こんにちは。
森元です。
ちょっと前に、前回宣伝させて頂いた来月末のIKASUKEさんの公演について脚本演出の青木さんとお話しさせて頂いたのですが、その時のお話から少し思ったことを。
今回のIKASUKEさんの公演「アンサンブルトルネード」(詳細はコチラ)には、沢山の童話からキャラクターが出てきます。
シン○レラ、王子様、きこり、魔法使い、果てはミッ○ー、ミニ○…などなど、もうこれはギリギリなんじゃないか(ってか完全アウト?笑)という感じ。
コメディなので青木さん得意のドタバタ劇が予想されるのですが、その中でもまた一筋縄ではいかない脚本を考えておられるようで、こんなことをおっしゃっていました。
「童話はそれそのものが存在するということだけに価値があるんじゃなくて、コミュニケーションのツールとしての価値が大きいんじゃないか。例えばお母さんが子供に童話を読み聞かせる時、あくまで主人公は読んでいる母親、聞いている子供であって、童話自体は主役でもなんでもない。ただ、そのお互いを「主人公にしてくれる」ということに、童話の価値があると思う。そういうことを最後に少し盛り込んだ脚本にできれば…」
いやー、久々に感動しましたよ。
なぜってこれ、僕が思っていた童話の感覚と全く同じなんですから。
こう書いたら、なんか偉そうな書き方になってしまいますが、でも多分、童話の役割ってそういうことなんですよね。
僕も童話の性質というものについては今までひどく悩まされましたが、辿り着いた一つの答えは、もうほぼほぼ青木さんがおっしゃってくれたものと丸被りなのです。
一つの童話があって、それを共有する。
童話の中には何人かの登場人物がいて、それぞれに個性的で、人間味が溢れている。
グリム童話の原作がグロテスクだと言われているのは、所謂この「人間味」が深くまで掘り下げられ過ぎているから、ということになるかと思います。
今の子供たちには刺激が強いでしょうが、「人間にはこういう一面がある」ということを示すにはやはり格好の題材です。
それによって恐怖を覚えたり幸せを学んだりして子供は成長してゆきます。
そして僕はそれを音楽と結び付けてよく考えます(一応、作曲家ですし)。
クラシック音楽が神に近づく為に生まれ、ハードロックが何かに抗う為に生まれたのであれば、僕が真に生み出したい音楽は、そういう意味での「童話的」音楽といってもいいかも知れません。
それは音楽そのものに価値があるというよりも聞いた人がその人固有のメッセージを受け取る、ある種の文学性を内包している音楽。
そして、音楽を奏でる人と聞いている人の間にシンクロニシティを生み出すような、そういう装置としての音楽。
なかなか難しい話ですが、音楽ってほとんどやりつくされてしまっているので、その中で僕がやれる新たなことはこういうことなのかな、という感覚を今は持っています。
この間、新年会パーティーで披露した中の一曲「Things I can do」なんかは、少しそれに近付けた様な気がするのですけどね。
ということで、よかったらどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=xmqoNe1I2sg
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