの情報源は今と比べ物にならないほど少なかった 

が 私が通っていた書店にはいつの間にか {精神世界}というコーナーができ 

宗教 霊界 陰謀論 スピリチュアル(実はこの言葉大嫌い 夢見る夢子ちゃんのようにこの言葉を使うヤカラのせい)関連の本が日に日に増えていったのを よく憶えている 

知人とよく「時代は変わったなあ~」としみじみ話していた 


実際には1999のノストラダムス騒ぎのころの書籍で2012は少しお目見えしていたようだ

(忘れないうちにお話しておくが 実は1999がアセンションの始まりらしい なにも起こらなかったわけではないんだなあ) 

当時 私の周りも世間も「またノストラダムスと同じ」と言う雰囲気だったが 

異常気象や経済情勢 霊能者の発言などに「おやっ?」という空気になっていった 

賢い人なら 世界と地球の行き詰まりを感じるはずである 科学的に検証したりして・・

私は単純であるから 何の疑いもなく2012とピタリ! 

いろいろ調べるとわかるが ツジツマなのよ バッチリ 

探求してきてまこと感じるのは すべて繋がっていた!ということ 

精神も物質も歴史も霊界も宇宙も善も悪も自然も森羅万象すべてが

人類のアセンションのためであったのだと!

そこに因果応報という宇宙の法則が関与し いまこの一瞬があるのだと! 

私のなかの誰かが叫んでいる(う~イカす) 


まずは正しい認識を 2012は滅亡ではなく 新たな始まり ワクワクファンタジーなのだ!


今日はこんなところで 



デハ   


齊藤音三郎の”デハ ハナソウカ”-200805051526.jpg