間違いなくヤマトだった『宇宙戦艦ヤマト復活篇』(たいしたネタバレ無し)
宇宙戦艦ヤマトというのは、第一作からして自己矛盾をはらんだ作品だった。
「力による解決は何も生まない!」と叫びつつ武力行使をし、命の大切さを語りながら特攻・自爆する。どこまでが「日本」でどこまでが「地球」でどこまでが「宇宙」なのかがぐちゃぐちゃで、国粋主義と国際主義が交錯している。
もっとも、これは「戦うヒーロー」全てが抱える矛盾ではある。
が、ヤマトの場合、そもそもが戦艦大和を改造したものであり、地球艦隊は日本人ばかりであり、なおかつ戦う相手が完全なる(「外国人かよっ!」とツッコミたくなるくらいに完全なる)ヒューマノイドの宇宙人だったりするので、色々なややこしさが炸裂してしまうのだ。…まあ、戦争映画だしな。
そこらへん、深く言及はしないが、私が絶対に受け入れられない思想がヤマトにはある。
…といったことを含めて『宇宙戦艦ヤマト復活篇』はヤマトそのものだった。むしろこれまで以上に「ヤマトらしい作品」と言えるかもしれない。
言い換えると、様々な矛盾も「私が絶対に受け入れられない思想」もパワーアップしている。
じゃあこの映画を否定するのかというと、否定できないのだ。
納得できない矛盾やら受け入れ難い部分を差し引いたとしても、なおかつ惹かれてしまうくらいの魔力を持っているのが宇宙戦艦ヤマトであり、今回の映画ではその魔力もまたパワーアップしているのだ。
私にとっての魔力とは、まず「宇宙戦艦ヤマトそのものの絶対的な魅力」である。
無骨なのか洗練されているのかよくわからないあの勇姿。それさえあれば許しちゃう。
こういうメカ類は3DCGとも相性が良い。
とは言え、ヤマトは微妙な曲線も多いし、そもそもが2Dアニメであるからして、ここまで「あらゆる方向から観てもカッコイイ」というモデリングをするのは大変だっただろうなあと思う。
質感も重量感もテクスチャと動きで非常に良く表現されていたし、セル・シェーディングのかけ方も絶妙だったので「あ、CGだ」などと余計なことを意識せずに観ることが出来た。
自分が観たかったヤマトの姿はこれだ! と思ったくらいである。…まあ、第三艦橋は赤い方が好きだが。
ついでに、電算室は普通もっと安全なところに設置するだろうと思うのだが…(笑)
そして、宮川音楽。
…なのだが、残念ながら故人となってしまった今、宮川節による『ブラックホールのテーマ』などは望めない。
宮川音楽に対抗(?)すべくぶつけてきたのはクラシック音楽であった。
実は、ちょっと期待をしていた。
ヤマトの音楽…特に『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』には何となくチャイコフスキーのテイストを感じていたので、それもアリかな、と。
試みとしては面白いが、成功したとは言い難い。
実は、というほどのことでもないが、宮川メロディには演歌的な要素が(確信犯的に)含まれている。
それがヤマトという“キャラ”や、若干アレな日本的世界観とマッチしていたのだ。
また、宮川泰先生にしても『交響曲ヤマト』を手がけた羽田健太郎先生にしても、音楽とエンターテインメントというものをよくわかっている人だった。
新しい映像に既存の宮川音楽を乗せても全く違和感は無かった。
しかし、クラシック部分はなまじ有名な曲の有名なフレーズを使ってしまったこともあり、浮いていたというか沈んでいたというか…。
特にチャイコフスキーの『スラブ行進曲』には苦笑してしまった。ベタ過ぎる!
だったら、ご子息の宮川彬良さんに音楽を任せてもよかったのではないかと…。どの曲だったか失念したが、過去作品の中には若き日の彬良さん作曲の劇伴があったはずだし、一連のヤマトの音楽は「宮川家の財産」といった扱いになっているとの噂も聞いたので、父君の作品を汚すことのない曲を作ってくれるのではないかと思うのだが。
今回の映画で、「ああ、宮川先生ご本人の指揮によるヤマトを生演奏で聴く機会があって幸せだったなあ」と妙な感激をしてしまった。
それでもなお。
まあ、権利関係で色々あったりもしたが。
ヤマトはヤマトであった。
で、どうしてくれますかね~、実写版は。
白組の意地を見せてくれることを祈る。
「力による解決は何も生まない!」と叫びつつ武力行使をし、命の大切さを語りながら特攻・自爆する。どこまでが「日本」でどこまでが「地球」でどこまでが「宇宙」なのかがぐちゃぐちゃで、国粋主義と国際主義が交錯している。
もっとも、これは「戦うヒーロー」全てが抱える矛盾ではある。
が、ヤマトの場合、そもそもが戦艦大和を改造したものであり、地球艦隊は日本人ばかりであり、なおかつ戦う相手が完全なる(「外国人かよっ!」とツッコミたくなるくらいに完全なる)ヒューマノイドの宇宙人だったりするので、色々なややこしさが炸裂してしまうのだ。…まあ、戦争映画だしな。
そこらへん、深く言及はしないが、私が絶対に受け入れられない思想がヤマトにはある。
…といったことを含めて『宇宙戦艦ヤマト復活篇』はヤマトそのものだった。むしろこれまで以上に「ヤマトらしい作品」と言えるかもしれない。
言い換えると、様々な矛盾も「私が絶対に受け入れられない思想」もパワーアップしている。
じゃあこの映画を否定するのかというと、否定できないのだ。
納得できない矛盾やら受け入れ難い部分を差し引いたとしても、なおかつ惹かれてしまうくらいの魔力を持っているのが宇宙戦艦ヤマトであり、今回の映画ではその魔力もまたパワーアップしているのだ。
私にとっての魔力とは、まず「宇宙戦艦ヤマトそのものの絶対的な魅力」である。
無骨なのか洗練されているのかよくわからないあの勇姿。それさえあれば許しちゃう。
こういうメカ類は3DCGとも相性が良い。
とは言え、ヤマトは微妙な曲線も多いし、そもそもが2Dアニメであるからして、ここまで「あらゆる方向から観てもカッコイイ」というモデリングをするのは大変だっただろうなあと思う。
質感も重量感もテクスチャと動きで非常に良く表現されていたし、セル・シェーディングのかけ方も絶妙だったので「あ、CGだ」などと余計なことを意識せずに観ることが出来た。
自分が観たかったヤマトの姿はこれだ! と思ったくらいである。…まあ、第三艦橋は赤い方が好きだが。
ついでに、電算室は普通もっと安全なところに設置するだろうと思うのだが…(笑)
そして、宮川音楽。
…なのだが、残念ながら故人となってしまった今、宮川節による『ブラックホールのテーマ』などは望めない。
宮川音楽に対抗(?)すべくぶつけてきたのはクラシック音楽であった。
実は、ちょっと期待をしていた。
ヤマトの音楽…特に『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』には何となくチャイコフスキーのテイストを感じていたので、それもアリかな、と。
試みとしては面白いが、成功したとは言い難い。
実は、というほどのことでもないが、宮川メロディには演歌的な要素が(確信犯的に)含まれている。
それがヤマトという“キャラ”や、若干アレな日本的世界観とマッチしていたのだ。
また、宮川泰先生にしても『交響曲ヤマト』を手がけた羽田健太郎先生にしても、音楽とエンターテインメントというものをよくわかっている人だった。
新しい映像に既存の宮川音楽を乗せても全く違和感は無かった。
しかし、クラシック部分はなまじ有名な曲の有名なフレーズを使ってしまったこともあり、浮いていたというか沈んでいたというか…。
特にチャイコフスキーの『スラブ行進曲』には苦笑してしまった。ベタ過ぎる!
だったら、ご子息の宮川彬良さんに音楽を任せてもよかったのではないかと…。どの曲だったか失念したが、過去作品の中には若き日の彬良さん作曲の劇伴があったはずだし、一連のヤマトの音楽は「宮川家の財産」といった扱いになっているとの噂も聞いたので、父君の作品を汚すことのない曲を作ってくれるのではないかと思うのだが。
今回の映画で、「ああ、宮川先生ご本人の指揮によるヤマトを生演奏で聴く機会があって幸せだったなあ」と妙な感激をしてしまった。
それでもなお。
まあ、権利関係で色々あったりもしたが。
ヤマトはヤマトであった。
で、どうしてくれますかね~、実写版は。
白組の意地を見せてくれることを祈る。