とりあえずもう一度、Mr.Childrenの「口がすべって」の歌詞を全文載せておきます。
①口がすべって君を怒らせた
でも間違ってないから謝りたくなかった
分かってる それが悪いとこ
それが僕の悪いとこ
②「ゆずれぬものが僕にもある」だなんて
だれも奪いに来ないのに鍵かけて守ってる
分かってる 本当は弱いことを
それを認められないことも
③思い通りに動かない君という物体を
なだめすかして 甘い言葉かけて 持ち上げていく
もう一人の僕がその姿を見て嘆いてるんだよ
育んできたのは「優しさ」だけじゃないから…
④争い続ける 血が流れている
民族をめぐる紛争を 新聞は報じてる
分かってる 「難しいですね」で
片付くほど簡単じゃないことも
⑤誰もがみんな大事なものを抱きしめてる
人それぞれの価値観 幸せ 生き方がある
「他人の気持ちになって考えろ」と言われてはきたけど
想像を超えて 心は理解しがたいもの
⑥流れ星が消える 瞬く間に消える
今度同じチャンスがきたら
自分以外の誰かのために
願い事をしよう
⑦口がすべって君を怒らせた
でもいつの間にやら また笑って暮らしてる
分かったろう
僕らは許し合う力も持って産まれてるよ
ひとまず そういうことにしておこう
それが人間の良いとこ
前回は③までやってみましたので、次は④からですね。
④争い続ける 血が流れている
民族をめぐる紛争を 新聞は報じてる
分かってる 「難しいですね」で
片付くほど簡単じゃないことも
いきなり規模がおっきくなりました。
これも、桜井氏のよく用いる意外性の有効的な使い方ですね。おっ、次は何の話や?と思わせる。
ですが、ここにある「紛争」が、③までの「僕」と「君」の間にある喧嘩、或いは気持ちのすれ違いのようなものと対応していることは想像できる(ように書いてある)。
ここから、どう二つを結び付けてゆくのか、というのがこの後の一つの焦点になりますね。
下の二段、「分かってる…じゃないことも」の部分は、民族をめぐる紛争は簡単な問題ではないという表面的な意味と、ニュース番組等で発言する専門家の常套句「難しい問題ですね」は何の解決にもならない、というある程度の批判的な意味が込められている、と判断していいと思います。
この下段冒頭の「分かってる」、というのがいいですね。
「分かってる」の言外には、「でもどうにもできない」という多少の無力感が漂っている。
言外の意味を想起させる言葉を選択する力は、桜井氏の素晴らしい才能の一つであると思います。
⑤誰もがみんな大事なものを抱きしめてる
人それぞれの価値観 幸せ 生き方がある
「他人の気持ちになって考えろ」と言われてはきたけど
想像を超えて 心は理解しがたいもの
ここで①~③と、④の歌詞がある程度まとめ上げられます。
そこでこの⑤の歌詞を噛み砕くと、「僕と君の関係のようなミクロな問題も、民族をめぐる紛争のようなマクロな問題も、本質的にはおなじものを根底としている。それは、人はそれぞれ大事なものを持っていて、その大事なものは違っており、その違いを理解することは非常に難しい(というか完璧には出来ない)ということである」…というような解釈でいいと思います。
ここで、この「口がすべって」の歌詞における「問題提起」的な部分は終わったのかな、という感じですね。
本来、歌詞というのは特に答えが用意されている必要は無いものです。
なので、普通の歌詞の意味内容としてはここで終わってもいいと思いますが、そこは天才桜井氏。まだまだいきます。
⑥流れ星が消える 瞬く間に消える
今度同じチャンスがきたら
自分以外の誰かのために
願い事をしよう
ここで、いままでこの歌詞にはなかった「情景」が挿入されます。
①~⑤までだと、この文章は「歌詞」にする必要があるのか、という疑問も生まれかねない内容ですが、この⑥によってしっかりと美しさのようなものもエッセンスとしてちりばめられます。
⑥によって、この歌詞はより「歌詞らしく」なったわけです。
もう一つ秀逸なのが、「今度同じチャンスが来たら」という部分。
「今度」ということは、今来て瞬く間に消えた流れ星への願い事は、自分のためにしていたということです。
もっと深く読み込んでいうと、
「一番の願い事を自分のためにすることは悪いことではない。でも、二番目の願い事くらいは他人のためにしてあげてもいいんじゃないか」ということ、でしょうか。
⑦口がすべって君を怒らせた
でもいつの間にやら また笑って暮らしてる
分かったろう
僕らは許し合う力も持って産まれてるよ
ひとまず そういうことにしておこう
それが人間の良いとこ
冒頭の歌詞が再現されて、歌詞はひとまず解決をみます。
歌詞中(主に⑤)で提起された問題には、「許しあう力、それが人間の良いとこ」だという少しフワッとした答えになっています。
が、これはこれしか答えがないので、ベストな形なのだと思います。
なぜなら、⑤で既に書いてあるように、人それぞれが抱えているものの違いは完璧には理解できない、そもそも「理解する」という事に関しては解決は難しいからです。
なので、この⑦は、
「理解するということよりも、許し合うということの方が大事なんじゃないか(というか人間はそれしかできないんじゃないか)」という意味でとってしまっていいと思います。
そして、ここでもまた技術的に素晴らしい点があります。
それは、僕らは許し合う力「も」の、「も」ですね。
これ、別に僕らは許し合う力「を」でもよかったんですね。意味は通りますから。
では何故、桜井氏はこの部分を「も」にしたのか。
この「も」には、何が詰まっているのか。
これは、「許し合う力」の対義的な別の「力」、おそらく、「主張し合う力」…というようなものが省略されているのでしょう。
要するに、桜井氏は、人間の許し合う力、主張し合う力、これらをひっくるめて「許して」しまったわけです。
ここを「を」にするとどうでしょう。
少し、歌詞が説教くさくなってしまいますよね。
「その許し合う力を、使っていこう、もしくは、使っていくのが正しい」というような、ほんの少しの強制力が生まれてしまう。
そこをおそらく、桜井氏は嫌ったのでしょうね。
ここの「も」は、この歌詞全体の文学性を上昇させるのに絶大な効果を発揮しています。
おみごと、の一言です。
…はい。
どうでしたでしょうか。
第一回歌詞批評会。
面白かったでしょうか。
正直、僕はもうやらなくていいんじゃないかと思いました(爆笑)。
森元いっつもこんなこと考えてんのかって、思われますもん。笑
まぁ…また気が向いたらやりますね。
もし、万が一、僕に批評してほしい歌詞があればリクエストください。
待ってま~す。
