「大学教授」と言うと、あまり蓄財であるとか資産運用など、
お金の話とは縁遠そうなイメージが強いですよね。
しかし、今回ご紹介する本多静六博士は、
明治25年、25歳にして東京農科大学(現在の東大農学部)の
先生になったときから、月給の4分の1を強制的に天引きして
何年も積み立て、それを元に現在で言う何億もの財産を築いた
希有な人物です。
月給の4分の1と言うと、たとえば手取りが30万円の家庭なら、
問答無用で7万5千円を貯金し、残りの22万5千円で暮らしましょう、
というお話になります。
本多博士の著書「私の財産告白」(実業之日本社)によりますと、
明治25年当時、手取りの月給が58円、そこから4分の1の
14円50銭を強制的に貯蓄のために差し引き、残り43円50銭で、
一家9人の生活を賄った、とのことです。
当時の物価水準を調べるに、なかなか統一的な資料が見当たらなかった
のですが、1節では、当時の1円がだいたい今の6000円~1万円
のように言われているようです。
ちなみに、サイトをいろいろ検索してみると、一つの事例として、
明治24年の朝日新聞・朝刊のみの購読料が28銭(0.28円)
だったそうで、現在の朝日新聞(夕刊なしエリア)の購読料3,007円と
比較すると、
3,007円÷0.28円≒10,739.28…倍となります。
この結果より、以降のお話として、概算で、仮に
「明治25年の1円は、現在の1万円に相当する」と考えておきましょう。
とすると、本多博士月に58万円の月給をもらうが、そのうち
14万5000円を毎月差っ引いてから、残り43万5000円で、総勢9人の
生活を切り盛りしていた、ということになります。
今は核家族化が進んでいますから、一家3人が普通でしょう。
となれば、単純計算でいくと、58万円の手取り÷3=19万3000円
ほどの手取りで、親子3人の生活をする、という算段になりそうです。
しかし、そこから問答無用で14万5000円を貯金に回す…。
凄すぎます、本多静六先生………(ノ゚⊿゚)ノ
給料日直前になると、おかずが買えず、ゴマ塩の毎日という状況に、
子供が「お母さん、今夜もゴマ塩??」と泣き顔で尋ねたそうです。
「本多式・4分の1天引き貯蓄法」
この覚悟があれば、国の財政再建も、決して不可能ではないように
思えるのですが、国民総出で、その覚悟があるか…ということですよね、
きっと。
ちなみに、毎月14万5000円相当(現在の貨幣価値換算)を、
数年間続けた結果、貯金額はわずか2~3年で500万円程度には
増えた、と推測さます。
どうやらこのころの銀行金利は年4%の水準だったみたいです。
なお、本多式貯金法にはまだ補足すべきことがありまして、
著作料や賞与などは臨時収入と位置付け、当然のごとく全額貯金!
こうなると、おそらく5年以内に1000万円単位の蓄財がかなった
のではないか、と思われます。
→ そこで、一例として月収30万円における貯金のパターン を考えてみました。