長い間、役割を演じるのが当然のことだと思ってきた。


でも、実は、そんな必要はなかった。


周囲の期待する役割を演じる必要もなければ、
自分の育った家庭のコピーを作るために役割を演じる必要もない。
平穏無事な1日、なんて少ないこの仕事だけれど、
なかでも今日は、ヘビーな日だった。
もちろん、詳しく書くことはできないけれど。

人間て、大義名分があると、「正義は我にあり!」てなもんで思考停止して、平気で人を傷つけるんだなあ。
そして、日頃のいろんな鬱憤もまとめて、八つ当たりをする。
どれだけ殴ってもいい。だって、私は正義だから、とでも言わんばかり。


私の仕事はそういう正義の片棒をつぐ仕事もある、そんなことにうんざりしていたら。

別件で、救われた。
しかも、仕事関係者でも何でもない人に。

人間て、分かんない生き物だなあ。
人とのコミュニケーションには、笑いのツボが同じか違うかが、大きく影響しているな~、と思う。

こっちはわざと自分を落としてボケてるつもりなのに、笑いのツボが違う人は、私が傷ついてると心配して、真剣にマジレスでフォローしてくれたりする。

そうすると、ボケた時点では恥ずかしいとも何とも思ってなかったのに、何だか、自分が情けなくなってしまう。

そんなに自分の弱点を気にしてるように見えるのかしら、とか、
自分のボケの技術もまだまだだな、とか。


自虐的なボケは、人間の愚かさ面白さを愛する心豊かな人と仲良くなれるだけでなく、多用すると、このように、笑いのセンスが自分と違う心優しい人を心配させてしまう。
それだけならまだしも、人をバカにし見下すことで安心する器の小さい人まで呼び寄せてしまうこともある。

何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。
何だかバタバタと忙しくて、7月もあっという間に過ぎていきそうだ。

朝起きて仕事して出掛けて夜帰ってきてまた仕事。お風呂に入って洗濯して、宅配便を受領して郵便物を処理するのがせいいっぱい。
一人になる時間が少なくて、息もつけない。

こんなときだからこそ、深呼吸しよう。

家の一部分だけでも、掃除しよう。
ゆっくりお風呂で半身浴しよう。
再会のラビリンス…って、誰も覚えてないか。河合その子。

それはともかく、

今週末は、しばらく~長年会っていなかった方々から、続々とメールなどが来た。

それぞれ、別々のカテゴリーの人々なので、本当に偶然のようだ。

びっくり。

当たり前の日々を美しく感じるのは、日常を破壊する何かが起こってからのことが多いように思う。

歳を重ねて、何も起こらなくても、当たり前の日々に感謝するようになってきた、

…と、思っていた。


何も起こらないのは、何かが起こってしまうのを恐れる余り、自分から何かを起こすことを止めてしまっているからだった。

回りくどくて分かりにくいが、簡単に言うと、自分をごまかしていた、ということ。
今更ながら名曲だ。

バンドネオンによし、ピアノによし、バイオリンによし、ギターによし。

セッション、上がっていくテンション。

生演奏で聞くと、全身のエネルギーが回転し出す。
どうやら、一週間くらい前から、旧交暖め月間に入ったようだ。

10年ぶり、5年ぶりの懐かしい方々から、何故か、続々とご連絡を頂いている。

みんな、違う場所で出会った人達なのだけど。

ここ最近は、似たような出来事が重なることが、より一層、多くなってきた。

若干スマホ依存気味なためか(少しでも気になったことをすぐ調べてしまう)、最近、読書ペースが落ちている。
落ち着いて本を読むのは、スマホが手元にないお風呂の中か、通勤電車の15分くらいだ。

そのくせ、本屋さんに行くと、複数冊の本を買ってしまう。
これもたぶん、スマホのおかげ(せい?)で、興味の対象が広がったからだと思う。

これでは未読本がどんどん積まれていってしまう!と思い、一念発起して、外で本を読むことにトライしてみた。

近所の広目の土曜のスタバ…店内満席。外はまだちょっと寒かった。
でも、とりあえず、やっと、あと数10頁だった「女のいない男たち」読了。

寒いので移動。

家に近づいて、公園のトイメンの点心の店。ランチタイム終了後だったので、空いていた。薄着だったので店の中の方が暖かくて助かった。照明が暗いのが玉に傷か。

蟹炒飯とビール。昼ビール、至福。

酔っ払うと本を読めないので、一杯にとどめる。
吉本ばななの短編集「体は全部知っている」。途中まで読んだ。


池井戸潤は、外で日射しと風と緑を感じながら読む、というよりは、夜眠る前に布団の中で「寝なきゃヤバい、でも面白くて止まらない~!」みたいな感じで読みたいと思ったので、持っていかなかった。