AFTERMOD E-PRESS 【vol.0004】(2010年9月28日号)



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00【巻頭】『江戸の日本とアフリカの今』
01【連載】笠原正嗣『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記』
02【特集】佐藤慧『南部アフリカレポート selection 8月編』
03【告知】安田菜津紀 ≪26・27日≫東京新聞朝刊連載
04【告知】10月3日に鏡明塾が開かれます!
05【後記】『回る僕らの夢のあとさき』





00【巻頭】『江戸の日本とアフリカの今』


みなさんこんにちは。日本は急激に涼しくなって、過ごしやすい日が続いていますね。安田菜津紀も無事カンボジアに到着したようで、早速創刊号(9月6日)でご紹介したHIV村から、一報が届きました。
・・・
トーイは相変わらずの悪がきぶり。足のつかない自転車をこいで、「ハロー!」と颯爽と登場。体の大きさが1年半前から殆ど変わっていないけれど、村一番のやんちゃぶりを発揮していた。これからどんな大人になっていくのだろう。(1:12 PM Sep 24th 安田菜津紀)
・・・
さて今回は、『富嶽三十六景』を巡る連載企画『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記』とアフリカを取材中の佐藤慧から届いたツイートとブログを編集した『南部アフリカレポート selection 8月編』をお送りします。時代も場所も全く違う二つの記事から立ち上がるダイナミズム。アフタモード流の越境コンビネーションです。同じ志で集ったメンバーの、視点のかわるがわるをお楽しみ頂ければ幸いです。




01【連載】笠原正嗣『北斎流:江戸のイメージアップ奮闘記(1)』 


世界的に知名度のある日本画家を思い起こしてください。こう問うと、きっとかなりの人は「葛飾北斎」をあげられることと思います。
僕は最近この「葛飾北斎」について色々と教わる機会を得まして、そのとき気が付いたことを、歴史的背景と合わせ重ねてこのE-PRESSに描(書)いていこうと思います。

もちろん、取り上げる絵・画は、ご存知『富嶽三十六景』。


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他のE-PRESSの記事とはずいぶんと色が異なるように思われるかもしれませんが、少しでもみなさんのお役に立てれば幸いに思います。


まず僕が江戸文化を語るときの前提についてお話ししましょう。基本スタンスは「鎖国はあまりなかった」。これで行きます。確かに政治的には鎖国はあったのかもしれません。しかし、それはあくまで建前で「文化的に鎖国はザルだった」という視点で話を進めます。というのも、T・スクリーチの著書『大江戸視覚革命』などで鎖国中の長崎等から、いかに欧の文物が密輸されていたかを暴かれているためです。そして今回書いていく内容を思いつくきっかけになった一つが、T・スクリーチ著『江戸の大普請』という本の一文でした。それは、
  
「歌枕に関しては、江戸にはなんら希望もなかったのである。この問題は実に深刻だった。しかし解決がない訳ではなかった。(中略)富士山である」


というものです。この一文の背景にあるのは、中世日本の貴族社会において、その土地の価値は歌枕や掛詞で決まる、つまり和歌に使われているかどうかで土地の評価が決まっていたということです。そのため、天下を取った徳川家康が「武蔵」の土地に江戸都市を造るということは、実は超ド田舎に首都を造るようなものだったと分かります。武蔵を読むような歌枕はなかったんですね。


当時の貴族社会では、和歌のイメージが土地のイメージと直結していました。有名どころを挙げるますと、大坂は「逢坂」ということで、男女の出逢いのようなイメージが付く感じですね。そういった一種のシンボリックなところが和歌にはあったわけです。ところが江戸にはそれがない。それは日本の中心に置こうとする家康としては致命的でした。今後「日本の中心はココ(江戸)だ!」と言いたいのに、シンボルとなる言葉がありません。そこで頭をひねった家康は別のシンボルを探し、見つけだしました。


それが「富士山」だったわけです。


富士山は誰もが納得する強力なシンボルです。でも江戸から結構遠いところにあったわけで、一応見えるよねって感じです。だからか、江戸時代とは言ったものの、江戸という都市は中期まで(特に商業において)日本の中心にはなれず、ずっと京阪(京・大坂)が中心のままでした。


それが激変するキッカケとなったのが、1860年代に出された『諸人入れ込み』という御触れです。この御触れは要するに「日本にある文物を(大坂・京でなく)江戸に集めろ!」という法律だと思ってください。ここから北斎がなぜ『富嶽三十六景』を描くにいたるのかという僕の推理が始まります。……続く
(文=笠原正嗣/絵=葛飾北斎)



02【特集】佐藤慧『南部アフリカレポート selection 8月編』


Aug 20 2010 18:55:19
The world is smaller than before. Beyond the border, it's just an imaginary line.

現在、地球上の全ての人々は密接に繋がっている。切り離された外部ではなく、大きな大きな1つのコミュニティの内に暮らしているのだ。



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ちょっと歩けば地平線が見える。大地の広さの感覚が違う。


≪南部アフリカでの数字≫
◆ザンビアで7kmと言われたら大概14kmくらいのことを言っているので当てにならない。
(以前1時間歩いたら着くといわれたら、5時間歩いても着かずに死ぬ思いをした)

◆9つの国と国境を隣接しているコンゴでは、ルワンダ内戦の飛び火で北東部が地獄と化した。

◆300万とも500万とも言われる人々が内戦の犠牲になった。未だに国境沿いや山岳地帯では、武力衝突も起きているという。ちょうど国境沿いの町で武装勢力に200人の女性がレイプされたという情報を得たばかりだった(9歳の女児を含む)。この地域のHIV/AIDS感染率は公式で14%。Samfyaの公式発表の16%に迫る数字だ。(公式発表を現状が上回ることは多々あり、Samfyaの田舎での統計では25%を超える)


≪日常と非日常≫
◆飢餓、紛争、サバンナ...。アフリカの情報の多くはそのようなもので、そこに暮らす"普通の人々"の日常は無視されがちだ。しかし、もし多くの人のアフリカや貧困国に対するイメージがネガティブなものばかりなら、逆にそこに普通の生活があることを伝えることが"ニュース"なのかもしれない。

◆Aug 23 2010 21:14:48
このままでは隣国の戦争に干渉されてザンビアも戦争になる、と野党は煽る。ザンビアは奇跡的なバランスの上に平和を保っている。7つの国との国境を持ち、その線上には無数の地雷が埋まっている。

◆Aug 25 2010 23:51:38
ザンビアの田舎で教師をしているアルビノの女性を取材。日本では認知すらされていないアルビノが、この地では普通に受け入れられている。黒人の中にあって、色素のない真っ白な彼ら、彼女らは、地域によってはひどい虐待を受けたり、呪術の生贄として殺されることもある。



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仕事がなくヒマを持て余す若者は、道端でギャンブルに興じていた。


≪南部アフリカと外国の関係≫
◆Aug 21 2010 12:04:03
来年の1月には南部スーダンが独立するという契約があるらしいが、どうなるのだろう?

◆Aug 22 2010 00:30:53
初代ザンビア副大統領の娘さんからさっそくウェルカムコールが。...と書くと何やら凄そうだけど、現在は環境系NGOのボスをしている方です。明日会えることに。順調だ♪

◆Aug 22 2010 17:43:49
先進国がアフリカの貧困を何とか出来るだなんて奢りも甚だしい。僕たちの生活は、そういう所謂貧困国の人間に支えられている。

◆この道路は、去年は穴だらけで酷いものだったのだが、中国企業が急速にインフラを整えているため、すっかり修繕が完了し快適な路面になっていた。

◆運転席に物を散らかしすぎている、というわけのわからない理由で車ごと拘留された結局1時間ほど拘留されて出発。おそらく運転手は賄賂を渡さなければ釈放されなかったのだろう。。ザンビアの警察の腐敗っぷりには本当に呆れる。

◆政府や公務員の腐敗が国の健全な発展を阻害しているのは明らかだ。アフリカの資源は不当な価格で外国資本に売られ、彼らの懐だけが肥えていく。末端にいる人々にその恩恵が届くことは無い。

◆独立後、西洋化を推し進めてきたザンビアでは、「化学肥料」によるメイズの栽培を促進してきた。結果、その土地では単一の食物しか栽培出来なくなり、生きるための食料は他から買ってくるしかなくなる。そのための現金収入は森の伐採から得る。


≪命がけの珍言集≫
◆信用できそうなタクシー運転手のBENとも仲良くなり、行き着けの宿もとった。荷物も全て無事。

◆音信不通になるかもしれませんが、ただ単に電気と水が無いだけなので心配しないでください★

◆写真をアップしたい..。首都でアップ出来なかったらどこでアップしろというのだ..

◆途中で道路脇に転落したトラックをみかけた。先ほどの町で見かけたトラックだ。北部に行くと言っていたので、一旦は乗ろうかとも思ったが、なんだか悪い予感がしたので乗らなかったトラックだ。幸い乗員の怪我は軽いらしいが、トラックはぐちゃぐちゃだ。

◆蚊は思ったほど飛んでいない。今回はマラリアに罹らずに済みそうだな....。

◆電気は日に数時間通るらしいが、水はほとんど出ない。井戸も壊れたらしい。ODAに入っていた外国企業も撤退を進めている。カメラの充電が心配...。最悪ガソリンで電気起こして充電するしかないかなあ。



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旅の途中で出逢う笑顔は宝物


(文+写真 佐藤慧)


03【告知】安田菜津紀 ≪26・27日≫東京新聞朝刊連載


9月26・27日の2日間、東京新聞の特報面にて記事が掲載されます。
フィリピン・マパニケ村で戦争の爪痕について取材した記事です。
お時間がございましたら、ぜひご覧下さい!



04【告知】10月3日に鏡明塾が開かれます!


◆10月3日(日) 神奈川県民センター(横浜駅西口徒歩8分)

 [一般] 13:05~14:50  『クリティカル・シンキング』 (先着20名様まで)

 [中高] 17:05~18:50  『未定』   (先着20名様まで)          


参加費用は一般2500円、中高生2000円です。
申し込みはメールにて承ります。


☆ [タイトル]  【鏡明塾予約】日付・コース・名前 ★
【mail】: yahagi.sa@gmail.com           

までお願いします。ご要望、ご質問等もこちらまで。
確認次第ご返信させていただきます。
(ケータイからのご利用の場合、「@gmail.com 」を受信できるようにご設定ください)

では、みなさんのご参加、心よりお待ちしております!


05【後記】『回る僕らの夢のあとさき』


北斎は93回も引っ越しをしたことで知られる越境のエキスパートでした。場所を変えることと思想には明らかに相関関係があるように思います。越境することで見えることがある。僕たちが井の中の蛙で居られるのは、大海を知らないことを認識していないからに過ぎません。どんどん越境を重ねて、世界を見て、夢を見て、いつかここに帰ってきたときに、「この散らかりっぷりがいい!」なんて思えるような編集をしていきたいと夢想する秋の深夜です。何かを取り戻そうとしているような焦り気味の季節は、淡い時間を早々に吹き飛ばして、冬へ向かっているようです。カンボジアのトーイに紙飛行機じゃなくて、箱を折ってくれって袖を引っ張られたのは、もう10ヶ月も前のこと。今日も回る世界は、成長し続けているのだと信じつつ、また来週お目にかかります。(文=ヤハギクニヒコ)




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『AFTERMOD E-PRESS』いかがでしたでしょうか?
今回の記事についてご意見・ご感想など、
お気軽にドシドシと書き込みください。
アフタモードメンバー一同、心よりお待ちしております。


編集  ヤハギクニヒコ 笠原正嗣
執筆  ヤハギクニヒコ 安藤理智 安田菜津紀 笠原正嗣 佐藤慧
発行  株式会社スタディオアフタモード/ studioAFTERMODE Co.,Ltd.
    http://www.aftermode.com/

本WEBサイトの内容の一部または全部を無断で複写(コピー)することは、法律で定められた場合を除き、著作者および出版社の権利の侵害になります。記事の使用をご希望される場合は、タイトル「AFTERMOD E-PRESS係」にて下記アドレスまでご一報をお願いします。取材もこちらで承ります。
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AFTERMOD E-PRESS 【vol.0003】(2010年9月21日号)


☆★御礼:本サイト25000アクセス早くも突破です!!★☆


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00【巻頭】世代を越えて経験を伝える特集
01【特集】飯田進氏に学ぶ 安田菜津紀「受け取ったバトン~次の世代に伝えるために」
02【特集】飯田進氏に学ぶ ヤハギクニヒコ「過去を見つめ直す~主観と教育と教養と」

03【特集】飯田進氏に学ぶ 笠原正嗣「これからの人へ」

04【告知】安田 22日(水)BS11『INsideOUT』/26・27日 東京新聞朝刊にて連載
05【告知】10月3日の鏡明塾/安田カンボジアツアーに出発

06【後記】イベントの思想。


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00【巻頭】世代を越えて経験を伝える特集


◆今回は、2010年9月12日(日)神奈川県立神奈川近代文学館にて開催したイベント『トライ/アングル~世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会』を経て、メンバーの感想を中心にお届けしようと思います。当日は、猛暑の中、横浜元町は港の見える丘公園の谷戸坂を登って、学生を中心に沢山の方が集まってくださいました。なんと事前課題までありワークショップ形式を取り入れた座談会は想像以上に白熱し、時間を延長して飯田さんとの「対話」をそれぞれの胸に刻みました。当日の様子はライブオンワイアーのアーカイブ班が現在映像編集をしておりますので、完成次第アナウンスさせて頂きます。

[ 飯田進さんプロフィール]
◆飯田進(いいだすすむ)1923(大正12)年京都府生まれ。43年(昭和18年)2月、海軍民政府職員としてニューギニア島へ上陸。終戦後、BC級戦犯として重労働二十年の刑を受ける。昭和25年スガモ・プリズンに送還。現在(2010年9月)、社会福祉法人「新生会」と同「青い鳥」の理事長。著書に『魂鎮への道』『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相―』など。
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01【特集】安田菜津紀「受け取ったバトン~次の世代に伝えるために」

◆飯田進さんと初めてお会いしたのは、昨年の東京新聞終戦記念日企画「記憶」の対談でした。
元BC級戦犯の方との対談だと聞き、なじみのない言葉に不安ばかりがつのりました。

けれども実際にお会いした飯田さんは、その不安を見事に打ち砕いてくれました。
自身の体験を見つめる勇気、そして「あの戦争は何だったのか」と冷静に見るめる強い意思。

今まで自分が戦争に対して抱いていた、「近づきにくい」「恐い」といった様々な偏見に初めて気が付き、
面と向かって対話をすることの大切さを実感しました。

それと当時に、戦争を体験していない私たちの世代が、どのようにして、どんなことを次の世代に伝えていけばいいのか。
そんな課題が心の中に残りました。

私たちが今回の講演のお願いに伺ったときも、体調が優れない中、快諾して下さいました。
若い世代に伝えていきたいことがある、と。

イベント当日、飯田さんは昨年と同じように、温かく参加者の方々、そして私たちに接してくださいました。

その一方で、その言葉の一つ一つに、飯田さんの87年間の人生の重みが凝縮されていました。
「過去を軽んじる者は、いつか未来からも軽んじられる」

このままでは次の世代がまた同じ悲劇を繰り返してしまうかもしれない、飯田さんの言葉からそんな危機感を強く感じました。

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会場からはこんな質問がありました。

「飯田さんの壮絶な体験を、本を通して読むのが本当に辛いんです。
だからこそ友達に勧めることができなくて、これってやっぱり間違っているんでしょうか」

これには他の来場者の方からも、共感の声がありました。

私たちはどのようにして、どんなことを次の世代に伝えていけばいいのか。
それは「問い続けることしかない」というのが飯田さんの答えでした。

「人間社会は希望の上に成り立っている。絶望の上にあるほど、希望の糸をたぐり寄せなければならない」

私たちは恐らく、戦争の体験を直接聞くことができる、最後の世代です。
だからこそ目を背けず、耳を傾けなければならない「過去」があります。

私たちはこの日、飯田さんから確かに、バトンを受け取りました。

                                     (文=安田菜津紀/写真=笠原正嗣)



02【特集】ヤハギクニヒコ「過去を見つめ直す~主観と教育と教養と」


◆このイベントへの出演をお願いしに、安田と二人で飯田さん宅にお邪魔したのは、7月12日のことでした。それから何度か飯田さんと交わした対話の一部をまず、ご紹介します。

・・・

矢萩:最初から沢山の「それぞれの戦争」を集めて伝えようという目的を持って、収容所で生活されていたのですか?

飯田:目的なんかなかった。だんだんそうなった。沢山の人と話しているうちに、これは伝えなければと思って、本を書くことにした。

矢萩:僕は、そのことを、伝聞でも良いから伝えたいと思っています。祖母は戦争経験者でしたが、僕は目を背けてしまっていました。祖母もあまり話したがらなかったというのもあったかも知れません。しかし、今教育に携わる中で、どうしても、直接聞き、直接伝える人間が必要だと思っています。

飯田:君は吉田松陰を敬愛しているといったね。俺もそうだ。彼は革命運動家としては極めて稚拙だった。しかし、教育者としては一流だった。僕は出兵前に松陰の墓へ行って、あなたと同じ苦難を与えてくれ、と願ったんだ。たった一冊持って行った本は吉田松陰だった。彼もまた色々やっていたね。

矢萩:確かに革命家としては、稚拙だったかも知れません。でも、教育という革命だったかも知れないとも感じます。現代の教育は閉塞感が漂う、と形容されていますが、自分自身も危機感に似たものを覚えております。そこで、一つお聞きしたいのですが、これからの日本の教育に必要なこと、今の日
本の教育に足りないことはなんだと思われますか?

飯田:過去を見つめ直すこと。美しいではない。もっと醜い、嫌らしい、日本国家が意図的に覆い隠してきた近代の暗部に目を向けること。これは教育だけではなく、今の日本全部に言いたいことだ。だが、まずは教育だよ。仮に日本が復活できるとしたら、そこからしか出来ないと思っている。

矢萩:過去を見つめることが難しい世の中ですね。情報がどんどん少なくなってきていることもありますし、まずみんな見ようとしないですね。

飯田:人間は本能的に、嫌なことからは目を背ける。個人ならいい。だが、国家、人類という立場で見るならば、本能にピシャッと逆らって目を向ける勇気が必要だ。理性の話だ、分かるか? これを戦後日本はついに持ち得なかった。下方を切り捨てる。それで日本はどうなる? 空っぽの国しか残ら
ないのではないか?

矢萩:国家がそれをしなければ、本当に危ないですね。しかし、国家がしない以上、誰かが動かないと……

飯田:今まで覆い隠したものを、白日の下にさらけ出して、辛さに耐えないといけない。俺はそう思うよ。そのためになら、俺はどこにでも行くよ。あなたたちに私の未来を託したい。でなければ生きてきた意味がない。

・・・

最初に、僕は戦争についてのことを直接知らずに、戦争を教えることは出来ない。
だから、せめて僕が直接、戦争体験をした方の意見を伺って、それを伝えていきたい。
という話をさせて頂きました。

飯田さんは、「戦争についてすぐに簡単に話すことなんて出来ない」。
と仰いましたが、それでも、少しずつ、僕らに話して下さいました。

今手に入る飯田さんの著書に『地獄の日本兵』という新書があります。
そこに書かれているスタンスもまさにそうなのですが、
戦争というのは、主観の集合でしかあり得ない、ということなんです。
一人一人にとって、戦争は、全く違う物だった。
そして、みんな、自分たちのことしか知らなかった。
他の部隊のことなど知ることができない状況で、戦っていたんです。

これは、戦争に限らず、何にでも言える価値観だと思います。
正義であれ、愛国心であれ、興味であれ、仕方がなくであれ、格好つけであれ、
意地であれ、あるいは松本零士『ザ・コクピット』の主人公達のようであれ、です。

取り立てて、僕は日本のジャーナリズムにその必要性を感じているのです。
いつもお世話になっているジャーナリスト久保田弘信さんは

僕が見たアフガニスタン』という写真集を出されました。
この「あくまで自分の視点であり、経験でしかない」というスタンスを、

ちゃんと表明することこそが、大事なんだと思うのです。

僕の真実と、誰かの真実は違う。

しかし、その誰かの真実を沢山知ることによって、自分の境界線を拡大し、そして世界を立体的に立ち上がらせる。それこそが、ジャーナリストの役割であり、教育者の役割だと思うのです。
それを飯田さんは、巣鴨プリズンの中で、たった一人始めたのです。その柔軟性と、視野の広さ。ただただ、脱帽です。

飯田さんは僕の名刺をルーペまで出して見て下さり、そして「鏡明塾」というキーワードから、僕の思想を瞬時に読み取って下さいました。これは僕にとって、とても大きく、有り難いことでした。

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イベントの時に、どんな質問でも全て親身に聞いてくださる飯田さんの姿勢は、人として一番必要なことは何かを、教えてくれているように見えました。僕が小学生60人から託されてきた飯田さんへの質問も、「これは僕の代わりに、君が答えてあげなさい」と仰りながら全ての質問に目を通し、コメントを下さいました。江戸時代「教養」があるというのは「人の気持ちを分かる」ことでした。それは株式会社スタディオアフタモードの社訓の中にも掲げています。飯田さんの経験を伝えたい。それはもちろんのこと。僕はそれ以上に、飯田さんの生き方というものを、伝えていきたいと思います。

                                           (文=ヤハギクニヒコ/写真=笠原正嗣)


03 【特集】笠原正嗣「これからの人へ」



◆2010年に飯田さんとお会いできたこと自体が僕としては非常にありがたく貴重な経験でした。「裁判」という観点から考えると、2010年は大逆事件から100周年(執念?)ですし、「戦争」ということでいえば、原爆投下から65年という年でもあります。これは定年退職される方から戦争を知らない世代が登場したということになります。企業戦士はいなくなったとも言えます。加えて、アメリカが記念式典に顔を出した年にもなりました。今年ほど、戦犯の方からお話を伺うのにふさわしい年もそうそうないと思うわけです。


『魂鎮への道』を読むとわかるのですが、今まで自分が持っていた“戦死”のイメージが粉砕されてしまいました。今まで僕が持っていた戦死のイメージは、どうも花火のごとき火薬絡みの死に様が多かったと思います。銃弾で頭が吹っ飛んだとか、特攻して亡くなられたとか、空爆で焼け野原になった・・・など。


ところが、飯田さんが強調されたのは、「一番多かったのは“飢え死”だった」。激しく華やかな

死のイメージに埋もれていたのはとても地味な死に様です。飯田さんは続けて会場に問われます。


「飢え死にということがどういうことかわかりますか?」


僕は自分が指されたわけでもないのに背筋がゾッとし、とまどってしまいました。飯田さんは一つ一つ、丁寧に丁寧に、当時の光景を思い出しながら静かに語気を強め語ってくれます。僕たちと同じ20代前後の人間の話なのに、髪は抜け、白髪になり、老人のような風体でやせ細り、そして死んでいった・・・らしい。その場にいるだけで鳥肌が立ってくるお話でした。戦争を考える場にいながら、僕は人の死に方すらわかっていなませんでした。そもそも想像すらできない内容だったと思います。


このお話を聞いて疑問に思ったことは、なぜこういった死に様が伝えられずに、銃撃戦のようなイメージになってしまったのかということです。この理由を自分なりに考えてみました。1つは、単純に飯田さんのように伝えようと動く人が少ないということことです。2つ目は、今僕たちが見る戦争映画は基本的に外国人が撮ったものだということが関係している気がします。戦勝国側からすれば物資の供給がそれなりには潤沢だったわけで、そうすると彼らの死のイメージは“撃たれて死ぬ”ということになります。具体的には、「プライベートライアン」、「パールハーバー」「硫黄島からの手紙」(監督:クリント・イーストウッド)もそうですね。日本人が撮ったものはありません。


実は知らず知らずのうちに僕たちはそういう風に考えるよう仕向けられていたのかもしれないということが脳裏に浮かびました。飯田さんに「もし飯田さんが監督になられたらどういう映画になると思いますか」と聞きそびれたのが悔やまれます。


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いつだったか、WWⅠ の方がWWⅡよりも精神病になった人の率が高く、WWⅠでは7人に1人が精神病になって帰国したという話を聞いたことがあるのですが、僕はそれを単純に考えたため、爆撃など初めての体験をしたWWⅠの方がずっと大変だったのではないかと思っていました。でもそうではく、WWⅡではもっと悲惨で、戻ってくることすら許されなかった人が多かったわけです。


『魂鎮への道』第一章で「時の経過とともに戦争の記憶は薄らぎ、忘却の彼方へ押しやられる。また歴史は同じ愚行を繰り返す」とあります。また『世紀の遺書』からの引用文に「隊員に脅威を与えるゲリラを殺す権利はないだろうか」と書かれています。僕はこの二文を読んだとき、ベトナムで起きた『ソンミ村虐殺事件』の話を思い出しました。この事件でメディアはアメリカ兵たちを袋叩きにしたそうですが、軍服を着ていなければ民間人かゲリラか区別なんて不可能です。そうすると身を守るために過剰に防衛することになります。村人全員を殺す以外に兵士たちは自分たちを守れなっかったんだと思います。結果はあの惨状。まさに同じことを繰り返していたと言えるのではないでしょうか。戦争を起こすときっとこうなります。だから戦争を始めてはいけないんですね。


今、オバマ大統領はアフガンに本格的に攻めだそうとしています。ブッシュ元大統領の戦争が終わり、オバマ大統領の戦争が始まると揶揄する人もいるそうです。オバマさんからすると選挙時の公約を守ろうとしているのでしょうが、公約を破ってでも戦争は回避すべきと示した方がよっぽど支持が得られるように思います。


戦争を始めるのは政治家です。だからできることなら、この一冊をすべての政治家に届けたい。そう思います。

                                                     (文+写真=笠原正嗣)



04【告知】安田22日(水)BS11『INsideOUT』26・27日東京新聞朝刊連載

◆安田菜津紀がテレビに出ます!

 明日22日(水)BS11 22時~22時55分 『INsideOUT』 という番組の「INsideASIA」というコーナーで、

 安田菜津紀のシリア、イラク難民の取材を取り上げます。ぜひお見逃しなく!!


   BS11デジタル『INsideOUT』HP : http://www.bs11.jp/news/59/


◆26・27日東京新聞朝刊にて、安田がフィリピンのマパニケ村取材の記事を連載します。

 機会がありましたら、ぜひお読みください!



05【告知】10月3日の鏡明塾/安田カンボジアツアーに出発


◆10月3日(日) 神奈川県民センター(横浜駅西口徒歩8分)

 [一般]13:05~14:50  『クリティカル・シンキング』 (先着20名様まで)

 [中高 ]17:05~18:50  『未定』   (先着20名様まで)          

参加費用は一般2500円、中高生2000円です。
申し込みはメールにて承ります。


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★                              ☆

☆ [タイトル]  【鏡明塾予約】日付・コース・名前 ★

★       yahagi.sa@gmail.com           ☆
☆                              ★
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までお願いします。ご要望、ご質問等もこちらまで。

確認次第ご返信させていただきます。

(ケータイからのご利用の場合、「@gmail.com 」を受信できるようにご設定ください)


では、みなさんのご参加、心よりお待ちしております!


◆安田菜津紀のカンボジアスタディーツアーがいよいよ始まります。

・期間:2010年9月22日~10月1日

・訪問予定地:トゥールスレン博物館、CHA(障害者雇用施設)、農村見学、地雷除去現場・・など


レポートをお楽しみに!



06【編集後記】イベントの思想。


◆9月19日、時事通信ホールにてイシス編集学校のイベント感門之盟『越境インタースコア』に司会として参加してきました。総合ディレクターは松岡正剛師。色々な分野を越境しているということで選んで戴いたとのこと。ジェネラリストを目指す身としては嬉しい限りです。ディレクションをすることで、場に思想を満たしていく。自分で主宰しているときにはあまり意識していませんでしたが、これは場を作るときにとても重要な要素ですね。その思想がメンバー全員に行き届かないと、なかなかまとまったイベントは出来ません。それは、システムを越えた場の原理です。飯田進さんとは「吉田松陰」というキーワードで繋がることができ、「世界は数多の主観が点在しているのみ」というニーチェやフッサールの流れを汲む視点の共有ができました。そして、その思想をメンバーが共有してくれたからこそ、良いイベントにすることが出来たと思っています。さて、今週は安田がカンボジアに旅立ちますので、アフタモードはメンバーの半分以上が海外です。日本チームは粛々と決算の準備に取りかかりつつ、次号の編集に向かいます。では、また来週お目にかかります。(ヤハギクニヒコ)



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編集  ヤハギクニヒコ 笠原正嗣
執筆  ヤハギクニヒコ 安藤理智 安田菜津紀 笠原正嗣 佐藤慧
発行  株式会社スタディオアフタモード/ studioAFTERMODE Co.,Ltd.
    http://www.aftermode.com/

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info@aftermode.com


AFTERMOD E-PRESS 【vol.0002】(2010年9月14日号)


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00【巻頭】メンバーから創刊のご挨拶~第2弾~
01【連載】佐藤慧『カルチャーショック vol.1』
02【掲載】『飯田進さんとの座談会』東京新聞に紹介。
03【告知】9月14日(火)LIVEonWIRE
      『飯田進さんとの座談会』動画放送&フィードバック。
04【編集後記】種を蒔くこと。


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00【巻頭】メンバーから創刊のご挨拶~第2弾~


◆皆様こんにちは。スタディオアフタモード所属フォトジャーナリストの安田菜津紀です。
『AFTERMOD E-PRESS』は、私たちの想いを形にする場であると同時に、私たちが現地で出会った
方々と読者の皆様が、写真・そして言葉を通して「出会える」場にしていきたいと思っています。国境を越えるたくさんの出会いを、皆様にお届け出来れば幸いです。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

studioAFTERMODE フォトジャーナリスト 安田菜津紀


◆最近巷で騒がれる「グローバルエコノミー」なる言葉。実際のところ、これって弾丸で占領していたことをお金にかえて、あとはほとんど同じなんじゃないか。こんな風に思ったとき同時に気づいたことは、「文化相対主義」という言葉がメディアから抹殺されていたことでした。21世紀をむかえ、世界は約10か月毎に金融ショックが起きるまでになっています。ショックやテロというのは、抑圧していたものが噴き出す現象の一形態ではないでしょうか。そろそろそういった部分にも目を向ける時期だと思います。皆さんと共に、この『AFTERMOD E-PRESS』というマガジンに言霊を載せていけたらと思います。

studioAFTERMODE メディアディレクター 笠原正嗣


01【連載】佐藤慧『カルチャーショック vol.1_初海外:Los Angels』

◆「カルチャーショック」とは、自分の属する社会の価値観とはかけ離れた価値観に出会うことで感じる違和感、衝撃、驚きといったような感情のことだと思う。僕が初めて海外へ出たのは21歳のときだった。その後、様々な国へ足を運び、その度に小さな殻に籠っていた自分に気づき、また、世界の広さに驚嘆したものだった。少しずつ、しかし確実に剥がれ落ちていく既成概念。そして新たに開ける地平線。様々な価値観に触れることで、僕は世界への畏怖と感動を知った。


初海外はLAだった。当時、大学で音楽を専攻し、大阪のライブハウスでロックバンドのギタリストとして活動していた僕は、ロックの本場、アメリカのライブハウスに対する強烈な憧れを抱いていた。友人のベーシストと共に勢いで航空券を買い、ほとんど英語も喋れないまま西海岸の地を踏んだ。カルチャーショックは既に空の上から経験していた。上空1万メートルから眺めるアメリカの大地は、途方もなく大きく、奇妙な茶色い大地には命の存在を感じなかった。それは日本の田舎に生まれ育ち、豊かな緑を駆け回っていた記憶からは想像も出来ない光景だった


空港に降り立ち、街中へ向かう。端から端まで100mはあろうかという幅の広い道路。日本では絶対に車検を通らないであろうポンコツ車が時速140キロ以上でハイウェイを飛ばす。ホテルのレストランでは英語も喋れず、チップの払い方もわからずに困惑したのを覚えている。頼んだピザは途方もなく大きく、ジョッキで運ばれてきた水はリットルはあろうかという量だった。(ちなみに生まれて初めてネイティブスピーカーに話した英語は、そのあまりに大きすぎるコップを指さして言っただった)。まったく頼りにならない日本語のガイドブックに載っていた地図を投げ捨て、現地の本屋で購入した地図を頼りに通りを練り歩く。日本の感覚で歩いていると、いつまでたっても目的地につかず、その広さに足を痛める。まるで大きいことが誇りであるかのように、すべてのものが大きく、力強さを誇示していた。初めて経験する多くのことに疲労困憊し、本来の目的地であったライブハウスでは立ったまま眠りに落ちそうなほどだった。


白いリムジンから手を振ってくれたセレブ。夜のブロードウェイを徘徊するホームレスの母と娘。ショッピングセンターのレモネードで手を洗う親子。豪邸の建ち並ぶビバリーヒルズ。真夜中に迷子になった時に足を止めた教会から聞こえてきた力強いゴスペル。世界とは、なんと広いのだろう。自分の住んでいる世界とは、ほんの一部に過ぎないのだ。そんな衝撃を受けた、21歳の秋だった。この時から、世界への好奇心、未知の価値観の探求が始まったように思う。まさか数年後に自分がアメリカで働くことになるなんて、その時には想像も出来なかった。


( 佐藤慧 http://www.aftermode.com/kei.html



02【掲載】『飯田進さんとの座談会』 東京新聞紹介。


◆本日14日(火)東京新聞神奈川県版に9月12日に行いましたイベント

 『世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会』

 の記事を掲載して頂けることになりました。機会がありましたらぜひご覧下さい。




03【告知】9月14日(火)LIVEonWIRE 『飯田進さんとの座談会』動画放送&フィードバック。

◆Ustreamにアーカイブされています9月12日(日)のイベント

 「世代を超えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会」の模様を放送いたします。

 みなさんと共にもう一度確認してから、フィードバックをしようという試みです。

 ご視聴、またTwitterでのご参加、お待ちしております。

  ※ 21時スタート予定ですが、機材やネットワーク環境により多少時間が前後する場合がございます。

     ご了承ください。


≪こちらから↓≫

☆オンラインレディオステーション【LIVEonWIRE 
  http://lonw.com/

☆Ustream≪Live on Wire≫



04【編集後記】種を蒔くこと。


◆無事、第二号の発行です。早くも色々なところで「読んだよ」と声をかけられることがとても嬉しいこの頃です。僕もバンドのメンバーとアメリカ横断しましたが、そのスケールの違いにただ驚いたのを覚えています。違いを知ることから、はじめて歩み寄れることがあるように思います。

昨日はイベントTry/Angle『世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会』を無事、開催することが出来ました。多くの意欲ある学生に集まっていただけ、飯田さんも喜んで下さいました。当日の様子は次週以降に記事にしたいと思っています。このイベントで僕らが提示したかったのも「境界線」です。境界線を消すことも、くぐることも、無視することも、乗り越えることも、引き直すことも、全てはまず「知る」ことから始まるのだと思います。境界線をテーマにした『トライ/アングル』というイベントは僕と安田の最初の共闘作業でした。あれから何回かやらせて頂きましたが、回を追うごとに、僕らがやりたいコトが何なのかハッキリしてくるのを感じています。2004年に作った『種を蒔く人』という曲があります。咲くかどうかなんて分からない。でも、蒔き続けなければ、希望が絶えてしまう。昨日のイベントでの菜津紀の「種を蒔き続けたい」という思いを聞いて、時間を越えて明るい未来が去来した気がしました。そんな希望を、届けられますように。また来週お目にかかります。
(ヤハギクニヒコ)




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『AFTERMOD E-PRESS』いかがでしたでしょうか?

今回の記事についてご意見・ご感想など、お気軽にドシドシと書き込みください。

アフタモードメンバー一同、心よりお待ちしております。


編集  ヤハギクニヒコ 笠原正嗣

執筆  ヤハギクニヒコ 安藤理智 安田菜津紀 笠原正嗣 佐藤慧

発行  株式会社スタディオアフタモード/ studioAFTERMODE Co.,Ltd.    

 HP:http://www.aftermode.com/

【AFTERMOD E-PRESS】 vol.0001創刊号(2010年9月7日号)

=INDEX=

00【巻頭】 創刊挨拶「世界を笑顔にするために」
01【特集】 安田菜津紀『少年の夢~カンボジア緑の村より』
02【報告】 佐藤慧ザンビア現地レポート『ルサカの朝』
03【告知】 メールマガジン同時創刊!
04【告知】 創刊企画『アフタモード辞典』編纂開始!
05【告知】 9月12日「世代を越えて経験を伝える
  ~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会」
06【編集後記】夢をカタチにしていくこと。

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00【巻頭】『世界を笑顔にするために』

◆みなさまこんにちは。アクセスして戴き、有り難うございます。このサイトは、株式会社スタディオアフタモードに所属するメンバーによる取材記事やコラム、エッセーなどを掲載していく週刊電子雑誌です。各メンバーとも新聞・雑誌、あるいは講演・講義・イベントにてその活動や想いを伝える努力をしておりますが、やはり数々の制約の中で、また若輩故の力不足で「伝えきれなかった」と思うこともしばしばです。そこで、僕たちの活動や、伝えたいことを少しでも多くみなさんと共有したいと考え「E-PRESS」というカタチにデザインしてアーカイヴしていくことにしました。僕たちは、もっと世界を楽しみたい、もっと世界を笑顔にしたい、と願って活動を続けています。そのために僕らが出来ることの一つが、自分の体験や思想を「伝える」ことです。共感できる記事に出会われましたら、誰かに伝えていって戴ければメンバー一同こんなに嬉しいことはございません。この雑誌を通して、世界のどこかでみなさんと共闘出来ることを祈っています。
(株式会社スタディオアフタモード代表取締役 ヤハギクニヒコ)

◆インターネットの普及により、地球は小さくなりました。その反面、玉石混合の情報が入り乱れています。加速し、肥大化を続ける情報化社会において、我々が発信するこの「E-PRESS」は、ほんの小さなアクションでしかありません。しかし、そんな環境の中だからこそ、皆様と一緒に考える時間を共有できればと思っています。
(株式会社スタディオアフタモード取締役 安藤理智)


01【特集】 安田菜津紀『少年の夢~カンボジア緑の村より』


◆カンボジア、トゥオールサンボ地区。ここにはHIV感染者とその家族が、40世帯ほど暮らしている。
周囲の住人から「緑の家」と呼ばれているこの村に初めて訪れたのは去年(2009)の8月。
「僕の写真も撮ってよ!」と駆け寄ってきた一人の少年がいた。

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12歳になるトーイは、6人兄弟の末っ子。「トーイ」はクメール語で「小さい」という意味だ。その名の通り12歳とは思えないほど細くて小さな体をしている。そんな彼は普段「プロチェンペ」と呼ばれている。クメール語で「人気者」という意味だ。わがままで甘えん坊だけれど、村一番の元気印として愛されている

◆緑の村の近くにはNGOの運営する学校があり、平日、100人近くの子どもたちが熱心に勉強している。でも、一緒に学んだり遊んだりする隣の席の友達はいつも同じ村の子どもだ。

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「あの子は"緑の家"の子だから」
HIVに対する偏見が根強いカンボジアでは、同じ学校の親から子へ、差別も受け継がれていってしまう。HIVに対する正しい知識がないことが偏見を加速する。


◆ある朝、村に行くとトーイがいつになく浮かない顔をしている。今日はお母さんと、街に出かける日なんだと言う。実はトーイのお父さんが売春宿でHIVに感染してしまった。次に、お父さんからお母さんへ感染。
そして6人いる兄弟の中でトーイにだけ、母子感染があった。
この日は月に1回の検診の日だった。

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小さな体で生まれながらに、自分の運命と戦うトーイ。彼のわがままや甘えは、彼が抱えてきたものの裏返しなのかもしれない。
「緑の村」には時折、周囲の村の住人が石を投げに来たり、住居の一部を破壊しに来ることがある。病院からの帰り道。トーイは少し照れくさそうに教えてくれた。

「将来は警察官になりたいんだ。警察官になって、村を悪いヤツから守りたい」

(安田菜津紀 http://www.aftermode.com/natsuki.html)



02【報告】 佐藤慧ザンビア現地レポート『ルサカの朝』

≪現在、ザンビアで取材・活動中のフィールドエディター佐藤慧より現地レポートが入っているのでお届けします。≫

◆・・・空が、高い。
雲ひとつ無い青空のもと、日本の中古車の吐き出す排気ガスの混じった空気を吸いながら町を歩く。
高層建築と呼べるようなものはわずかしかなく、雑然とした町には、プラスチックゴミが散乱している。雨季が始まるまでのあいだ、辺りには緑は少なく茶色ばかりが目につく。

◆近代的なモールでは、去年は無かった立体駐車場の工事が進んでいた。相変わらずザンビアの通貨、クワチャは弱く、外来品の値段は高い。タクシードライバーのCheweは現大統領、ルピア・バンダに対して失望していた。任期の最中に急遽した前ムワナワサ大統領の時に比べても、政治はより汚くなったという。賄賂が横行し、福祉に金は回らない。相変わらず先進国からは貧困国と呼ばれ、様々な資源が搾取されていく。その利潤は国内に還元されず、一部の官僚と、外国資本の手に渡っている。
延々と続く負のスパイラルに、Cheweは「来年の大統領選挙では野党に投票する」と言っていた。
それでも、隣国に比べて戦争の無いこの国を、彼は誇りに思っている。

◆宿の従業員は見慣れた顔。バックパッカーも滅多によらないザンビアでは、JICAや外務省関連以外で来ている日本人は珍しい。明日の夕方には田舎に向かうバスに乗る。現地では友人が宿を確保してくれた。30日以上の滞在に必要なビザも、政府の知り合いが用意してくれることになった。
様々な人に助けられてこの土地にいる。日本から遥か遠い土地、ザンビアのことを少しでも感じれるようなものを持ち帰りたい。

(佐藤慧 http://www.aftermode.com/kei.html)



03【告知】 メールマガジン同時創刊!!

◆『AFTERMOD E-PRESS』はWEBでの閲覧を想定して編集をしておりますが、写真や画像を除いたテクスト版をメールマガジンにて配信いたします。「メールマガジン」ページに登録フォームを作りましたので、ご希望の方はご登録をお願いします。ある程度の人数までは手作業で登録をし、実験をしつつの配信になると思いますが、よろしければご登録をお願いします。(イベントなどの優先予約等の特典も付けさせて頂きたいと考えております。

【登録受付はこちら↓】
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04【告知】 創刊企画『アフタモード辞典』編纂開始!

◆それぞれの活動はもちろん、組織としての活動や思想など、様々な質問が投げかけられるアフタモードですが、少しでも僕らのことを知ってもらいたいと思い、辞典にしてみることにしました。そのまま読んで戴ければ、アフタモードの全体像が少しずつ見えてくると思います。毎週キーワードを更新していきますので、チェックしてみてくださいませ↓
http://www.yahagi.biz/press/dictionary.html



05【告知】 9月12日「世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会」

◆株式会社スタディオアフタモード(本社:神奈川県横浜市、代表取締役:矢萩邦彦)及びNGO ライブオンワイアー(代表理事:同)が、2010年9月12日(日)神奈川県立神奈川近代文学館にてイベント『トライ/アングル~世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会』を共同開催いたします。

元BC級戦犯として、そして陸海両軍に関わったという希有な経験を持つ飯田氏を迎えて、日本という国を見直し、未来に向かうために必要な視点について考える場を作りたいと考えております。

【イベント概要】

■ 名称 :studioAFTERMODE presents トライ/アングル・世界は変えられるか?
      『世代を越えて経験を伝える~元BC級戦犯、飯田進さんとの座談会』

■ 内容 :飯田進さんによる講演と、クロストーク、参加者との座談会。
       戦争をくぐり抜けた世代から、戦争を知らない世代へ
       出会い、そしてバトンを受け取りませんか?
       第二次世界大戦中ニューギニア戦線に派兵された飯田進さんをお迎えし、
       未来を考える場にしたいと思います。

【出演】

ナビゲーター:ヤハギクニヒコ(アルスコンビネーター/株式会社スタディオアフタモード代表取締役)
スピーカー:安田菜津紀(スタディオアフタモード所属フォトジャーナリスト)
ゲスト:飯田進(元BC級戦犯/社会福祉法人「新生会」「青い鳥」理事長)

■ 会場 :神奈川県立神奈川近代文学館

http://www.kanabun.or.jp/
        みなとみらい線 元町・中華街駅下車 徒歩8分
        JR京浜東北線(根岸線)石川町駅下車 徒歩20分

■ 日時 :2010年9月12日(日) 開場:14:30 開始:15:00(17:00終了予定)
        15:00~15:30 飯田進さん講演
        15:30~15:55 クロストーク
                 飯田進さん×安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
                 ×ヤハギクニヒコ(アルスコンビネーター)
        15:55~16:05 休憩
        16:05~17:00 飯田進さんと参加者との座談会

■ 料金 : 2000円

■参加資格:当日は「対話をして欲しい」という趣旨で行うため、35名で締め切りと
         させて頂きます。また当日は飯田進さんの著書の内容を踏まえて進行さ
         せていただきます。事前にお読み下さい。
         『地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相― 』(飯田進/新潮新書)

■ 主催 :株式会社スタディオアフタモード http://www.aftermode.com
        NGOライブオンワイアー http://lonw.com
■ 協力 :ジョインパートナーズ株式会社 http://www.joinpartners.jp

●お問い合わせ、お申し込みは、スタディオアフタモード「トライ/アングル」まで。

angletry@gmail.com
 タイトルに「9/12講演会申し込み」と入れ、
 下記の申し込みフォームに必要事項をご記入の上、ご送信ください。
 受付を完了しましたらご返信いたします。

-*-*-*-*申し込みフォーム*-*-*-*-
氏名:
人数:
ご職業:
連絡先(email):
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

◆出演者プロフィール

■飯田進(いいだすすむ)
  1923(大正12)年京都府生まれ。昭和18年2月、海軍民政府職員としてニューギ
  ニア島へ上陸。終戦後、BC級戦犯として重労働二十年の刑を受ける。昭和25
  年スガモ・プリズンに送還。現在(2010年8月)、社会福祉法人「新生会」と同
  「青い鳥」の理事長。著書に『魂鎮への道』『地獄の日本兵―ニューギニア戦
  線の真相― 』など。

■ヤハギクニヒコ(矢萩邦彦) http://www.yahagi.biz
  方法をデザインして、関係をアートする「アルスコンビネーター」。
  株式会社スタディオアフタモード代表取締役、NGOライブオンワイアー局長
  兼代表理事、NPO法人 座・其角理事、鏡明塾塾長、ISIS編集学校師範代、
  (株)日能研社会科講師、公園緑地財団プロジェクトワイルド・ファシリテー
  タ、ジョインパートナーズ(株)ジャーナリストWSファシリテータ。

  2008年より、松岡正剛師より拝命した日本で最初の結合術師【ArsCombinator】
  として、言葉とイメージによる存在学の構築を中心とした活動を開始。活動ポ
  リシーに「シュールパシフィズム」を掲げ、アート・ジャーナリズム・教育の
  相互企画デザインを中心に創作・研究・講義・著述・批評・写真・俳諧・ラジ
  オやイベント・広告制作まであらゆるジャンルを手がける。俳号は道侠。

■安田菜津紀(やすだなつき)http://www.yasudanatsuki.com
  スタディオアフタモード所属フォトグラファー/ジャーナリスト。
  2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで
  貧困にさらされる子どもたちを取材。守るものがあることの強さを知り、彼ら
  の姿を伝えようと決意。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中
  心に各地の取材を始める。現在、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題な
  どを中心に取材を進める。

  2008年日本青年会議所主催青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。
  2009年日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。
       第34回 2009JPS展 22歳以下優秀作品賞受賞。
  2010年コニカミノルタ FOTO PREMIO2010受賞 。
       「視点」特選受賞。



06【編集後記】夢をカタチにしていくこと。

◆いよいよ創刊号です。アフタモードの夢がまた一つ実現しました。
2007年末のある日、僕と安田は横浜のスターバックスにいました。新しく買った一眼レフを触りながら安田は言いました。「今、自分の一番伝えたいことを、自分の実力でそのまま発表してくれるような媒体がない」。まだ写真を撮り始めたばかりの安田は、既存の雑誌やメディアと自分の理想と実力と、全てのギャップに悩んでいました。僕もまた、本格的に編集を学びはじめたばかりでしたので、その気持ちはよく分かりました。「じゃあ、僕が編集長をやるから、君が記事を書けばいい」。とっさに口をついて出た、その時の直観は『実力を待っていたのでは遅いことがある』というものでした。
◆あれから3年が経ち、僕らは会社をつくり、素晴らしい仲間が集まってくれました。そして、技術は進歩し、メディアは否応なく、次の時代へ足をかけています。このタイミングで、僕らが僕らの見てきたことを、考えてきたことを発表できることに、そしてなによりも、こうやって記事を読んでくださっているみなさんがいることに、感謝しつつ、次号からもどうぞよろしくお願いします。
(ヤハギクニヒコ)

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アフタモードメンバー一同、心よりお待ちしております。


編集  ヤハギクニヒコ 笠原正嗣
執筆  ヤハギクニヒコ 安藤理智 安田菜津紀 笠原正嗣 佐藤慧
発行  株式会社スタディオアフタモード/ studioAFTERMODE Co.,Ltd.
    http://www.aftermode.com/