龍馬伝の視聴率が100%では無かったという話を聞き、
少なからずショックを受けたので、念のため告知しておきます。笑
12月12日「坂の上の雲」第7回でついに正岡子規(香川照之)が死にます。
私から見てここまでの香川照之さんの演技は100点だと思います。
「龍馬伝」での汚れ具合も従来のあらゆるドラマや映画の中でも突出して
優れていましたが、脊椎カリエス(結核菌が骨に浸潤し壊死する)
の痛がり方は現実に限りなく近いと思います。
2008年の骨盤転移で私は人間が感じる事のできる「痛みの極限」を
体験したつもりですが、当時の私の様子は来週の香川さんの演技と恐らく
そう遠くないはずです。
興味のあるかたは是非その部分だけでもご覧下さい。笑
正岡子規は、その最晩年(と言っても34~35歳ですが)に「仰臥漫録」
という「耐病ブログ」を遺しています。苦痛と(恐らく酸欠による)疲労の限界を
越えた領域で生き続けながら創作を続けた不屈さに驚嘆します。
正岡子規に関する専門家は世の中に沢山いると思いますが、彼の苦痛や絶望や嫉妬、
焦り、不満、感謝、そして精神の強さ、を子規本人と同じ深さと重さで感じられる
人は殆ど居ないのでは?と思います。
「仰臥漫録」の中で子規は小刀と千枚通しを眺めながら自殺について考え、
堂々巡りをしています。この部分も「極限の痛み」を体験したことの無い人には、
たとえどんなに明晰であっても理解できないと確信します。
私は重粒子線の普及に賛成です。そしてそれと同じ強さで「安楽死」にも
賛成します。倫理的、宗教的、そして技術的もしくは手続き論的な反対意見
が根強くあることは承知しています。
が、安楽死に反対する人達には、
「取り除くことの出来ない極限の痛みを自分達は原理的に理解できていない」
という事実を知って欲しいと思います。
そして、それに比べれば自分達が「単なる思いつき」で述べている理屈や意見の
殆ど全てが稚拙で空虚な事も、たとえ理解は出来なくても想像して欲しいと考えます。
少なからずショックを受けたので、念のため告知しておきます。笑
12月12日「坂の上の雲」第7回でついに正岡子規(香川照之)が死にます。
私から見てここまでの香川照之さんの演技は100点だと思います。
「龍馬伝」での汚れ具合も従来のあらゆるドラマや映画の中でも突出して
優れていましたが、脊椎カリエス(結核菌が骨に浸潤し壊死する)
の痛がり方は現実に限りなく近いと思います。
2008年の骨盤転移で私は人間が感じる事のできる「痛みの極限」を
体験したつもりですが、当時の私の様子は来週の香川さんの演技と恐らく
そう遠くないはずです。
興味のあるかたは是非その部分だけでもご覧下さい。笑
正岡子規は、その最晩年(と言っても34~35歳ですが)に「仰臥漫録」
という「耐病ブログ」を遺しています。苦痛と(恐らく酸欠による)疲労の限界を
越えた領域で生き続けながら創作を続けた不屈さに驚嘆します。
正岡子規に関する専門家は世の中に沢山いると思いますが、彼の苦痛や絶望や嫉妬、
焦り、不満、感謝、そして精神の強さ、を子規本人と同じ深さと重さで感じられる
人は殆ど居ないのでは?と思います。
「仰臥漫録」の中で子規は小刀と千枚通しを眺めながら自殺について考え、
堂々巡りをしています。この部分も「極限の痛み」を体験したことの無い人には、
たとえどんなに明晰であっても理解できないと確信します。
私は重粒子線の普及に賛成です。そしてそれと同じ強さで「安楽死」にも
賛成します。倫理的、宗教的、そして技術的もしくは手続き論的な反対意見
が根強くあることは承知しています。
が、安楽死に反対する人達には、
「取り除くことの出来ない極限の痛みを自分達は原理的に理解できていない」
という事実を知って欲しいと思います。
そして、それに比べれば自分達が「単なる思いつき」で述べている理屈や意見の
殆ど全てが稚拙で空虚な事も、たとえ理解は出来なくても想像して欲しいと考えます。