東京、大阪地裁の和解案では国、アストラゼネカ両者の責任を認定していながら
大阪地裁の判決では国家賠償は避けており「数学的に破綻している」と考えます。

私自身はイレッサの添付文書にも欠陥はないと考えていますが、仮に不充分と
認定するのであれば中医協などで添付文書の記載方法についても議論を重ね、
イレッサを承認した国の責任も問わねばならないはずです。

(薬事・食品衛生審議会薬事分科会(平成14年6月12日開催分)議事録)

(イレッサおよびイレッサ訴訟に関する私見はこちら、、、)


報道をみる限りですが、判決内容の要旨は
・イレッサの有用性は販売当初も現在も認められる。

・ただし販売当初の同社の添付資料には「間質性肺炎」の注意書きが赤枠で冒頭に記載
 されておらず不充分。抗癌剤としての安全性を欠く欠陥があった。

・また承認・審査?については当時の医学的知見からは一応の合理性が認められる。
 国に対しては責任を問える程ではない。というもの。

イレッサ訴訟の弁護団側が公表した判決要旨はこちら、、
(一方の当事者からの発表ですのであくまでも参考程度ですが、、、)


問題となった初版の「添付資料」の1~2ページ目を示します。
2002年当時のごく一般的なフォーマットだと思います。
「間質性肺炎」なども明記されており順番は問題にならないと思います。
転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ

転移性肺癌の1寛解例に関する研究、のブログ


また原告の1人が署名した同意書においても「間質性肺炎」については明記されております。
一般の患者には聞き慣れない病名ですが、少なくとも医師であれば急激に進展し致死的な
経過を示す可能性があることは判るはずです。


本ブログは公人や公的なものを除き、特定の病院施設や個人名を挙げない原則ですが、
例外的に原告の1人である男性患者の経過を並べます。肺炎を誘発したのはイレッサかも
しれませんが、より多くの原因は治療方針にあった事が「証言」されています。
ーーーーーーーーーーーーーーー以下、原告の1人の治療経過ーーーーーーーーーー
・2001年9月  :肺がんと診断
・   11月5日:右肺上葉摘出手術(99%再発はないとの説明?)
・2002年2月  :検査も異常なし
・   5月   :縦隔リンパへの転移(7センチ?)
 親族の肺癌の経験から抗癌剤を拒否、セカンドオピニオンでイレッサを知る

・2002年7月  :縦隔に放射線治療開始~9月まで照射?
・2002年9月11日:1ヶ月分のイレッサを処方され退院
 放射線治療の影響を避ける為2週間?間隔をあけるよう指示される

・   9月25日:イレッサ服用開始。3週後ごろ高熱が出始める。
・   10月25日:40度の高熱。救急で処置しステロイド投与で一命を取り留める。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

→患者の言い分だけを信じる訳にはいきませんが、
「99%再発はない」などの評価はほぼ全ての癌種・病期で不可能です。

→術後3ヶ月の検査で縦隔リンパ節転移を見逃している可能性があります。
 5月に7cmなら2月には3~4cmぐらいと想像されます。

→転移の個数にもよりますが放射線の前後に抗癌剤を想定すべきです。再発・難治癌
 ですので必ずしもガイドラインや保険適応の治療に固執する必要はないと思いますが、
 エビデンスの確立していない治療に臨む場合の自己責任は自覚すべきです。

→放射線後抗癌剤という判断もあり得ますが、縦隔への(恐らく?)根治的な照射線量
 ならば抗癌剤治療は最低でも3ヶ月、できれば半年は間隔をあけ慎重な投与をすべきです。

→間質性肺炎と明記されている抗癌剤の初回治療で「30日分渡して退院」などあり得ません。

抗癌剤が何であれ肺炎を誘発するリスクの高い本症例についてまで
アストラゼネカの責任を問うのは酷だと思いますし、仮に副作用被害補償制度があっても
適用すべき症例とは考えられません。

例えば私は重粒子治療や自分で指定した抗癌剤レジメンに対し病院や医師や製薬会社、
あるいは機器メーカーに何かを補償してもらうつもりは当然ありません。
確立していない手法を自己選択する時、その結果にも自己責任を持つのが当然だと
考えます。


今回の件は患者が利益とリスクを判断するに十分な情報が提供されたかどうか?
が争点だと思います。アストラゼネカから医療機関への情報伝達に問題が
あったとは私には思えません。が、

・より安全で正確な医療情報のあり方と、

・医療機関を通じて手に入れる情報とネットやマスコミなどを通じて
 流布される情報に対する患者側の理解や姿勢、

などについて教訓とすべき点があるように感じます。