文明開花の先駆者である福沢諭吉は、彰義隊の戦いの最中でも、騒然たる世間をよそに上野から近い自分の塾で、英書で経済の講義を行なっていたと言われています。

 

そして、当時、学生たちにこのように言いました。

 

「かつてオランダがナポレオン戦争で領地を占領された際、世界でわずか長崎の出島のオランダ人居留地だけにオランダの旗が翻っていた。それをもってオランダ人は、自分の国はかつて滅びたことがないと誇っている。それと同じように、私たちも世の中にいかなる騒乱が生じたとしても、日本の洋学の命脈を絶やしたことがない。だから、この塾のある限り、大日本は世界の文明国だ。世間に頓着するな。」

 

治にいて乱を忘れずという言葉があります。太平の時でも、乱に備えて準備を行なってはいけないということで、指導者として非常に大切な心構えです。

 

当時に、乱にいて治を忘れずというか、混乱の中にあって、それに巻き込まれることなく、心静かになすべきことをなすということも極めて大事だといえます。

 

福沢諭吉は自ら外国へも行き、時代の方向性というものを見定めていた。そして、これからは大いに西洋の学問を取り入れ、実地に役立つ人を育て、それによって日本を興していかなくてはならない、それこそ、自分がやるべきことだと考えたのでしょう。

 

だから、上野で戦いがあろうと、各地で風雲急を告げる出来事が起きようとも。、寸暇を惜しんで洋楽に励み、師弟の教育に打ち込んだのでしょう。

 

人間というのは、とにかく周囲の状況に流されやすいのです。治にあれば、治に溺れ、乱にあえば乱に巻き込まれて自分を見失ってしまうものです。

 

平静を保つだけでも困難を極めるのです。

 

常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり、自分は何をすべきかを考え、そのなすべきことをひたすらに実行していくということが大切だと思います。

 

これは、個人の生き方においても大切でありますが、やはり、リーダーこそがしっかりとそれを掴んでいなければなりません。

 

どのような事態に陥っても、リーダーはそれに惑わされることなく、淡々としてなすべきことをなすことが必要です。そうすれば、周囲の人間も自然とついてきます。

 

これこそ、リーダーに求めらる本質だと思います。

さてと、塾内テストで見事に1位に輝き、念願のAクラスへのステップアップを果たした私でしたが、内心では非常にビビっていました。

 

何をビビっていたかというと、夏期講習後の塾内テストは夏期講習テキストからしか出題されないという、「夏期講習スペシャル仕様」だったのです。

 

Aクラスの周りの人たちといえば、小5から三国丘高校を目指して猛勉強を続けてきた面々で、基礎から応用まで澱みなく極めてしまっている面々なのです。ですので、トータルの学力で言うと、私はAクラスでも最下位の位置付けだったのです。

 

2学期が始まり、Aクラスでの授業を受けることになりましたが、私は毎時間、シャーペンが滑ってしまって、うまく文字が書けないぐらい文字通り、手に汗握っていました。・・・内容が難しすぎて、ついていけない・・・

 

Aクラスは他のクラスより圧倒的に少人数で、授業の難易度が高くスピードが早いだけでなく、先生からの質問がバシバシと入ってきます。

 

3回質問されて1回ぐらいしか答えられない。特に数学は、ほぼ答えられないモードで、塾内テスト1位のメッキが剥げ落ちてきていくのを感じ、授業中に不意に顔が赤くなってしまうぐらい、謎めいた緊張モードに入っていました。

 

金箔で覆われた完全なる自己像は、今や半分ほど金箔が剥げ落ちてしまい、ところどころ黒っぽい木部が露出している痛々しい自己像と落ちぶれてきていました。

 

これは、流石にまずい流れにあると自覚し、9月はAクラスの授業についていくための予習、復習ばかりのサイクルでした。

 

10月に入ると、少し調子を掴んできて、Aクラスにも順応できてきました。中間テストも高得点でクリアし、3週間後には11月の五ツ木模試が近づいてくる時期になりました。

 

11月に入ると、平日でも23時から24時まで学習を行なっていました。22時に寝るのがベストですが、実力が未完成な中、11月の五ツ木模試という志望校を決定する重大なイベントに突入してしまうと、大惨事になることを確信していたので、とくに理科・社会の暗記分野をマスターすべく猛勉強しました。

 

後から考えても、この9月から11月にかけても猛チャージは、大学受験勉強を超える勢いと精度であったと覚えています。

 

さて、11月の五ツ木テストの受験が終わり、2週間後の11月月末に結果が返ってきました。

 

五科目の偏差値68ポイント

 

三国丘高校 C判定

泉陽高校  A判定

 

理科、社会については偏差値72(現代の感覚だと偏差値77ぐらい)と、突出した成果を上げることができ、当時は実名で記載されていたトップ400位に入ることに成功しました。

 

ただし、この当時でも、数学と英語については基礎的な抜け漏れがまだ残っている状態であり、それが三国丘高校のC判定の要因になっていました。

 

なんとしてでも、絶対合格圏に浮上してみせる!!

 

そのように意気込んで年末を迎えました。

 

中国古代王朝の殷の開祖である湯王は、大徳を持って善政を行いまいた。孔子も代表的な名君として、その徳を讃えています。

 

その湯王が用いていた盤(現代でいう洗面器のようなもの)には次のように書かれていました。

 

「まことに日に新たにせば、日々に新た、また日に新たなり」

 

毎日を、本当に意味で新鮮な気持ちで迎えること。全く淀む事なく、自己を日々刷新していこうという湯王の意気込みが現れていると思います。

 

湯王というのは、実在したとすれば、今から3000年ほど前の昔の人物です。その頃といえば、時代の変化はきわめて緩やかで、文字通り、10年1日のごとしというぐらいだったと推定されます。

 

そうした、テンポが非常にスローな時代において、王たる自分は日に新たでなければならないと考えた湯王は、偉大な指導者だったといえます。

 

この世の中は早い遅いの差があったとしても、やはり、刻々に変化しています。だから、昨日は正しかったものが、今日も正しいままとは限らないのです。それを10年1日のごとく同じことの繰り返しであっては、到底、成功できないのです。

 

指導者はそうした世の動きを敏感に感知し、次々と新しい指導理念を打ち立てていくことが必要です。また、実際的に運用する施策も講じていくことが大切です。

 

過去の考え方、これまでのやり方に囚われるのではなく、日に日に新たな視点に立って物事を考え、活動していく、それが欠かせない要素です。

 

湯王だけでなく、仏教を生み出したブッダは「諸行無常」ということを教えました。また、時を同じくしてギリシャのヘラクレイトスという哲学者は「万物はすべて流転している。対応ですらも今日の太陽は、もはや昨日の太陽とは違っている。」と喝破しているのです。

 

そのように、洋の東西を問わず、古の聖人、賢人が等しく「日に新たなり」ということの大切さを説いているのです。

 

ましてや、今日のように日進月歩の時代にあって、指導者たる者が旧態依然ということであってはいけないと思います。