安曇野は、目の覚めるような季節を迎えています目がハート
 
SANKAの目の前です。この景色をただで眺めていいんやろかと思う。彩りのなかを泳ぐように歩き、縫うように走っています🚚
 
 
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先日は、ご近所ハーブスクエア さんでの野外演奏会に誘って戴きました。
 
紅葉に彩られたガーデンでの、本格コントラバス奏者・谷脇友里恵さんの単独演奏。
 
小澤征爾塾に属する谷脇さんら楽団が、偶然通りすがってこちらの施設を見かけ、「あらなんて素敵なガーデン。ちょっと演奏させてくれませんか」という事で成立したという、
 
広大な田舎ならではの卒啄同時イベント。
 
 
重低音フェチ、レイヴ好きとしては、涎の出るようなシチュエーションでして目がハート
 
この世のものと思えぬ…

 

 
この木がまた見事、
「スズランの木」という世界三大紅葉樹で、約25年前にオーナー夫妻が手植えされたといいます。
 
今や、アントシアニン大合成まつり🍁
次の命へ襷を繋ぐための、親の真っ赤な血潮にも見えます。
 
 
木の中に入ると益々エネルギーを感じられますよとスタッフさん、、、
 
………!!!! 
 
 
 
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アートなお話をもう少し。
 
こちらはデザイナーのmina chape さんという方が描いてくださったイラスト。
 
CS60施術時、いただいたお土産の作品が素敵だったので、

 

 

 
 
今年(2022)デビュー60周年を迎えた義母みつはしの、記念Tシャツのイラストをデザインしていただきました。
 
自分が本気惚れした物のみストア に置いていますが、
このさりげなく絞った線といい(ちょっとレイモン・ペイネっぽい?)、質のよい生地、襟ぐりの丁度よさ、ほんとうに気に入っています目がハート
 
動物アートも素晴らしいmina chapeさん。またまたサプライズでうちの猫似顔絵を贈ってくださったのでした。
 
 
 
 
目がハートひゃっはー
 
「この猫の、独特の感じが出ていますね」と、クライアントさんたちに言われますが、
 

 

 
 
私が心底感心したのは、、
 
 
左耳の線が、右耳に比べてチリチリと縮れ、やわやわした線になっていること。
 
mina chapeさんにそんな意図はなかったかもしれませんが、
 
優れたアーティストさんは(恐らく無意識に)望診している。
 
 
この猫は左の腎や肺、左の耳が弱いんです。
 
道ばたを飛び回ってた兄弟の中で、この猫だけがゼイゼイと母親のお乳にすがりついていた(体は一番大きかった)
のを、私が拾って引き離したせいで、たぶん半永久的な分離不安とマザコンと枯渇感が残っている。→→肺→→腎*
 
拾わなければ、おそらく数日後に死んだだろうと獣医師たちに言われましたが、ひどい感染症や呼吸器不全もありました。
 
*人間のクライアントでも、お金や経済の不安→生存不安があるとき、腎が弱っていることが多々あると思います。
 
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そういうわけで、アーティストの無意識の望診力や、アーティスト自身の症状、作品に現れる兆候に、目が向くこの頃です。
 
振り返れば、ゴッホ。
 
作品そのものに統合失調症の症状が現れているとか、古今東西さまざまな分析がされていますが、
 
ゴッホは何を聞きたくなくて、左の耳を切ったのだろう? オーソドックスに考えれば、女の声。どんな声? 
 
と長年訝しんでいましたが、彼が切り落としたのは「耳たぶ」だったと最近知りました。
 
そうすると、意味合いが変わってきます。
切り落としたかったのは、資質か、家か。
 
20代の頃、糸杉や向日葵のレプリカ額装をくれた人がいて、自宅に飾っていましたが、自分の精神が落ちている時は直視できず、うつっぽい時なんて、見ただけで戦慄が走るので、メンタルチェッカーに使っていました。
 真顔ゴッホごめん。
 
郵便局員さんや夜のカフェテラスは、なんぼ凝視しても平気。
 
 
改めて、ゴッホ研究家たちの著作を紐解いていくうちに、面白い本に出会えました。
 
 
この著者のフィールドワーク熱というか執念が凄い。
ゴッホの生活を追うために、周辺の人物15000人以上のデータを収集。
 
 
 
そして、私なりにゴッホの星や数秘を読みながら、この研究書と対応していると、興味深いことが浮かんできました。
 
 
 
冒険家ゴッホ。わが道を行くゴッホ。家系の精神疾患がすでに星に現れていたゴッホ。
 
彼はある意味で星の通りに動いていたのではないか。
私たちが思っていたような惨めな不遇の状況とは言えないのではないか。
そこそこ風俗あそびをしていた記録も新たになっています。
 
*まだじっくり考えたいので、後日この記事は追記したいと思います。
 
 
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ゴッホについていろんな作家、アーティストが想いを馳せていますが、

 

 

 
ゴッホというより、むしろ作家デビュー前の川上さんの焦燥、痛みの共有、激励、慟哭、鼓舞、それでも求めてやまない物への強い思いが伝わってきます。
 
しかし、「ゆうたらんで良かった」のかもしれないと、今の私は思います。
 
苦しみを取り除かないままで、良かったのではないか。
 
この時代にも、優れたホメオパスやオステオパス、精神科医が居ましたが、運よくゴッホとまみえたとして、
 
果たして、楽にして良いのか。
 
眼鏡の豊福社長 に、むかし質問したことがありました。
 
「アーティストは、目や脳の歪みを整えないほうが、作品づくりにとって良い場合があるんではないですか? 
負の感情や情熱や偏ったエネルギーでこそ、生まれるべきアートというのがあるんではないですか?」
 
うーんと考えて、豊福さんおっしゃいました。
 
「確かに、若い頃の一時期、偏りや歪みや思い込みが、作品への強い原動力となることはあるかもしれません。
でも、作品人生を長く充実させ、コンスタントに営み続けるには、やはり目と脳を整える方が良いのではないかと思います」
 
ゴッホがもしも長生きしたら、角が取れて好々爺な絵画界の重鎮になったり………は、しないと思うけど、
 
余計な介入をせず、そのままの狂気へ突っ走ってゆくので良かったのではないか。
 
狂気、病気、死→ イコール不幸、とは言えない。
 
そして、先祖がバタバタと何人も死んでから、初めて、子孫が「これって一体なんだろう?」と考えるべき課題がある。
 
だれも介入してはならない症状、悪化を止めてはいけない病が、あるんではないかと思うこの頃です。