AFTERMOD E-PRESS 【vol.0004】(2010年9月28日号)
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00【巻頭】『江戸の日本とアフリカの今』
01【連載】笠原正嗣『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記』
02【特集】佐藤慧『南部アフリカレポート selection 8月編』
03【告知】安田菜津紀 ≪26・27日≫東京新聞朝刊連載
04【告知】10月3日に鏡明塾が開かれます!
05【後記】『回る僕らの夢のあとさき』
00【巻頭】『江戸の日本とアフリカの今』
みなさんこんにちは。日本は急激に涼しくなって、過ごしやすい日が続いていますね。安田菜津紀も無事カンボジアに到着したようで、早速創刊号(9月6日)でご紹介したHIV村から、一報が届きました。
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トーイは相変わらずの悪がきぶり。足のつかない自転車をこいで、「ハロー!」と颯爽と登場。体の大きさが1年半前から殆ど変わっていないけれど、村一番のやんちゃぶりを発揮していた。これからどんな大人になっていくのだろう。(1:12 PM Sep 24th 安田菜津紀)
・・・
さて今回は、『富嶽三十六景』を巡る連載企画『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記』とアフリカを取材中の佐藤慧から届いたツイートとブログを編集した『南部アフリカレポート selection 8月編』をお送りします。時代も場所も全く違う二つの記事から立ち上がるダイナミズム。アフタモード流の越境コンビネーションです。同じ志で集ったメンバーの、視点のかわるがわるをお楽しみ頂ければ幸いです。
01【連載】笠原正嗣『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記(1)』
世界的に知名度のある日本画家を思い起こしてください。こう問うと、きっとかなりの人は「葛飾北斎」をあげられることと思います。
僕は最近この「葛飾北斎」について色々と教わる機会を得まして、そのとき気が付いたことを、歴史的背景と合わせ重ねてこのE-PRESSに描(書)いていこうと思います。
もちろん、取り上げる絵・画は、ご存知『富嶽三十六景』。
他のE-PRESSの記事とはずいぶんと色が異なるように思われるかもしれませんが、少しでもみなさんのお役に立てれば幸いに思います。
まず僕が江戸文化を語るときの前提についてお話ししましょう。基本スタンスは「鎖国はあまりなかった」。これで行きます。確かに政治的には鎖国はあったのかもしれません。しかし、それはあくまで建前で「文化的に鎖国はザルだった」という視点で話を進めます。というのも、T・スクリーチの著書『大江戸視覚革命』などで鎖国中の長崎等から、いかに欧の文物が密輸されていたかを暴かれているためです。そして今回書いていく内容を思いつくきっかけになった一つが、T・スクリーチ著『江戸の大普請』という本の一文でした。それは、
「歌枕に関しては、江戸にはなんら希望もなかったのである。この問題は実に深刻だった。しかし解決がない訳ではなかった。(中略)富士山である」
というものです。この一文の背景にあるのは、中世日本の貴族社会において、その土地の価値は歌枕や掛詞で決まる、つまり和歌に使われているかどうかで土地の評価が決まっていたということです。そのため、天下を取った徳川家康が「武蔵」の土地に江戸都市を造るということは、実は超ド田舎に首都を造るようなものだったと分かります。武蔵を読むような歌枕はなかったんですね。
当時の貴族社会では、和歌のイメージが土地のイメージと直結していました。有名どころを挙げるますと、大坂は「逢坂」ということで、男女の出逢いのようなイメージが付く感じですね。そういった一種のシンボリックなところが和歌にはあったわけです。ところが江戸にはそれがない。それは日本の中心に置こうとする家康としては致命的でした。今後「日本の中心はココ(江戸)だ!」と言いたいのに、シンボルとなる言葉がありません。そこで頭をひねった家康は別のシンボルを探し、見つけだしました。
それが「富士山」だったわけです。
富士山は誰もが納得する強力なシンボルです。でも江戸から結構遠いところにあったわけで、一応見えるよねって感じです。だからか、江戸時代とは言ったものの、江戸という都市は中期まで(特に商業において)日本の中心にはなれず、ずっと京阪(京・大坂)が中心のままでした。
それが激変するキッカケとなったのが、1860年代に出された『諸人入れ込み』という御触れです。この御触れは要するに「日本にある文物を(大坂・京でなく)江戸に集めろ!」という法律だと思ってください。ここから北斎がなぜ『富嶽三十六景』を描くにいたるのかという僕の推理が始まります。……続く
(文=笠原正嗣/絵=葛飾北斎)
02【特集】佐藤慧『南部アフリカレポート selection 8月編』
Aug 20 2010 18:55:19
The world is smaller than before. Beyond the border, it's just an imaginary line.
現在、地球上の全ての人々は密接に繋がっている。切り離された外部ではなく、大きな大きな1つのコミュニティの内に暮らしているのだ。
ちょっと歩けば地平線が見える。大地の広さの感覚が違う。
≪南部アフリカでの数字≫
◆ザンビアで7kmと言われたら大概14kmくらいのことを言っているので当てにならない。
(以前1時間歩いたら着くといわれたら、5時間歩いても着かずに死ぬ思いをした)
◆9つの国と国境を隣接しているコンゴでは、ルワンダ内戦の飛び火で北東部が地獄と化した。
◆300万とも500万とも言われる人々が内戦の犠牲になった。未だに国境沿いや山岳地帯では、武力衝突も起きているという。ちょうど国境沿いの町で武装勢力に200人の女性がレイプされたという情報を得たばかりだった(9歳の女児を含む)。この地域のHIV/AIDS感染率は公式で14%。Samfyaの公式発表の16%に迫る数字だ。(公式発表を現状が上回ることは多々あり、Samfyaの田舎での統計では25%を超える)
≪日常と非日常≫
◆飢餓、紛争、サバンナ...。アフリカの情報の多くはそのようなもので、そこに暮らす"普通の人々"の日常は無視されがちだ。しかし、もし多くの人のアフリカや貧困国に対するイメージがネガティブなものばかりなら、逆にそこに普通の生活があることを伝えることが"ニュース"なのかもしれない。
◆Aug 23 2010 21:14:48
このままでは隣国の戦争に干渉されてザンビアも戦争になる、と野党は煽る。ザンビアは奇跡的なバランスの上に平和を保っている。7つの国との国境を持ち、その線上には無数の地雷が埋まっている。
◆Aug 25 2010 23:51:38
ザンビアの田舎で教師をしているアルビノの女性を取材。日本では認知すらされていないアルビノが、この地では普通に受け入れられている。黒人の中にあって、色素のない真っ白な彼ら、彼女らは、地域によってはひどい虐待を受けたり、呪術の生贄として殺されることもある。
仕事がなくヒマを持て余す若者は、道端でギャンブルに興じていた。
≪南部アフリカと外国の関係≫
◆Aug 21 2010 12:04:03
来年の1月には南部スーダンが独立するという契約があるらしいが、どうなるのだろう?
◆Aug 22 2010 00:30:53
初代ザンビア副大統領の娘さんからさっそくウェルカムコールが。...と書くと何やら凄そうだけど、現在は環境系NGOのボスをしている方です。明日会えることに。順調だ♪
◆Aug 22 2010 17:43:49
先進国がアフリカの貧困を何とか出来るだなんて奢りも甚だしい。僕たちの生活は、そういう所謂貧困国の人間に支えられている。
◆この道路は、去年は穴だらけで酷いものだったのだが、中国企業が急速にインフラを整えているため、すっかり修繕が完了し快適な路面になっていた。
◆運転席に物を散らかしすぎている、というわけのわからない理由で車ごと拘留された結局1時間ほど拘留されて出発。おそらく運転手は賄賂を渡さなければ釈放されなかったのだろう。。ザンビアの警察の腐敗っぷりには本当に呆れる。
◆政府や公務員の腐敗が国の健全な発展を阻害しているのは明らかだ。アフリカの資源は不当な価格で外国資本に売られ、彼らの懐だけが肥えていく。末端にいる人々にその恩恵が届くことは無い。
◆独立後、西洋化を推し進めてきたザンビアでは、「化学肥料」によるメイズの栽培を促進してきた。結果、その土地では単一の食物しか栽培出来なくなり、生きるための食料は他から買ってくるしかなくなる。そのための現金収入は森の伐採から得る。
≪命がけの珍言集≫
◆信用できそうなタクシー運転手のBENとも仲良くなり、行き着けの宿もとった。荷物も全て無事。
◆音信不通になるかもしれませんが、ただ単に電気と水が無いだけなので心配しないでください★
◆写真をアップしたい..。首都でアップ出来なかったらどこでアップしろというのだ..
◆途中で道路脇に転落したトラックをみかけた。先ほどの町で見かけたトラックだ。北部に行くと言っていたので、一旦は乗ろうかとも思ったが、なんだか悪い予感がしたので乗らなかったトラックだ。幸い乗員の怪我は軽いらしいが、トラックはぐちゃぐちゃだ。
◆蚊は思ったほど飛んでいない。今回はマラリアに罹らずに済みそうだな....。
◆電気は日に数時間通るらしいが、水はほとんど出ない。井戸も壊れたらしい。ODAに入っていた外国企業も撤退を進めている。カメラの充電が心配...。最悪ガソリンで電気起こして充電するしかないかなあ。
(文+写真 佐藤慧)
03【告知】安田菜津紀 ≪26・27日≫東京新聞朝刊連載
9月26・27日の2日間、東京新聞の特報面にて記事が掲載されます。
フィリピン・マパニケ村で戦争の爪痕について取材した記事です。
お時間がございましたら、ぜひご覧下さい!
04【告知】10月3日に鏡明塾が開かれます!
◆10月3日(日) 神奈川県民センター(横浜駅西口徒歩8分)
[一般] 13:05~14:50 『クリティカル・シンキング』 (先着20名様まで)
[中高] 17:05~18:50 『未定』 (先着20名様まで)
参加費用は一般2500円、中高生2000円です。
申し込みはメールにて承ります。
☆ [タイトル] 【鏡明塾予約】日付・コース・名前 ★
【mail】: yahagi.sa@gmail.com
までお願いします。ご要望、ご質問等もこちらまで。
確認次第ご返信させていただきます。
(ケータイからのご利用の場合、「@gmail.com 」を受信できるようにご設定ください)
では、みなさんのご参加、心よりお待ちしております!
05【後記】『回る僕らの夢のあとさき』
北斎は93回も引っ越しをしたことで知られる越境のエキスパートでした。場所を変えることと思想には明らかに相関関係があるように思います。越境することで見えることがある。僕たちが井の中の蛙で居られるのは、大海を知らないことを認識していないからに過ぎません。どんどん越境を重ねて、世界を見て、夢を見て、いつかここに帰ってきたときに、「この散らかりっぷりがいい!」なんて思えるような編集をしていきたいと夢想する秋の深夜です。何かを取り戻そうとしているような焦り気味の季節は、淡い時間を早々に吹き飛ばして、冬へ向かっているようです。カンボジアのトーイに紙飛行機じゃなくて、箱を折ってくれって袖を引っ張られたのは、もう10ヶ月も前のこと。今日も回る世界は、成長し続けているのだと信じつつ、また来週お目にかかります。(文=ヤハギクニヒコ)
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今回の記事についてご意見・ご感想など、
お気軽にドシドシと書き込みください。
アフタモードメンバー一同、心よりお待ちしております。
編集 ヤハギクニヒコ 笠原正嗣
執筆 ヤハギクニヒコ 安藤理智 安田菜津紀 笠原正嗣 佐藤慧
発行 株式会社スタディオアフタモード/ studioAFTERMODE Co.,Ltd.
http://www.aftermode.com/
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