” 岐阜の山の中で、育った私。
子供の頃の文化は、村芝居。
父は、村芝居の女形でした。
私にも、子役のオファーがあったらしいが
当時はかたくなに拒否したとか。
そして、町の映画館で
東映の時代劇を見まくった小学生時代。
生の演劇に触れるのは、学校に来る、移動劇団。
そして中学、テレビの普及で
画面から宝塚のレビューが放映されると
ダンスにくぎ付けになり
高校では、体育の先生が立ち上げた
ダンスに近い体操部に入り、団体徒手に励みました。
私が踊りにはまった最初は、宝塚かもしれません。
山の中に育ったからこそ
生の文化に飢えて、憧れていましたね。
そして、後に、その時見ていた宝塚のスターと
一緒にフラメンコの仕事をするなんて
思ってもいませんでした。
出会えたときは感動でした。
4年ぐらい一緒に仕事をしました。
色々な仕事をしてきましたが
私が一番思い出に残っているのは
当時のオペラ界のスター
砂原美智子さんの引退公演”カルメン”の舞台です。
私達舞踊団も、踊りの場面、2幕で参加していましたが
私と、彼女は、ケンカしながら
階段を転げ落ちる役を任され
痣だらけになりながら務めたものです。
本当は、歌劇団の人がするところでしたが
怪我をしてはいけないと、、、、、
(私たちは、してもいいのかい???)
まぁそれでも、その場面は
中央の階段、2人だけに焦点が当たる
大事な場面ですから、、、、
確か、、1日置きの3回か、4回公演だったように
覚えています。
そんなことを思い出しています ”
過去の事は
一つ思い出すと
紐づけされたように出てきます。
確かにこれが、踊りの入り口でしたが
フラメンコにたどり着くには
まだまだ、色々な切っ掛けがありました。
どの場面も、二者択一があり
良い出会いもあれば、悪い出会いもあり
現在の自分の選択を信じて
沢山の事を切り捨ててきました。
その結果が今なんですね。
”フラメンコ” とは意味を訳すことは出来ませんが
喜怒哀楽を表すのがフラメンコだとすると
やはり、人生がフラメンコなのです。
過去も未来も、私の人生に
オレー==!!
富士山はいつ見てもいいですね