「教えすぎ」
これに気がついたのは、一昨年の冬でした。
2004年に教室を開講していらい個別学習を追及してきました。
苦心してきたのは、指導方法と講師の育成。
勉強会を使って1×1から 1×6程度で方法と講師指導のシュミレーション。考えられる指導方法を生徒別に少しずつ組むなど、仮説検証を繰り返しに取組んできました。
小さな教室ですが、在籍20人以上の講師がそれぞれの担当生徒の指導にあたるため、質の向上と均一化が大きな課題になります。
毎月勉強会を行い、ストップウォッチとビデオを使ったデモと練習。指導に役立つ様々な情報の共有。
個別学習というテーマをとことん追求してきました。
しかし、どうしても越えられないものが存在していました。
一言で指し示すことができる単語がみつかりませんが、それをどうしても越えられないのです。
おそらくは集団学習でも起こりうると思いますが、個別学習ではそれが顕著におきる。
表に現れるものの代表は、学校テストの点数です。
教室で習い始める。ある教科で成績が上がる。次のテストも上がる。そのつぎは。。。
変わらないそして下がる。
波があるものだからしょうがないと言ってしまえばそうかもしれませんが、この現象が起きたときに、「そこにはなにかある」という因果関係を考えてしまうのです。
因果律を使って考えいるのは人の持つ脳の特性ではありますが、違う教室で、環境・性別・学年・性格などが明らかに違う子に同様のことがおきるとき、「何かある」と思うのは自然だと考えたのです。
やはり言葉にするのは困難なのですが、他にも関連性があると思われる現象がおきます。
生徒にだけでなく講師にもおきます。極端なこともあれば、わずかながらも影響しているもの。
この「何か」がわからず、開講して4年目くらいからずっと悩んでいました。
一番悩んだのが昨年の春でした。
3年生入試対策の土日勉強会。
毎週行う勉強会に参加できる講師は少なく、一人で対応するために個別指導をやめ、プリント学習の勉強会にしたこと。
冬の間の勉強回は、個別ブースに貼りついた個別学習ではなくプリントによる学習とポイント指導による個別指導でした。
ここであった生徒の反応は、「何かある」をまったく感じさせないものでした。
これは何だろうと思いながら春を迎えます。
こうして土日プリントによる勉強をこなした生徒は全員第一志望校に合格。
男の子3名は、内申もきびしく、勉強を開始した時期も遅く、分数がわからないbe動詞は知らないような学力から始めた子達でしたが、希望した公立高校に合格していきました。
新しい高校生活がはじまるころに集約された情報資料をみると、3人とも内申ボーダーライン上で点数勝負をしていたことがわかりました。点をとって合格して行ったのです。
これはなんだろうとまだぼんやりしていましたが、はっきりしていたのは、ブース内で行う個別のようにべったり個別についていることはなかった。まずプリントから始めるためべったり個々問題の解説をすることは少なかった。それでも彼等は、いままで知らなかった、そしてできなかった新しいことを学び消化していった。
ということです。