「イタい子」などに見る「痛い」の使い方 | 話すだけで成績が上がる家庭教師戸田朝海の勉強できないコンプレックス解消大作戦!

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こんにちは。
スタディライフサポートmana、戸田朝海です。

最近の言葉で、「イタい」っていうのが、ありますよね。
「あの子、イタいよね~」とか、「痛車」とかに使われる、「痛い」です。

具体的には、
「オタク趣味全開なもの」だったり、
「個性的過ぎるファッション」であったり、
「年齢に不相応(主に、過剰な若作りでしょうか…)」であったり、
「過剰にナルシスティック」であったり
その他、「周囲の目を顧みない、非常識な行動や言動」
に対して、使われているような、気がします。

総合すると、共通しているのは、
「見てて恥ずかしい」とか「理解できない」「引く」
って感覚だと思います。
だから、「痛い」と言っても、痛覚的に、痛みを感じているわけではなく、
「見てて、こちらが痛々しくなるほど、恥ずかしくて見ていられない」
という意味の、「痛い」じゃないでしょうか。

これって、古文で言う、
「かたはらいたし」
の訳と、意味が近いですね。

現代語で、「片腹痛い」って言うと、悪役のボスなんかが、主人公に向かって、
「貴様がワシを倒そうなどとは、片腹痛いわ!」
とか言って、高笑いしてるようなイメージですが、(笑い過ぎて、横っ腹が痛くなるほど、おかしくてたまらないって感じでしょうか)
本来の「かたはらいたし」は、そういう意味では、ありません。

かたはら-いた・し[形ク]
-傍らで見ていても、心が痛む。そばで見ているのが辛い。はらはらする。見苦しい。気の毒だ。


傍ら(片腹ではなく)に、立って見ているこちら(自分)の方が、辛くなるほど、痛々しくて見ていられない。という意味なんですね。
で、痛々しさにも、いくつか種類があり、

①あんまり気の毒で、見ていられない
②見ていて、はらはらさせられる
③目をそむけたくなるほど、見苦しい、みっともない


このうちの③は、現代で言う「イタい」に、近い感覚だと思います。
この、③の用法で使われている文章が、実は「枕草子」の中に出てきます。

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かたはらいたきもの [九六段]

――(略)にくげなるちごを、おのが心地のかなしきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、言ひたることなど語りたる。――

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「ブサイクな幼児を、(親の)自分は可愛いからって、可愛がって、甘やかして、その子の言ったセリフを、声マネして人に聞かせたりしてるのって、まじイタいよね~」
と、清少納言は、言っています。(試験では、こんな訳し方したら、ダメですよ~)

ここで言う「かたはらいたき」は、最近で言う「イタい」と、かなり意味が近いんじゃないでしょうか。
あと、この内容自体も、かなり、現代でも通じそうな感覚です。現代でも、こういう光景って、ときどき見かけますしね。共感できる~って人、結構いるのでは? (芸人の、柳原可奈子ちゃんのネタにも、こういうのあったような…)
「枕草子」って、「春はあけぼの~」の序文に見るような、繊細な美的感覚や、季節ごとの美しさを鋭敏に捉える、観察眼の鋭さも、魅力のひとつですが、私としては、こういう↑「日常あるあるネタ」的な部分が、読んでて面白いと感じます。(ちょっと毒がきつい部分も、ありますけれど…)

さておき。
私は、言葉というのは、基本的に「生き物」だと思っています。
ですから、流行語が、次々に生まれては消えてゆくのも、言葉の意味や、読み方が、時代と共に変わってゆくのも、ある程度、仕方ないことだと思っています。(仕方ないというか、そういうものだと思ってます)

ですが、変わっていく言葉がある中で、こういう「言葉の先祖返り」みたいな現象があるのって、すごく面白いですね。
日本語って、面白いな~って、改めて思いました。