アサガオはなぜ朝開くのか?
アサガオは朝の光によってのみ蕾(つぼみ)が開くのではなく
アサガオが開くには 冷たい夜と深き闇が必要であるらしい。
なんだか詩に出てきそうな [冷たい夜と深き闇] というフレーズが心に残った。
自分が面白いと思ってるほどには 人は...
自分が面白いと思ってるほどには 人は思ってくれないということがある。
先日 二日酔いでゴロゴロとしながらTVをみてると日光東照宮の話をしていた。
ここにある有名な3猿(見ざる 言わざる 聞かざる)は 日本だけにあるものではなく
全く同じものが 世界中にあるのだそうです
中国にあって日本に伝来したというのなら納得できるのですが 古くから世界中にあるとすれば
ひょっとしてバベルの塔にも飾ってあったのでは!?
などと二日酔いの頭で想像してみた。
次に日光東照宮のなかの柱の1本がさかさまにつけられてるという話になり これは大工が間違ってとりつけたのではなく 古い神社仏閣にはよくある事で この建物はまだ完成してませんよという意味なのだそうである。
完全でない 完璧でない 未完成である ということが大事で 完全なものは壊れ去るのみ という考え方が古くからあったそうである。 簡単に言えば 未完成なものはのびしろがあるが 完全なものはのびしろがないということである。 フットボールアワーの岩尾は全身整形すればキムタクに近づけるが キムタクはどこを整形すれば今よりよくなるのかわからない むしろ一ついじくることによりバランスが悪くなるということである。
ここで酒の入ってる私の頭にうかんだのは レオナルド ダ ヴィンチのことであった。
ダヴィンチの絵は 未完成なものが多いといわれています。
かのモナリザでさえ死ぬまで手元に置き 筆を入れてたといわれてます。
つまり未完成だというふうにも考えられるのです。
ここで最初の話を足すと 3猿が世界中にあるのと同様に 完全なものは壊れ去るのみ という考え方が古くから世界中にあったとしたら ダヴィンチはわざと未完成なものをつくったんじゃないかとも考えられます。
そういえば モナリザは永遠の微笑みといわれてます。
完全でないから今でも美しいのではないだろうか。
この話を何人かにしたのだけれど 僕が思ってるほどには 人は面白がってはくれなかった



