このタイトルは矛盾しています。
子どもが自分で勉強するなら
親がやることはないはずです。
でも、生まれてまだ一桁年の子どもが
自分で勉強の意味を自然に理解し
学ぶことや世の中の仕組みの面白さに気づき
自ら教材を選び毎日机に向かって勉強する
なんてことは、
一般的にはないと思います。
ただここで、親がそれをどう捉えるか。
子どもにやらせなければと考える親は、
前段階もなしに唐突に子どもを公文に連れて行き
勉強は大事だ!と一方的に伝え
今日からやる!
子どもが自らやることなんてないからやらせる、
と考えるのかもしれませんが、
このやり方だと
コミュニケーションの方向が
親→子どもの一方向にしか存在しておらず
子どもの意志や考えには
何のアプローチもできていません。
この段階で既に親自らが「やらせる」
「やらされる」の関係性を作ってしまっているので
子どもが自ら勉強しない原因は
子どもにあるのではなく
親が作ったものです。
一方で、子ども自ら学びたいと思う状況
=人はどんな時に自ら動くか?
を考えて実行する場合。
この場合の最初の段階は
親と子の相互的な対話
親が子どもの性質を知ること
ここからのスタートになるはずです。
子どもが勉強を嫌がる理由を
親が作っていないか。
指示待ち人間は
指示する人間との関係性が作りだしている
と考えるほうが自然だと思います。