バルトークの高弟・シャンドール先生について。
NYはご存知のように人種のるつぼ、入学試験のために到着した翌日のこと。
通りで「6番街はどこ?」とあたりまえのように声をかけられました。
「??ワタシ??」・・・心底驚いたものでした。
ジュリアードの学食で、テーブルをつなぎ合わせ、その辺にいる学生で
一堂に会したことがありました。その数15カ国、共通言語は唯一英語という状況に
若いながらお互いに感嘆した日を今でも鮮明に覚えています。
厳しく競争の激しい音楽院ながら、さまざまな異文化との交流は楽しいもの、
世界各地にちらばったその友情は、今も細く長く続いています。
そんな環境で、シャンドール先生は、
バルトークのお弟子さんだったすごい先生・・という認識はありながら、
でも若く残薄な私は、
「生粋ハンガリー人」というよりは「アメリカ系のハンガリー人」という
印象だったように思います。
実際にハンガリーに住むようになり、ハンガリー人気質に触れるにつけ、
「あー先生は、何よりハンガリー人だったんだなぁ」と過去の日々を思いました。
ハンガリー人の車の運転は荒く激しい。車線変更もいきなりがーっと!
先生も、言ってみればそんな気性の方でした。
その反面、達観した思想の持ち主で、酸いも甘いも超えた「格言」で
諭されたものです。
6ヶ国語がお話お出来になり、前の生徒がスペイン人だと、
私に代わってもスペイン語が止まらず・・「先生、スペイン語わかりません!」
一瞬キョトンとして、独特の発音で「Sorry sorry」とおっしゃったのも懐かしい。
月の一度のマスタークラスは夕方から長時間、パワフルな先生でした。
その後は先生のおごりで学校の近くのレストランに行きました。それがあったから、
なんとか生徒たちもがまんしていたような。日本食もお好きな先生でした。
あまりに練習していない私にめんどうくさくなった時は
1時間いっぱい、ずーっと演奏をしてくださいました。
目の前に繰り広げられるライブ、腕の動きの激しさ、
しぶきが上がるかのようなリズム感は・・・とても素晴らしかったです。
特にバルトーク、プロコフィエフはかっこよかった。
「来週はもっと練習してくるんだよ」と頭をポンポン、孫みたいなものでした。
月に1度、今でもご丁寧に送られてくるジュリアードジャーナル(新聞)に
先生の訃報記事が掲載されました。
93歳という長命、2005年12月9日NYでご逝去なさいました。
次回はもっとまじめな、音楽的な面のシャンドール先生をお書きしますね。
ジュリアードジャーナル2006年2月号の記事。

