昔(となってしまいましたが)、邱永漢さんという作家がおりまして、けっこうたくさんその人の本を読んでおりました。
高校か大学のころのことでございます。

親が金持ちの奴っているじゃないですかー、いつの時代でも。
おれの家は貧乏だったので。口には出しませんでしたけれどもいつも「いーなー、あーゆー家に生まれたかったよ、おれも」
と思っておりました。  今では「親がちゃ」って言うんでしょ?
40年前の昔だってそれは同じですよ。

服装はおしゃれしちゃって大学生なのに高級スポーツカーを乗り回し、「お前は花形みつる」か、と思っておりました。
おれは左門豊作か、「トホホ」と思っておりましたよ。
大学生のころはおれはフルでバイトをしていた。必要に迫られていたからだ。バイトしなければ干上がっちゃうからな。
友達でバイトをする必要のない奴がうらやましかったよ。




話は元に戻って、邱永漢さんによるとお金は稼いだだけでは半製品、使って「完成品」となるのだ、
お金は使わなけれぼダメ、
お金を稼ぐ人と使う人は別の人、分業している、

という考えの趣旨の方でした。「へー、そんなもんかねー」
とその時は思っておりました。

で、大学生の時にスポーツカーを乗り回している奴の事が人ずてに聞こえてきました、
「あいつはお金をたくさん使っているけど親は全然使わないんだってー」

「えー、ホンマかいな、本に書いてある通りだな」とは思ったが

今考えますに   親が一生懸命努力して稼いだ金をドラ息子に遣われちゃうって、どー思います?

ドラ息子の遊びに遣われちゃう位なら自分で遣うわ、と思っちゃうんですけどねー。子供に残そうなって全く思わない。
(金持ちのドラ息子が平気でお金を使えちゃうのってお金を稼ぐ苦労を全く知らないからですよねー。)



その後邱永漢さんは亡くなりました。で、新聞や週刊誌でご自分のご主旨を実践できたかどうか追っておりましたが

「完成品」にはできなかったようですよ。お金を稼ぐ人と使う人は別の人、分業していたようです。







おれは貧乏を生涯の友とする稼ぐに追いつく貧乏なしの自営業だから、全く関係ねーけどな。