森川万智子著「文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私(以下「文玉珠さんの語り」)について慰安婦問題に関わる学者の反応を見ると総じて評価が低い。慰安婦裕福説を唱える秦郁彦先生も「非常に良くできている読ませる本」と創作であることをにおわせている。性奴隷説を唱える左派の吉見義明中大教授や堀和生京大教授に至っては、軍票紙くず説を当時の資料から延々と立証しようとする。「文玉珠さんの語り」や「管理人の日記」の記述をほぼ否定する。(泥さんも)
 学者としてのプライドが無名の一市民が記録した書を認めることを許さず、それぞれ自説を曲げたくないのだろうと思う。私はこの「語り」を読み、一部には言えないこと隠したいこと記憶違いや忘れたこと、そして作り話もあると思うが、全体的に見れば当時の情景が天然色で見えるように感じる。その点、吉見教授による金福童さんの聞き取り記録には、家族、行った場所、友人、関係者など具体的なイメージが全く浮かばない。
 最近、挺対協の尹美香前理事長は、李容洙さんを「偽慰安婦」だとFBに投稿したが、金福童さんも同じくその可能性が高い。文玉珠さんは本物の慰安婦と思う。

秦郁彦教授
「慰安婦と戦場の性」1999年刊行
182頁
文玉珠(ムン・オクチュ)の女一代記(著書から)
 次にやはり原告の一人である文玉珠の一代記が「ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私」(構成と解説は森川万智子、梨の木舎)として96年2月に刊行されているので、同じ要領で紹介しよう。
(誕生から死亡までのあらすじを記載・省略、秦先生はこの語りを読んでいる)
 波乱万丈の女一代記で、語り口のうまさは抜群、構成者の考証もかなりしっかりしているが、「真偽」定かならぬ部分もないわけではない。ハイライトは、ラングーンで喧嘩した日本兵の刀を奪い取り、刺し殺した事件であろう。彼女は次のように語っている。
(「語り」からの引用省略)
 ところが彼女を救えというデモがあって、軍法会議の判決は正当防衛で無罪釈放という「美談」だが、念のためラングーン憲兵隊本部に勤務していた横田正夫少尉、藤井定雄曹長に聞いてみた。
 二人がこもごも語ったところを総合すると、「兵隊が慰安婦に殺されたとしたら大事件で、それに軍法会議へ装置するのは憲兵隊だが、聞いたことないなあ。作り話じゃないか」とのこと。
 そこで「仮にあったとすればどんな処理になりましょうか」と聞いて見ると、「44年から45年にかけてはインパール戦敗北のあとでビルマは全軍総崩れに近く、こんなことで軍法会議を開く余裕はない。殺された兵士は名誉の戦死にしておき、犯人はこっそり処分となりますかねえ」との返事であった。
 他にもタイへ後退してアユタヤ陸軍病院の補助看護婦をやっていたときも、文は意地悪する日赤看護婦の詰め所へ酒の勢いで殴り込みをかけたが、軍医はとがめなかったと書いている。
 熊本放送が92年に作ったテレビ番組にも登場して軍歌を披露した後、「宮沢を・・・ぶっ殺したい」とアピールしていたから。彼女の気の強さとサービス精神は天性なのかもしれない。


(追記)
 ムン・オクチュは1996年10月に死去したが97年2月、この作品に対し、山川菊栄賞が授与された。授賞式のスピーチで森川万智子は、秦が「諸君!」96年12月号の「慰安婦「身の上話」を徹底検証する」でムンの日本兵刺殺に疑問を呈したことに関し「(ムンが)話したくないことをやっとの思いで話してくれたのに」と声を震わせて怒り、「私の筆のいたらなさを痛感します」と述べたそうである。(「論座」97年4月号の加藤実紀代論文を参照)
(以上、慰安婦と戦場の性より)


 秦先生は、2013年6月のTBSラジオ対談でもまるで信用していないような口調で「文玉珠さんの語り」の書を紹介する。要するに何の資格も持たない一市民の森川万智子氏の仕事を評価したくないという気持ちが見え見えである。兵隊を殺した話をあり得ないとして追求し、全体を否定的に印象づけることをしている。森川氏が怒るのもよく分かる。なお、秦先生はこの「語り」を読んでいることは明かなのだが、「そのうち5千円を軍用郵便で下関郵便局へ送ったわけですねぇ。」と話を創ってしまう。捏造癖のある秦先生の悪い性格が表れている。

「2013年6月のTBSラジオ対談:その1に転記」
秦 例えば、こういうのがあります。文玉珠(ムン・オクチュ)というねぇ慰安婦なんですがねぇ、彼女の一代記が本になってるんですよ。これは山川菊栄賞をねぇ、もらった。本当にねぇ——
荻上 当事者の発言がということですか?
秦 いやぁ、その、回想記です、一代記です、元慰安婦のね。で、なるほど、これは非常に良くできてる、読ませる本なんですけどもねぇ。
で、彼女は色んな所を転々としたんですけど、最後はビルマに行ってるんですね。で、ラングーンにいたんです、首都のね。「利口で陽気で面倒見のいい慰安婦」として将軍から兵隊までね、人気を集めチップが降るように集まったと。
荻上 はい。
秦 それで、5万円貯金が出来たと、2年余りでね。
荻上 えぇ。
秦 そのうち5千円を軍用郵便で下関郵便局へ送ったわけですねぇ。
(以上、秦郁彦先生)


吉見義明教授
 性奴隷説を唱える吉見教授は、慰安婦裕福説を否定するためインフレによる軍票紙くず説を支持する。吉見教授の「従軍慰安婦」は、1995年刊行のため、1992年に慰安婦訴訟に参加した文玉珠さんの訴状は見ていると思うが、森川氏の「文玉珠さんの語り」(1996年刊行)を反映していない。
 2013年6月のTBSラジオ対談(その1に転記)では、秦先生の文玉珠さんに関わる話題にほぼ無反応で軍票紙くず説を唱えるだけである。文さんの「語り」は、吉見先生にとって不都合な書であり、無視することにしたのだろうと思う。
ある元日本軍「慰安婦」の回想(6)―金福童さんからの聞き取り―

堀和生京大教授(「管理人の日記」を木村幹神戸大教授と翻訳)
 堀教授は、管理人の日記を翻訳して慰安所の経営の実態を知ることになるが、当時の資料をかき集め軍票紙くず説を唱え、慰安所経営者や慰安婦が高額の収入を得ていたとする秦説を否定する。堀教授は、「文玉珠さんの語り」を読んでいると思うが「管理人の日記」の理解と同様に「預金、送金」の記述について理解しようともしない。始めから色メガネで事実を見ないようにしている。

 

京大東アジアセンター News Letter 2015年2月 第555号
【慰安婦の貯金と送金】
 日々書かれたこの日記には、慰安婦と慰安所従業員・経営者の貯金、預金、送金の話が頻繁に出てくる。この件に関して、経済史研究者として若干コメントしておく必要を感じる。というのは、慰安婦の経済的地位について、「将軍以上のより高収入」とか、「陸軍大臣よりも、総理大臣よりも、高収入であった慰安婦のリッチな生活」いう俗説が流布されているからである。
 この日記には慰安婦や従業員が野戦郵便局(軍隊酒保内部に設けられた軍専用の郵便局で、郵便、貯金、軍事郵便為替を業務とする)で貯金や送金をする話がよく出てくる。金額は200~600円が多いが、1,000円を越える例もある。慰安婦達が受け取った金を貯蓄や送金をしていたことは疑いがない。野戦郵便局の対象が軍人と軍属のみで民間人は使えないので、慰安婦と慰安所従業員は軍属待遇であったことを確認できる。
 そもそも、日本占領時代の南方(東南アジア地域)において円は全く使われていなかったにもかかわらず、この日記中の貨幣単位はすべて円である。このことがもつ意義を理解するには、あらかじめ戦時期南方の通貨決済システムを理解しておく必要がある。
(通貨決済システムの解説:省略)
 この(管理人の)日記が作成された慰安所は、軍兵站部酒保の管理下にあったが、完全な軍機関ではなく軍組織と民間にまたがる領域に存在していた。性サービスの提供については軍が管理していたが、日々の生活で慰安所は市場に依拠しなければならない面もあった。慰安婦や慰安所経営者・従業員はハイパーインフレのなかで生きているのであり、そこは軍事費特別会計の円や物資配給が支配する領域ではない。このように慰安所は、日本帝国内で将兵の給与はどこでも同一であるごとく完全に統一されている軍の内部経済と、ハイパーインフレが進行している外部経済にまたがって存在していた。慰安所が兵士から受け取る花代は日記史料では円と書かれているが、実際はすべてルピーや海峡ドル表示の軍票(あるいは南発券)であった。そして、日本内地の円貨表示の水準でルピーや海峡ドル軍票を支払われても、それでは現地では到底生きていけない。これが、インフレ下で生きる慰安婦達の名目上の収入膨張が発生するメカニズムである。この日記によっても、慰安婦達の個別の収入全体は把握できない。ビルマにいた慰安婦の収入を確実に補足できる史料は、先に名前の出た文玉珠さんの事例である。1992年文玉珠さんが来日し日本政府に強く要求した結果、熊本貯金事務センター(現在、戦前の軍事郵便貯金を管理している機関 現在はゆうちょう銀行に移管)は、彼女の軍事郵便貯金通帳の貯金実績一覧を公表した(帳簿自体ではない)。これによって、ビルマにいた慰安婦の収入状態が明らかになった。文さんの場合、1943年3月6日からビルマの日本統治が崩壊する45年5月23日までに25,846 円が貯金されている。マンダレー駐屯慰安所規定」(1943年5月26日 駐屯地司令部)の遊興料金表は、兵士30分1円50銭であった。彼女が先の収入をこの遊興料金(花代)で稼ごうとすると、稼働日や経営主の取り分を考慮すると、1日平均100人をこえる兵士を相手にしなければならない計算になる。もちろん、それはあり得ないことである。慰安所にも休業日もあり、将兵が全く来ない日もあったことは日記によく出てくる。連日フル稼働などということは不可能である。それが意味するとことはただ一つ、
文さんの貯金は日本内地の円貨ではない、ハイパーインフレで価値が暴落しているルピー建ての収入であったということである。それが具体的にどのように彼女の手にはいったのかまではわからない。南方の慰安所は、日本軍の内部経済とハイパーインフレのなかにある軍外の現地経済にまたがって存在していたために、慰安婦達の収入にはこのような名目上の膨張が生じた。このようなハイパーインフレ下の見かけの収入額をもって、秦郁彦氏(2013年06月13日TBSラジオ番組「『慰安婦問題』の論点」)のように慰安婦が「日本兵士の月給の75倍」「軍司令官や総理大臣より高い」収入を得ていたと評価することは、過度な単純化ではなく事実認識としてまったく間違っている。