国語力で人生を開く! 家庭教師の戸田朝海です。
二月も後半に入って、ますます寒くなりましたねー!
今頃がおそらく寒さのどん底でしょうか。
夜明け前が一番暗い、というように、春になる直前が一番寒いそうですからね。
そんな中、先日、道端でホトケノザが咲いているのを見かけました。そろそろ春の気配が漂ってきたかな~? 私基準では、オオイヌノフグリが咲き始めたら、もう完璧に春です。
そんなことを言いつつ、実は最近風邪引いてました。
皆さんも、体調お気をつけ下さい~
先日見かけて、印象的だった光景です。
電車に乗って揺られていたら、目の前を制服を着た女子二人が、歩いていました。多分、私立の小学生かな? 6年生くらいでしょうか。動き出した電車の中を、進行方向とは逆に進みながら、一人が言いました。
「ねえ、なんかウケるよね。電車はこっち(前)進んでるのに、ウチらはこっち(後)進んでるよ~」
「わあ、本当だ~。面白いね~」
そう言って、二人は楽しそうに笑いながら、目の前を通過していきました。
いや~、いいなあ。
こんな些細な出来事が、あの子たちにとっては、すごく新鮮で面白いことなんですね。
もう30歳も過ぎると、そんなことでいちいち驚いたりしなくなってしまうので、その新鮮な感性を、純粋にいいなあ、羨ましいなあ、と思いました。
ずいぶん前に、3歳の女の子と公園で遊んでいたとき、すべり台の階段を一人で全部登り切れた瞬間、その子が飛び上がって喜んだことがありました。
「やったあ! 自分で登れたよ~! すごーいすごーい!」
って、文字通りぴょんぴょん飛び上がって喜んでいたんです。
その時も、これと同じような感動を覚えました。
大人にとっては、もう当たり前になってしまったことでも、子どもにとっては、とても新鮮な発見だったり、未知なる大冒険だったりするんですよね。
だから、子どもって大人が思う以上に、日々いろんなことを感じているんだと思います。
そういうことを、もっと上手く、作文の中に引き出してあげられないものかなあ、と思うんですけどね。
子どもが作文を嫌う理由の多くに、
「感じてもいないことを無理やり書かされる」
というのがあるようです。
特に楽しくもなかったのに「楽しかったです」
面白くもない本を読んで「感動しました」
そう書かなければいけないような、暗黙のルールというか、無言の圧力というか、そういうのってないでしょうか?
作文嫌いの子たちは、その辺りを「強制」と感じて、嫌になっちゃうんでしょうね。わざわざ「嫌い」と口に出さない子でも、それを窮屈に感じている子はいると思います。(私もそうでした)
「作文に書くことが思いつかない…」
とぼやく子はたくさんいるんですが、実際は、本当に何も感じていないなんてことはないはずです。だって、子どもなんですから!
(だから、正確に言うと「作文に書く(のに相応しい)ことが思いつかない…」でしょうねw)
本当は、書きたい! と感じたときに書いてもらうのが一番ですが、そうでないならせめて、「書きたいことを書いてもいい」ように出来ないものでしょうかね。
受験問題としての小論文などであれば、また話は別ですが、「文章表現」としての作文なら、あまり模範解答のような制約を設けない方が、練習効果が高まるように思います。
「書くことがない」というのは、技術的な上手い下手、以前の問題ですからね。
書きたい「内容」があって初めて、それを上手く伝える(文章にする)ための練習が出来るわけですから。

