暗記力を伸ばしたい人、必見の方法です。

 

難しい方法ではありません。

 

覚えておいてください。

 

「暗記は時間ではなくて回数」

 

たとえば、単語を覚えようとして、10分かけて完全に覚え切れたとして、次の日に覚えていられるかというと、

 

ほぼ忘れてしまいます、、

きっちり覚えたはずが、まったく思い出せなくなりますね。

 

これは、エビングハウスの忘却曲線という原理に従っているからであり、万人に共通しています。

 

1日も経過してしまうと、90%ぐらいの知識が忘れ去られてしまいます。

 

この人間の記憶の特性を理解して学習を進めることが偏差値向上の秘訣となります。

 

単語を覚える場合は、最低でも1日3回覚え直すようにしてください。朝起きてから学校に行くまでの時間、帰宅してからすぐに、最後は寝る前にです。夏休みや冬休みなどの長期休暇中は、さらに回数を増やして最低4回、多ければ6回の覚え直しを入れると良いです。

 

暗記にかける時間は、本当に短くて良いです。覚え切れなくても目を通すようにしてください。

 

何度も記憶に刷り込んでいくうちに、突然、ガッチリ定着して覚えられるようになります。

 

また、暗記力というのは筋力と同じで、反復して使用することで強化されていきます。

 

つまり、先に示した一日3回以上の暗記の反復練習を行うと、どのような人でも暗記力を高めることが可能です。

 

暗記力を極限まで高めておくと、受験にはかなり有利になってきます。

 

究極の暗記状態というのは参考書を丸々全て写真のように記憶している状態です。

 

社会の参考書のP58の右上に聖徳太子の絵があって、P122は明治維新の話が書いてある、というように写真のようなイメージで記憶することも可能になります。問題を解くときは脳裏に浮かぶ参考書を読みながら解く感じになるので、ほとんどテキスト持ち込み状態で解いていると同じ条件になります。

 

このレベルまで達すると、偏差値が70以下になることがなくなります。

 

目標が偏差値60程度までであれば、1年もあれば到達できるかと思いますので、とにかく、「暗記は時間ではなく回数」と肝に銘じて学習してみてください。

 

 

さてと、本日は代表の専門分野で切り込んだお話をします。

 

発達障害・ADHD・ASDについてのブログを拝見すると、「発達障害の傾向がありますね」という診断を受けて、目の前が真っ暗になった問いう記事を多数見かけます。その後、「療育」みたいなテーマに関心を持たれる保護者が多いです。

 

概ね小学校の高学年で周囲の児童と馴染みづらいや、忘れ物が多い、こだわりが強いなど、担任からの指摘や保護者自身の考えもあって、専門機関を受診する流れが多いようでうす。

 

発達障害・ADHD・ASDという診断を受けた時点で、普通高校への進学は無理だから、通信制などを考えるというブログも見かけました。

 

はっきり言って、小学生の段階で、その後の進路を明確に決めてしまうのは非常に危ういです。

 

私は公的セクターで、発達障害、ADHD、アスペルガー、自閉症という生徒を多く指導しておりますが、私の見解では、そもそも普通高校への進学を諦めるべき生徒は、ほとんどいません。

 

しかし、現実的に考えて、個性の極めて強い生徒達を前にして、そこに受験指導を入れていくというのは並大抵の難易度ではありません。どう見ても労苦の多い大変な仕事になります。だから、誰もやりたがらない、チャレンジすることから目を背けて簡単な道を薦めるという流れがあるように思います。

 

IQボーダー程度の知力があれば、偏差値40程度まで定量的に向上できることを、私の20年以上にわたる指導実績の中で確認できています。発達障害・ADHD・ASDのそれぞれの特性に応じた学習プログラムを実施していけば、普通高校の合格は可能な範囲にあり、また高校進学後もそれほど苦労せずに周りについていくことも可能です。

 

進学校に合格できる、偏差値60程度に達する場合も5%程度あり、これは定常発達の生徒と変わらない数値となっています。

 

IQが標準程度で発達障害というパターンであれば、私から見れば「かすり傷」程度であります。

 

しかし、「発達障害です」と明言されると、急に諦めてしまう保護者・生徒が多いように見受けられます。驚きと恐怖で気持ちが萎縮するのは当然のことです。もちろん、発達障害にも程度があり、日常生活も困難な場合は、療育という手法が有効になってくると思いますが、私の見る範囲で、そこまで重度な発達障害の生徒はレアだと言えます。

 

私の非常に個人的な見解になりますが、発達障害・ADHD・ASDと言われたとしても、気にせず、まずは第一義的に「普通高校」を目指すべきです。そこでドロップアウトしてしまうリスクは確かにありますが、そもそも「通信高校」に逸れてしまった場合、就職面において不利なのは明白です。進学するにしても不利になります。

 

実際、地域で最も入りやすい高校の場合、配布物の文章を見ると、漢字にはほとんど読み仮名が振ってあるぐらいです。主観的な計測ですが、半数近い生徒が、発達障害・ADHD・ASDの傾向ありで、それに対応した高校の運営になっているのです。だから、発達障害・ADHD・ASDの傾向があるお子さんがそのような高校に進学しても、周囲から浮かないのです。ある意味、安全と言えます。先生も慣れた対応で、ナチュラルに過ごすことができます。

 

経営者目線で見て、全日制高校を卒業した人材の欲しい度を表現すると「100%」、それに対して、通信高校を卒業した人材の欲しい度は「3%」です。朝から起きて、定時に到着するように通学し、いろいろな生徒がいる中で過ごせるスキルというのは、社会人として必須のものです。面倒な人間関係もなく、定時に到着する必要もない環境で過ごしてきた人材が、企業人としてやっていけるかというと、非常に疑わしいのです。

 

ですので、例えば、まずは普通高校に入ってみて、どうしてもダメだったら退学して通信に切り替えるというパターンを薦めたいです。正直な話、採用担当者だったら、この話の方が説得力を感じます。

 

始めからオルタネイティブな代替え手段に流れるのは、人生という長期的スパンで見ると、とてつもない失敗になるということを、私は明言します。

 

チャレンジして失敗したのと、そもそもチャレンジしなかったのでは、その後の人生が全く違ってくるのです。

 

このブログを見た保護者の方は、「どんなことがあっても目線を下げない」「子どもにチャレンジさせることを恐れない」の2点を肝に銘じていただきたいです。

武田信玄の時代は戦国最強国と恐れられていた武田氏でありましたが、信玄亡き後、次の代の勝頼になってからは、全くもって、滅びの方向に傾いていきます。

 

武田氏の滅亡の要因となったのは、歴史の教科書にも載っている有名な「長篠の戦い」です。ここで武田勝頼率いる武田軍は壊滅的な敗北を喫し、以後、再起することはありませんでした。

 

信長の鉄砲隊が優れていたことが武田軍の敗北と語られていますが、後世から見なくとも、この戦いの不利なことは当時の家臣団においても一致した見解であったのです。

 

連日の行軍、城攻めで兵馬は疲弊しており、息盛んな織田信長との決戦を行うのは避けるべきと家臣団は勝頼を説得します。

ところが、勝頼は伝来の秘宝である「源氏の白旗と楯無しの鎧兜」を持ち出し、戦いの宣言を行います。

 

御旗無盾への誓いは武士にとって絶対的なものであり、それを実行してしまうと、もはや誰も反対することができないのでした。

 

そして、開始した合戦。武田軍の誇る騎馬軍団は信長の鉄砲隊の餌食となり無惨にも敗退、名だたる武将も次々と討ち取られると言う悲惨な結末を迎えます。

 

勝頼はそれまでの緒戦において優れた軍功を上げ、信玄以上の優将と言われるぐらいの人物でした。

 

それでも、結末において悲惨な最後を遂げることになるのは、やはり、周囲の意見を汲まず、独断で物事を進めてしまったというところに原因があると思います。

 

たしかに、「長篠の戦い」で勝利した信長も、老臣衆の意見を無視して出陣し、今川義元に勝利したという歴史的事実があります。「桶狭間の戦い」です。信長の場合は、籠城していても圧倒的な戦力差で打ち破られることが明白な展開だったかこそ、自ら軍を率いて奇襲に撃って出るという奇策を用いざるを得なかったという背景があると思います。

 

対して、勝頼は目的意識のない城攻めを繰り返し、軍勢は疲弊。特に決戦の必要性もない中で、準備周到な信長軍に突入していくという愚かな戦いを行いました。

 

やはり、リーダーというの存在は、周囲の意見に真摯に耳を傾けて、最良の判断を下していくことが必要だと思います。独断専横の方が、スピードが速く、一時期的には効果が上がることもあるかと思いますが、長期的に見るとマイナスになる部分が多いと思います。また、独断専横のリーダーの場合、勝頼の最後のように付き従う人もどんどん少なくなっていくでしょう。

 

周囲の意見をうまく用いることのできるリーダーは、良い業績を上げ、失敗することが減る方向になります。そういうリーダーには、よりより意見がもっと集まるようになり、より業績が向上するというプラスのサイクルが実現できるとかと思います。

 

独裁のイメージが強い信長であっても、独断で進めたのは桶狭間の戦いぐらいで、他の作戦、政治については家臣団の力をうまく使って天下布武を促進していったのです。

 

ましては、我々においては、独断に陥らず、柔軟に周囲の意見を受け入れることができる姿勢が不可欠だと言えます。